「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。それが本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 登美子のいるだろう豪邸の入り口で、崇は「ごめん下さい」、と声を発してみた。

 すると、中から登美子が出て来た。会話は次の通りです。

 登美子「崇・・・」

 崇   「かぁさん・・・」

 登美子 「何しに来たの?」

 崇   「えっ?・・・」

 登美子 「・・・・」

 崇   「千尋が熱を出して、会いたがっている・・・

     ううん、僕がかぁさんにずっと会いたかった。

     ハガキ・・・僕に、かぁさんのご用は手伝えない

     の?」

 登美子「崇、ここには・・・」

 とそこへ、登美子の旦那である隆造が帰って来た。彼は、人力車に乗り、千尋と同い年ぐらいの女の子を抱っこしている。

 隆造は「登美子、どういたがな?」と尋ねる。

 登美子は「ちょっと、親戚の子が尋ねて来て」とその場を取り繕った。登美子は、人力車から降りて来た女の子には優しい声で話しかけるのである。

 その様子を見て、崇は、ここに居てはいけない自分を、悟るしかなかった。

 誰も居なくなると、登美子は崇を抱きしめ「いい、崇。もう、ここに来ちゃいけないの。これで何か食べて、伯父さんのところに帰りなさい」と伝え、、、お金を渡そうとした。崇は現実を知って、母親の手にあるお金を振り払い、走って逃げた。

 まーね、登美子は呉服屋の後妻に入ったのだが、崇が付いてきたら、やがて、跡継ぎことで問題になる可能性が大きい。彼女と周りは、そう考えたのだろうね。

 登美子も柳井病院の居候をいつまでも続けるわけにいかない。彼女の思うような仕事も見つからないだろう。だから、呉服屋の後妻に入るしかなかった。

 ふーむぅ、じゃぁ、事のついでに、登美子も、呉服屋の隅であんパンを売りますかっ。・・嘘です。

 フーテンのパン屋・草吉は、中古の自転車を仕入れ、売れ残ったあんパンを隣村まで売りに行っています。ならば、高知でもあんパン売ればいいね。

 朝田家の家族は、草吉を、口は悪いが善い人だと認め始めた。が、釜爺ぃだけは、「いやまだ、腹の中は分からん」と言っている。

 つまり、フーテンのパン屋・草吉は、自分のエゴ(金儲け)であんパンを作っているのか?それとも、利他のためにあんパンを作っているのか?そこが見えてこないと、釜爺ぃは言っているです。

 もちろん、利他行をして自分が傷つく必要はないが、だいたいの利他行は、本気で結果を出そうとすると、自分が大なり小なり傷つくし損をするのが現実でしょう。

 その上で、世間は、傷つくまで利他行をする奴は馬鹿だと言う。身銭を切ったら偽善者だとまで言う。でも、世間では大々的な寄付を集める。裏で使い込む。。。

 それで、草吉みたいに、必要なお金を貰おうとすると、世間は高いと言う。そもそも、助けを必要としている人は、だいたい、必要な額のお金がない。そして、必要とするエネルギーもない。なのに偉そうにする。

 そういう流れが究極になると、助けを必要としている人のほとんどが、嘘と二枚舌で誤魔化す。お決まりのパターンなので、助ける方も本気になれなくて、気が楽だ。あはは。

 そんな状態だから、普通の人は、自分が傷つかないように考えながら利他行をしても、どうせ傷つく。そんな結果になってしまう。

 つまり、利他である善業の徳を積んで、結果を出そうとしたら、身を削るしかなくなるんだよねー。あははは。

 このことについては、上っ面の人助けではなく、命がけの利他行を、本気でやってみたら分かると思う。

 フーテンのパン屋・草吉にその覚悟があるかのを、釜爺ぃは見ているのかも知れない。でもなー、草吉の性格だと見極めるのに何年もかかるだろうな。

 これねー、居た方がいいか、居ない方がいいかの「存在」の問題になってしまうんだって。つまり、草吉自身よりも、この世の中にあんパンがあった方がいいのか、なくてもいいのか、という話しになります。ちなみに、あんパン以外に、柔らかいクリームパンも美味しいよね。

 もし、判別するとしたら、草吉が、替えの効かない究極の男(人間)なのか、どうか、を観ることになるでしょう。あんパンは関係がなくなります。

 と、おかしいでしょ。さっきは、草吉よりもあんパンの存在価値になっていて、次には、あんパンよりも草吉の男(人間)の存在価値になっている。そうなってしまうんです。

 だからー、草吉とあんパンの関係が純粋かどうかで、存在価値が決まるのだと思う。ちなみに、釜爺ぃは墓石を掘る時、純粋な気持ちになり手抜きをしていないと、自分では思っています。

 さらに話を進めると、自分にもプラスになり他人にもプラスになる、そんな自利利他を考える時、そこにはいろいろなレベルと意識範囲があると思われます。

 例えば、汚れたなぁーなぁの関係、仲良しごっこのなぁーなぁーの関係、良くも悪くも仲間同士関係、ギブアンドテイクの関係、ウインウインの関係、平等の関係、平等性智の関係・・・・などなどがあって、最後に、宇宙自然の道理のエネルギー、その流れ(=ダルマ法則の氣の流れ)に乗った者同士の関係があるでしょうね。

 ダルマ法則の氣の流れに乗った者同士の関係は、善業も悪業も自業自得なのでしょうけど、今のような悪の蔓延るカリユガの時代は、善業が帰って来るまでに、かなりの時間がかかります。だから、利他行で傷ついた上に死ぬまで忍耐して待つ、という感じもあります。これは辛い。(ドラマの制作では、この善業が、最終回までに帰って来て、ハッピーエンドかのように納めています。)

