聚感園(しゅうかんえん)(新潟県長岡市) | シンカの進化

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シンカが日々の生活で体験したことを書いてみたいと思います。

2021年2月14日(日)、寺泊ドライブの記事の続きです。


新潟県長岡市(旧・三島郡寺泊町)にある、


「白山媛神社」「二面神社」「つわぶき坂展望台」を後にした僕は、


次に「聚感園」を訪ねました。

聚感園は、北陸地方の豪族、五十嵐氏の邸宅後です。

五十嵐氏は大同元(806)年、先祖、忠利が常陸の守に任じられ、

三代、左衛門慰利忠の時、越後守として越後に赴任させられたと言われています。

寺泊へ移住した年代は不明ですが、

元和元(1615)年には、近郷126ヵ町村を支配する権力者だったそうです。

源義経、順徳上皇、藤原為兼、宗良親王、亀田鵬斎などの多くの文人墨客が、

滞留、来訪しています。

五十嵐家は戊辰戦争後の家財没収等のため没落し、

屋敷は人手に渡りましたが、

後に心ある人々により買い戻され、

今は史跡公園になっています。

庭園内です。
「弁慶の手掘井戸」なるものがありました。説明書です。
源義経が、源頼朝により疎まれ、都落ちした際に、

弁慶以下わずかな兵を従えて、

北陸路から奥州平泉へ逃げ下る途中、

一行は海上で遭難し寺泊へ漂着しました。

その際に、五十嵐家に数日間身を寄せたと伝えられています。

その時に弁慶が義経のために掘ったと伝えられている井戸です。
井戸の中を近写してみましたが、よく見えません(笑)
思わぬところに思わぬものがあるのだと、今回知りました。

聚感園には、この他にも、藤原為兼(1298年に佐渡遠流)が作った和歌の碑、

順徳上皇(1221佐渡配流)の石碑、などがあります。

その見物はまた後日、ゆっくりしたいと思います。

寺泊は歴史の宝庫ですね。

では!