決まった
今月の末に本当に久しぶりのLIVEが決まった。今後は定期的にやっていこうと思う。
ただ若干メンバーも変わってバンドから出る音も変わっているので、以前やっていた曲をやる事はせずに新しいバンドとして曲を用意しようと思って、最近は多くスタジオに入っている。
しかし以前も書いた通り、一度感性がほぼ白紙状態に陥った為、なかなか納得したものを創造出来ない。
時間がない・・・・・
焦る・・・・・・
でも物は考えようで、ここを踏ん張って頑張れば、一度白紙になった分、以前の私には出来なかったモノが今後、その白紙に描かれるはずだ。
「継続は力なり」
不況だ、何だと言われているこんな時代。それがゆえになかなか物事を「続ける事」は難しい。しかしこんな時代だからこそ「続ける事」はとても重要だ。そしてそれはきっと私達に巨大な物を与えてくれる。
今月末、LIVEが終わった時私は何を感じるのだろう。
嬉しい事か辛い事か。
どちらにせよそれはまた私を一つ前に進めるだろう。
そして今日も愛を込めて家族に『ありがとう』
ただ若干メンバーも変わってバンドから出る音も変わっているので、以前やっていた曲をやる事はせずに新しいバンドとして曲を用意しようと思って、最近は多くスタジオに入っている。
しかし以前も書いた通り、一度感性がほぼ白紙状態に陥った為、なかなか納得したものを創造出来ない。
時間がない・・・・・
焦る・・・・・・
でも物は考えようで、ここを踏ん張って頑張れば、一度白紙になった分、以前の私には出来なかったモノが今後、その白紙に描かれるはずだ。
「継続は力なり」
不況だ、何だと言われているこんな時代。それがゆえになかなか物事を「続ける事」は難しい。しかしこんな時代だからこそ「続ける事」はとても重要だ。そしてそれはきっと私達に巨大な物を与えてくれる。
今月末、LIVEが終わった時私は何を感じるのだろう。
嬉しい事か辛い事か。
どちらにせよそれはまた私を一つ前に進めるだろう。
そして今日も愛を込めて家族に『ありがとう』
人
人間はなぜ結婚するのか?
子孫を残そうという本能がそうさせるのか?
はたま た、これまた人間の本能、人を愛するということの究極の最終形がゆえそうするのか?
答のない事を考えています。
人は結婚し子供ができると強くなると言います。
しかし、その「強くなる事」は私達にとって進化なのか退化なのか?
私は今、嫁と子供がいるのできっと人を殺せるでしょう。嫁を殺す人間は殺します。子供を殺す人間は殺します。
しかし嫁も子供もいなかった時、私は人を殺すなど絶対出来なかったでしょう。おそらく親が殺されても加害者に殺意は沸きますが実際に殺すまではいかないでしょう。
人を(可能性として)殺せるようになった私は、動物としては進化しているかもしれないが、はたして人間として進化してると言えるのか?これは人としては退化ではないか?
そんな事をずっと考えています。
人はおそらく大切な物を持つ数は決められていて、何かを得るには何かを捨てないといけない訳です。
何を捨て、変わりに何を持つか。その選択を人は価値観と呼ぶのでしょう。
人間は実に歯痒い構造をしています。人は動物の中でも実に感情豊か生き物です。しかし、皮肉にもそれこそが私達を苦しめるんだろうなぁ。
宗教みたいな話になってすいません。
子孫を残そうという本能がそうさせるのか?
はたま た、これまた人間の本能、人を愛するということの究極の最終形がゆえそうするのか?
答のない事を考えています。
人は結婚し子供ができると強くなると言います。
しかし、その「強くなる事」は私達にとって進化なのか退化なのか?
私は今、嫁と子供がいるのできっと人を殺せるでしょう。嫁を殺す人間は殺します。子供を殺す人間は殺します。
しかし嫁も子供もいなかった時、私は人を殺すなど絶対出来なかったでしょう。おそらく親が殺されても加害者に殺意は沸きますが実際に殺すまではいかないでしょう。
人を(可能性として)殺せるようになった私は、動物としては進化しているかもしれないが、はたして人間として進化してると言えるのか?これは人としては退化ではないか?
