尊敬する、その意味 | フツーのタロット占い師のへなちょこ部屋

フツーのタロット占い師のへなちょこ部屋

まったりと、どーでもいいことからちょっと真剣な話まで。

タロットのことや日常織り交ぜたへなちょこブログです。


うはイ。

風がびうびうと吹いていて、体感温度がめっちゃ寒いですネ!
本日、ご自宅にお伺いしての治療ご予約を自分で『14時からで♪』と指定させていただいていたにも関わらず、15時からだもんね~と余裕ぶっこいて柿なぞを優雅に食していましたらばわざわざゲスト様から『今日ですよね?』とご連絡いただき、確認して『!?』と自分のノーミソの不自由さを痛感したわたくしでございます。。。←


ええと、本日のタイトル、「尊敬する、その意味」。

今でも未熟なわたしがさらにもっと救いようがないほどおバカに未熟だったころの話を記事にしよう!としていますので、

うん、なんかそーゆー無意味っぽいのいいわ。

という方は華麗にブラウザバックしてくださいませ☆←




わたしがこう、スピリチュアル(今はこういうざっくり曖昧なカテゴリーをあらわす単語があってラクだよね。。。←)な世界に足を踏み入れるきっかけ、スカウトみたいなものをしてもらったのは小学校5年生のときでした。
スカウト、というよりも、あんまりにもあんまりだったので救いの手を差し伸べてもらったんだなあ、と今では思います。

んで、身体能力をきちんとつくるための身体の基礎づくりからはじまって、能力のコントロール法、自分のちからはなにに対して一番効果があるのかとかの確認作業的な修法とかね、そういうことを人知れず(親にも内緒で・苦笑)やっていたわけなんですが。

その当時のわたしは

・自分はみんなとは違う欠陥品なんだ

っていう意識が強くてね、だからこその自衛手段だったんでしょうが、

・変わってるね
・特殊な分野の知識とかが多いね

みたいな、褒めてくれてるって受け取って問題ないものに対して『このひとは心の中でわたしのことを欠陥品だ、他とは違うモノだって思ってるからこういう言葉を言うんだ!』と勝手にビクビク怯えてこわくてだから攻撃するという目も当てられない惨状がありましてね。。。←

その時に、今でももちろんですが、当時はほんっとに神様だわこのひと!と尊敬していた方からこんな言葉をもらいました。

『あなたの怯えも、劣等感も、すべてあなたが産み出しているモノ。なにを言われても、どんなことをされても、にっこり笑顔で肯定してごらんなさい。
 内心で冷や汗かいていてもいい、図星を指された、と焦っても怒ってもいい。
 けれど、それを言葉の刃として相手に向けるのはやめなさい。
 そして、笑うの。自分を認めることで、相手もあなたを認めてくれる。
 騙されたと思ってやってごらんなさい』

はあ?とふてくされているわたしに、こども、というよりはクソガキのわたしにくれた言葉。

『今は、意味なんてわからなくていい。ただ、あなたが楽になれればそれでいい。
 でもね、一番ひとの中ですぐれているのは、相手を受け容れて自分にはない可能性を無限に広げていける能力だと私は思う。
 腹が立っても、焦っても怒りと憎しみを呼び起こされたとしても。
 そのときの自分と、相手を認めてくれれば嬉しいわ』

・・・・今になって、ようやく、ほんっとにようやく、もらったこの言葉の意味の一割くらいを実感できてるかなあと思います。←少ないw

その当時の尊敬は、ほんとにこのひとのことを万能の神様だ!みたいに崇めていた部分がほとんどだったけれど。
今のわたしが持つ尊敬の意味は、そういう盲目的なものとはちょっと違ってきています。

いつ、芽吹くかわからない『希望の種』を、手間も労力も惜しまずに広く深く蒔いていくこと。
嫌われても憎まれても本当に相手のためになるのであれば、進んで憎まれ役を買って出ること。
気が遠くなるような時間をかけて、ただただ受け容れる。呼吸をするようにひとを、なにかを愛するそのひとのことを、わたしはもう尊敬、って言葉だけじゃあらわせないくらいに尊敬しています。

わたしに見えていた部分はきっと少ない。
目標として今そのひとを掲げているけれど、彼女も生身の人間で、女性で、きっとその時々に思い悩むことや苦しいこともつらいこと、せつないこともあったでしょう。

でも、そういう部分は弱ってふてくされて傷ついているわたしには一切、見せなかった。

クソガキだった、ってこともありますが(←)自分のことで精いっぱいで浅瀬で溺れるようなことをしていたわたしにくれたのは、そのときのわたしに必要なものだけでした。

突き放された、って勝手に感じて、どうせこのひとだって自分が一番大切なオトナなんでしょ(当たり前なんですが・笑)とひねくれて穿ってどうしようもない態度だってとったのにね。

人間一人に、程よい距離で、ずっとずっと寄り添うこと。

その意味も、それがどれだけのことなのかもわからないまま、もらえるものを食い散らかしていたあの頃に帰れるなら、とりあえず自分をグーでぶっ飛ばしたい。。。←切実w

尊敬する、とか憧れるとかってさ。

美人だね、スタイルがいいね、頭がいいね、みたいに『外側』を重視して、のと。

素敵な想いの向け方だね、傷ついてるひとにはなんにも言わずに寄り添うんだね、気づかれずにとてもたいせつなことを文句ひとつ言わずにするんだね、という、簡単に真似できない『内側の輝き』に重きをおいてのものにわかれると思うのです。

もちろん、外見が綺麗な方はそれなりに努力をしてその美しさをキープしたりね、そういうところは内側の尊敬につながったりもします。

んでも、見えないところで、誰の評価を得られるわけでもなく、ただただ自分と自分のたいせつなひと・ものに対してこころを、ちからを使えるひと、それはとっても素敵だなあと思うのです。

まあわたしはおこがましくもそういう『やさしいもの』を目指しているわけですが!!!←
だったらもっとこう、気合入れてビっといかんかい!とセルフ突込み炸裂なカンジではあるんですが!!!←ほんとにね・・・・苦笑

これからも、なまぬるく遅々たる歩みを見ていてくだされば幸いでス。。。←イヤだよフツーwww

さあ?

相変わらず安定の支離滅裂な記事をここまで読んでくれたあなたに、こころからの感謝を!!!

ありがとう。
ありがとう。

あいしているよ。