9月24日 今日はヨハネ20:30以降を扱います。
使徒ヨハネはここで一度、しめのような次の文を綴っています。「確かにイエスは、弟子たちの前でほかにも多くのしるしを行なわれたのであるが、それはこの巻き物には記されていない。しかし、これらのことは、イエスが神の子キリストであることをあなた方が信じるため、そして、信じるゆえにその名によって命を持つために記されたのである」。
ヨハネは、彼と同世代の弟子たちがほとんど殉教した後にこの書を書きました。したがって、これがなくても全く問題は無く、当時のクリスチャン会衆は、すでにあるものだけで間に合っていました。イエスを実際に見た世代が健在だったゆえに、知りたければ彼のところへ行けばよかったのです。つまり、この書は遠い将来の信仰の人々に向けて記された部分が大きいのでしょう。そのため、この文章の直前には、「見なくても信じる者は幸いです」とあるのです。ところが、ルカ18:8でイエスが、「とはいえ、人の子が到来する時、地上にほんとうに信仰を見いだすでしょうか」と言われたように、今日の世界で見られる大部分の信仰は、本来の性質から大きく逸れてしまったまがい物です。それゆえ霊が行き巡らなければ決して聖書に息を吹き込むことはできなかったでしょう。
場面は次にガリラヤの海に移行しています。あれ以来イエスからは何の音沙汰もなく、弟子たちは結局何をしていいのか分からず、命令通りガリラヤに帰ってもブラブラしていたのでしょう。そこでシモン・ペテロが、何もしないよりは慣れ親しんだ業でもしてみようかと、「私は漁に行ってくる」と言いますが、一緒にいたトマス、ナタナエル、ゼベダイの子ら、その他にあと二人が、「私たちもあなたと一緒に行こう」と答え応じます。ところが、その夜じゅうかかっても何も捕れません。「夜じゅうかかっても」とあることから、その漁は本格的なものだったことが分かります。全くのど素人が舟に乗っているので邪魔しているのでしょうか? あるいは、しばらく漁から遠ざかっていたので腕が落ちたのでしょうか? いえいえそうではないようです。何と、イエスが祝福をとどめておられたのです。
朝になりかけたころ、イエスが浜辺に立たれますが、岸に近づいていた彼らからは、それを悟ることができません。またしても外見が在りし日の姿とは異なっているのでしょう。それでイエスは、「幼子たちよ、食べるものを何も持っていないのですね」と言われますが、彼らは、「ありません!」と答えます。そこでイエスは、「網を舟の右側に投じなさい。そうすれば、幾らか見つかるでしょう」と言われ、彼らはその通りにします。
本来ならこの段階で気づいてもよさそうなものですが、今度、いつイエスと会えるのかもわからず、彼らは霊的な事からしばらく遠ざかり、世的な事柄からも見放されたような気がして、相当失望していたのかもしれません。言われるがままに彼らは網を投じますが、彼らのうちの少なくても半数は、この漁場で百戦錬磨のプロフェッショナル漁師なのです。通常の精神状態なら、「偉そうに、お前はどこのだれや~」となるところですが、気の抜けたサイダーのような彼らにはそんな感情もありませんでした。
ところがどうでしょう。網の中には引き寄せることのできないほどの魚が入っているのです。と、ここで、イエスが愛しておられたかの弟子がようやく気づき、「主だ!」とペテロに言います。おそらく、ルカ5:4~11にある同様の経験を思い出し、ハッと気づいたのでしょう。ペテロがそう言われるまで気付けなかったのは、心の傷が彼らの中で一番深かったからでしょう。しかしその傷も、「主だ!」と聞くと、立ち所に回復に向かいます。ペテロは裸だったので上っ張りをまとい、海に飛び込み主のもとへ猛ダッシュで泳ぎます。
しかし、その他の弟子たちの反応はちょっと違いました。「陸からそれほど遠くなく、わずか三百フィートだったので、魚の入った網を引きながら、小舟でやって来た」とあります。ペテロのように魚を投げ出してまでイエスのもとへ駆けつけるわけではありませんでした。むしろ、せっかく主が祝福を得させてくれたのだから、一匹も無駄にすることなく持ち帰ろうという精神状態だったのでしょう。100メートルに満たない距離なら、わざわざ舟に網をあげる必要はなく、魚を囲ったまま陸まで引いて行くという業は、ゼベダイの子らの知恵によるものでしょう。つまり、彼らは魚に全神経を集中していたのです。彼らにはまだ聖霊がなかったので、目標が定まっていないと世に引いて行かれやすい傾向があったのでしょう。しかし、ペテロの場合は三度の否認の件があったので、この件の負い目がイエスとの結びつきを逆に強くしていたのでしょう。