そんな事をずっと考えています。
人はおそらく大切な物を持つ数は決められていて、何かを得るには何かを捨てないといけない訳です。
何を捨て、変わりに何を持つか。その選択を人は価値観と呼ぶのでしょう。
人間は実に歯痒い構造をしています。人は動物の中でも実に感情豊か生き物です。しかし、皮肉にもそれこそが私達を苦しめるんだろうなぁ。
宗教みたいな話になってすいません。
恐怖
またまた前回の続きになるんですが、「なぜそこまで創造活動を続けるのか」についてです。
音楽以外にも過去に何か創造活動をしていて辞めてしまった方なら同じような経験をした事がある人がいらっしゃるかもしれませんが、、、
音楽活動を辞めて半年くらいたったある日に「久々に最近話題になってるような音楽とか大好きなあのジャンルのあのアーティストの曲とか聞こうかな」と比較的耳をこらして聞こうとCDをかけた訳です。
そしたら、嘘みたいな話なんですが、もう全然何を聞いても何も感じなかったんです。少し表現が難しいんですが、それは音楽的に何も解らなくなってるとかじゃなくて、カッコ良い・カッコ悪いとかノレる・ノレないとかじゃなくて、そのCDからでる音が何もうったえてこないんです。
これを読んで下さってる方は「はいはい。こうゆう事言うロック馬鹿ってよくいるよなぁ。キモチ悪」って思っておられる方が大半なのは解っています。でも、頭おかしいとか気持ち悪いと思われても良いから言わせてもらうと、音楽を始めて5年くらいたった頃から僕は、自分でも本当に怖くなるときがあるくらい音楽やダンス・演劇や、人と普通に少し真面目な討論的な会話をしてる時、あと初対面の人と話をする時など、色々なモノが見える様になってきたんです。
これまた気持ち悪いと思われるのは承知で言いますが「色々なモノが見える」という感覚は、よくサイコメトラーとかいって手の平を何か物や人にかざしたら脳裏にその物や人にまつわる光景などが瞬時に写るっていう人がいるとかいって本やテレビでたまに見かけると思うんですが、まさにそんな感じなんです。
CD聞いたり・演劇見たり・・初対面の人と話したりしていたら、例えばCDの中で歌ってる人の「本音」と言うか「実はこんな人だ」と言うか上手い事言えないんですが、凄いと~おくにある何かがその音の中に見えたりするんです、あと初対面の人と喋ってて例えばその人が「私、~さんが好きなんです」 とか本気で言ってるのを聞いてるときに、頭の中に「本当のその人みたいな人」が出てきて「でも実は自分でも気づいてないけど本当は好きじゃないんだ」と言うんです。
何かイタイ奴がイタイ事を言ってる感じになってしまいましたが、これは本当の話です。
またこれはブログだからこんな事堂々と書かせて頂いていますが普段の生活の中ではこんな事はまったく周りの知人や友人には言いません。それは色々と口を出すのが僕にとってシンドイからです。
だから知人と音楽を聴いてる時や知人と演劇を見に行った時など僕はあえて感想とかは言いません。言わないどころかそこに触れない様に違う話題にしようとします。これもおそらくその知人と本気で音楽の感想の話をするのがシンドイからだと思います。シンドイというか歯痒いのです。
これは別にその知人を馬鹿にしてる訳じゃありませんし、僕が偉そうにしてる訳じゃないのは解って欲しいです。純粋に本当にシンドイんです。
ただ何人かは、本気で話をしてもシンドクない人もいます、この人達もおそらく僕と近い感覚を持っているんだと思います。また僕がこの感覚を持っている事をウスウス感づいて会話をしてくれる人もいるのでそうゆうときは楽にいれます。嫁もおそらく僕がこの感覚を持っている事に気付いてるハズです。
話がそれましたがそんな僕が何を聞いても何も見えなくなってきている事に僕は正直ショックと同時に恐怖を覚えました。
感性というパロメーターがどんどん減っていってるのが手にとるようにわかりました。
これは僕にとっては自分の生きる価値・生きる希望そのもの減少を感じました。そしてもう一度創造活動をしようと強く思ったのです。
ただ今現在まだあの時の感覚は戻っていません、しかし少しずつまた感性が育っていることは着実に感じています。だからこそやはり音楽に限らず、どんな状況でも創造活動は辞めていけないと思うのです。仕事をして金を稼ぎ、家に帰り嫁の美味しいご飯を食べ、可愛い子供と遊ぶ。こんな幸せな物はありません。ここに何か隙間を見付けて創造活動を入れ継続させることはかなりのエネルギーを使います。本当にシンドイし辛いです。
