初回で、『君の名は』の登場人物、
瀧、三葉は見つけられましたが、
テッシー夫妻と四葉は見つけられずにいて、
今回は、絶対見つけるぞ、と乗り込みました。
嫁さんと観に行ったのですが、
夫婦で100歳を超えると、割引になるシステムがあるんですね。
1人、1100円で観られて、通常よりも700円も安い…
2人合わせると、1400円もお得。
歳を取って、初めて良いことがありました(笑)
嫁さんは、昨日、新海監督が舞台挨拶に来られ、
その際の上映を観に行ったので、
連日の観賞になります。
2回観ると、
言葉のより細かな意味、
音楽とのマッチングの凄さ、
伏線の数々、
そういったものにずいぶん気づけます。
テッシー夫妻と四葉、見つけられましたよ!
テッシー夫妻はなかなか難しいセッティングでした。
少年少女の境界性、
大人でもなく、子どもでもなく、
その境界にある時期だからこそ、
感じられること、体験できることが、あるわけで、
感じられなくなってしまった大人たちが、
特に境界性に近いところに生きている、
須賀さん、夏美さんは特に、
少年少女に感化されていく、
そこが大きなテーマのひとつなのでしょう。
そこに親が登場しないことの意味は大きいと思います。
敢えて言えば、警察が親の象徴として描かれているのでしょうね。
親たち大人も、その感性を思い出せ、
というのが新海監督のメッセージとしてあるのでしょう。
また日本人の強い同調性に対して、
あえて個を選ぶという、
新海監督の挑戦に、僕は感銘を受けましたね。
昔から続いてきている、人身御供がなくとも、
何とか人間は生きていける、
というメッセージも込められているような気がします。
個を選ぶとも言っても、今、ちまたではやっている、
どこぞの某大統領のような個人主義ではなく、
誰かと一緒に生きるために個を選ぶ、
自分と相手との人生を大切にする、という意味になりますかね。
もう1回は観たいと思います。