認知症を振り返る13 | 奥歯にものは挟まずに

奥歯にものは挟まずに

認知症の義母をきっかけに、ふざけたブログを書き出して、
義母を見送りました。
イケてて笑える(笑われる)ババアを目指して、日々の暮らしを綴ります。

まとまったお金を引き出したアタシ。
我が家はちょっとほっとした。

お義母さまは、なんとか我が家の電話を使えるようになっていた。
アタシが奈良の銀行に行っている間に、 お義姉さん宅にお義母さまは電話をかけ、
きっと今頃、嫁に盗まれている!と、話していた。
お義姉さんが教えてくれた。
お義母さまは、ほぼ真実を理解していたようだ。
お金を下ろした次の日、早朝に、旦那はお義母さまに、お金を勝手に下ろした報告をした。
お義母さまはあっさりと、話し合いなら良いのだ、と、その時激昂はしなかった。

それでもお義母さまのご機嫌は、普通だったり、暴言の嵐だったりした。
お義母さまが暴言を言っている時は、アタシは思いつく限りの歌を歌を歌いながら、掃除や炊事をした。
聞こえないフリをしながら。
お義母さまは、聞いとるんかっ!と、たいていイライラした。
歌うとお義母さまが怒り出すのはわかっていたが、アタシもお義母さまから罵られるのはイヤだった。
そしてお義母さまを留守番させて、なるべく外出した。


お義母さまはタバコを吸う。
我が家は旦那もアタシも喫煙者で、気にとめていなかったが、
お義母さまは認知症のせいか、やたらとタバコを吸う。その頃、1日二箱くらい吸っていたのではないだろうか。
やることがなく、ダイニングテーブルの前にいつもいたお義母さま、吸いすぎちゃったね。
旦那が見兼ねて注意した。
タバコを吸いすぎや。
それに、タバコ代は自分で払いなさいな。

お義母さまは旦那の発言に怒った。
私のたった一つの楽しみを奪うのか!
んー、旦那、つまりお義母さまの息子は、そんなつもりで言ってないんだけどな。
あーあ、また激昂。

神戸で最初に行った病院の、脳のMRIを撮る日はもうすぐだ。
MRIを撮ったら、言うことを聞いてくれるような薬が出ないかな。
この状態で病院に連れて行くのは、至難のワザだろうけど。
お義母さまは絶対行くって言わないな。
息子も駆り出すか。
息子には、まだ穏やかにしていてくれるし。
アタシは薬に期待していた。
抑肝散はお守りのように、毎日3度飲ませていた。

お義母さまと旦那(お義母さまの嫡子)とは、あまり接点を持たないように心がけた。
旦那はとても傷ついていたし、お義母さまと接すると、旦那がイライラしてしまうから。

ある朝、お義母さまは、自宅に帰る、と言い出した。
機嫌は普通だった。
アタシは、お義母さん、もう少しおったらエエやん、と、笑顔で答えた。
そやけど帰りたいねん!
お義母さまは荷物をまとめはじめた。

だんだんと腹が立ってくるのだろう、お義母さまは、
こんなところにおったら殺されるわ、とブツブツ言いながら、荷物を持って、フラフラと出ていった。
ちょうど旦那は休みの日で、一部始終を見聞きしていたのに、お義母さまを追いかけるわけでもなく、考えごとをしている顔で、タバコを吸っている。

アタシは仕方なく、お義母さまの後ろを付いて歩いた。
お義母さまはアタシが付いてきている、と気づき、しっ!っと追い払うそぶりをする。
お義母さまは、神戸にやって来てすぐに、近所の床屋で、白髪染めをした。
髪の毛は黒いが、ぼうぼうに伸びて、ヤマンバみたいだ。
アタシがお義母さまに買った髪飾りは、お義母さまはうまく留められなくて、ほったらかしだ。

お義母さまは、フラフラと、4点杖を使いながら、ボストンバッグ一つ、紙袋くらいの大きさのエコバックみたいなもの、を持ちながら、駅を探して、
人に道を聞きながら歩いていく。

人はギョッとしつつ、駅までの道を教えてくれる。
アタシはお義母さまの視界に入らないようにしながら、
その人に、手を振ったり、口パクで、嫁です、見てます、とアピールした。

そうこうしながら、お義母さまは駅に辿りついた。
駅でキョロキョロしている。
アタシは、お義母さん、帰ろう、と声をかけた。

お義母さまは、
いやあ、あんなとこにおれるかいっ、とアタシから逃げる。
するとそこに、タクシーが止まっていた。
お義母さまは、タクシーに乗ろうとした。
アタシはタクシーの運転手に2000円を握らせて、
その辺走って、またここで下ろして下さい、
と頼んだ。