しかしそれこそが人間を大きくするんだと僕は考えています。そしてきっと子供もそんな僕の背中を見て何か感じてくれると信じています。
長くなりましたがキモチ悪い文を最後まで読んでいただきありがとうございます。次回からは日々の日常の中で思った事感じた事を手短に書いていきます〆
音楽以外にも過去に何か創造活動をしていて辞めてしまった方なら同じような経験をした事がある人がいらっしゃるかもしれませんが、、、
音楽活動を辞めて半年くらいたったある日に「久々に最近話題になってるような音楽とか大好きなあのジャンルのあのアーティストの曲とか聞こうかな」と比較的耳をこらして聞こうとCDをかけた訳です。
そしたら、嘘みたいな話なんですが、もう全然何を聞いても何も感じなかったんです。少し表現が難しいんですが、それは音楽的に何も解らなくなってるとかじゃなくて、カッコ良い・カッコ悪いとかノレる・ノレないとかじゃなくて、そのCDからでる音が何もうったえてこないんです。
これを読んで下さってる方は「はいはい。こうゆう事言うロック馬鹿ってよくいるよなぁ。キモチ悪」って思っておられる方が大半なのは解っています。でも、頭おかしいとか気持ち悪いと思われても良いから言わせてもらうと、音楽を始めて5年くらいたった頃から僕は、自分でも本当に怖くなるときがあるくらい音楽やダンス・演劇や、人と普通に少し真面目な討論的な会話をしてる時、あと初対面の人と話をする時など、色々なモノが見える様になってきたんです。
これまた気持ち悪いと思われるのは承知で言いますが「色々なモノが見える」という感覚は、よくサイコメトラーとかいって手の平を何か物や人にかざしたら脳裏にその物や人にまつわる光景などが瞬時に写るっていう人がいるとかいって本やテレビでたまに見かけると思うんですが、まさにそんな感じなんです。
CD聞いたり・演劇見たり・・初対面の人と話したりしていたら、例えばCDの中で歌ってる人の「本音」と言うか「実はこんな人だ」と言うか上手い事言えないんですが、凄いと~おくにある何かがその音の中に見えたりするんです、あと初対面の人と喋ってて例えばその人が「私、~さんが好きなんです」 とか本気で言ってるのを聞いてるときに、頭の中に「本当のその人みたいな人」が出てきて「でも実は自分でも気づいてないけど本当は好きじゃないんだ」と言うんです。
何かイタイ奴がイタイ事を言ってる感じになってしまいましたが、これは本当の話です。
またこれはブログだからこんな事堂々と書かせて頂いていますが普段の生活の中ではこんな事はまったく周りの知人や友人には言いません。それは色々と口を出すのが僕にとってシンドイからです。
だから知人と音楽を聴いてる時や知人と演劇を見に行った時など僕はあえて感想とかは言いません。言わないどころかそこに触れない様に違う話題にしようとします。これもおそらくその知人と本気で音楽の感想の話をするのがシンドイからだと思います。シンドイというか歯痒いのです。
これは別にその知人を馬鹿にしてる訳じゃありませんし、僕が偉そうにしてる訳じゃないのは解って欲しいです。純粋に本当にシンドイんです。
ただ何人かは、本気で話をしてもシンドクない人もいます、この人達もおそらく僕と近い感覚を持っているんだと思います。また僕がこの感覚を持っている事をウスウス感づいて会話をしてくれる人もいるのでそうゆうときは楽にいれます。嫁もおそらく僕がこの感覚を持っている事に気付いてるハズです。
話がそれましたがそんな僕が何を聞いても何も見えなくなってきている事に僕は正直ショックと同時に恐怖を覚えました。
感性というパロメーターがどんどん減っていってるのが手にとるようにわかりました。
これは僕にとっては自分の生きる価値・生きる希望そのもの減少を感じました。そしてもう一度創造活動をしようと強く思ったのです。
ただ今現在まだあの時の感覚は戻っていません、しかし少しずつまた感性が育っていることは着実に感じています。だからこそやはり音楽に限らず、どんな状況でも創造活動は辞めていけないと思うのです。仕事をして金を稼ぎ、家に帰り嫁の美味しいご飯を食べ、可愛い子供と遊ぶ。こんな幸せな物はありません。ここに何か隙間を見付けて創造活動を入れ継続させることはかなりのエネルギーを使います。本当にシンドイし辛いです。
しかしそれこそが人間を大きくするんだと僕は考えています。そしてきっと子供もそんな僕の背中を見て何か感じてくれると信じています。
長くなりましたがキモチ悪い文を最後まで読んでいただきありがとうございます。次回からは日々の日常の中で思った事感じた事を手短に書いていきます〆