 ただね、現実の仕組みにおいては、ダルマ法則の氣の流れは空(くう)から自然に出ているし、その空は無限のエネルギーでもあるから、ここに希望があります。

 その希望とは、利他行で受けた傷が小さいうちに、自分の魂のエネルギー不足を、ダルマ法則の氣の流れによって回復出来ることです。

 回復すれば、利他行による善業が宇宙エネルギーに支持され、徳の因(善き光)として蓄積されるのです。徳の高い人とは、徳の因が蓄積された人です。

 幸運なことに、今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最期で、次元上昇(アセッション)の時です。次元上昇の変化が過ぎ去れば、善き者、徳の高い者は善業の報課がスムーズに帰って来るでしょう。それが本来のエネルギー反応だからです。

 なので、今のうちに悪業を積むよりは、徳を積んでおくのがいいですね。

 そういう徳を積む場合に、空(くう)からの宇宙自然のダルマ法則の流れに乗って、利他の善業を行うと、永遠の徳になるのです。

 ゆえに、空氣体瞑想をして空を知り、ダルマ法則の氣の流れを感じることが大切なのです。もちろん、迷いは色々ありますが、あとは、善き事を行う勇気だけです。

 フーテンのパン屋・草吉が隣村までパンを売りに行っているので、羽多子ものぶ(子)を連れて、あんパンを売りに出かけた。しかし、夕方なので客はいません。

 一方、崇は海沿いを歩いて、波の音の中に自然のダルマ法則を感じていた。そして彼は、線路沿いを歩き、御免与村の農道まで帰った。しかし、ダルマ法則の氣の流れだけでは、どうにも動けなくなり、道端に座り込んでしまった。

 と、そこへ、羽多子とのぶ子が通りかかった。二人は崇に売れ残りのパンを渡し、水筒の水を飲ませた。

 このあんパンの味も、宇宙自然のダルマ法則なのでしょうね。自然のダルマ法則と人間の行うダルマ法則との微妙なコラボです。解るかなぁ?全体、これが、自然のダルマ法則と人間の、純粋な関係なのです。

 結論として、草吉とあんパンの関係は、純粋なのでしょう。

 崇は、そのあんパンを黙って食べ、水を飲んで、少しエネルギーを回復した。あとは柳井病院へ帰るだけ。

 崇が家に着いてみると、千尋の熱は下がっていた。

 羽多子とのぶは、自然な氣の流れで無限の母性愛を示し、永遠の徳を積みました。いつの日か、生きているうちにその善業の徳が帰ってくるといいですね。。。

 こういうのが、もしかすると「アンパンマン正義」かなぁ???

 いずれにしても、永遠の徳を積むことは、そんなに難しいことではないのです。しかし、個人的であっても全体的であっても、その純度を保つのはなかなか難しい。

 純度を保つためには、宇宙自然のダルマ法則を知る必要があります。そこを感得していれば、純粋な善き成り行きなるでしょう。そこを感得していないと、利他である総論賛成、エゴである各論反対みたいになり、さらに、その判断基準に損得を絡め、全く何をしているのか分からない状態に陥ります。そのようにしてから、見せかけだけを純粋そうにカモフラージュして、都合を最優先し、決定をするのでしょうね。この場合は汚れています。バレてます。あははは。

 よって、純度を保つためには、空氣体瞑想をして、空からのダルマ法則を知る必要があります。

 いにしえからの聖書や神道では、宇宙自然のダルマ法則に従うために、主なる神様や八百万の神様の預言やお告げを頼りにしています。しかしながら、いつも悪用しているか、邪見に落ちています。その原因は、神意識と人間意識では、次元が違うので、インスピレーションで送られてくる言の葉でも、神と人間では違う意味(波動)になってしまうのです。結果として両者の間では、正確に交信が、通じていないのです。

 だから、子供でも分かる「アンパンマン正義」は重要なのでしょう。(和至は、アンパンマンを読んだことがない。あははは)

 さて、月日は流れて、昭和9年(1934)になりました。

 今日は、崇と千尋、そして、のぶ子も成長し、のぶ子は高等女学校の4年生(16歳)になりました、の一席です。

 瞑想の事については、本文中に書いたのでここでは省きます。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空気体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空気(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた然るべき反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら癒され、強くなり、進化しながら癒され、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。それが本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 釜じぃの作った窯で美味しそうなあんパンが焼けた。今日から、家の前で「朝田パン屋」の開店です。一個3銭です。

 しかし、思ったようには売れません。やっと買ってくれたのが、寛院長の奥さまです。10個買ってくれました。

 お客さんは、団子の方が安いので、そちらに流れます。

 じゃぁ、あんパンに醤油煎餅で作った櫛でも刺しますか?甘いのと辛いのは、バランスがいいかも。(このアイデアを使う場合は、和至へのお礼をよろしく。プロフィール参照)

 学校が終わるとハチキンのぶは、すぐに家に帰り、あんパンを岡持ち?に入れ、商店街で売って歩きます。次女の蘭子も一緒です。幼い女の子の健気な商売です。

 要するに、同情を引いてでも、あんパンを売るしかないのです。

 高知にいる実母の登美子から崇にハガキが届いた。崇は大喜びです。ハガキには、「まだ用事が済みそうにないので、迎えに行けない」と書いてある。が、崇は気にかけてもらっただけで嬉しいようです。ハガキを見たのぶ(子)は、崇に、登美子が再婚していると、言えません。。。

 養子の千尋は、黙っているが、産みの親に会いたい気持ちを我慢している。そのせいで彼はストレスに弱く、何度も扁桃腺が腫れ熱を出していた。高熱の中で、千尋は「お母さんに会いたいきぃ」と言う。崇は千尋の気持ちが痛いほど解ります。

 その夜、崇は床に入り、どうしたらいいかを考えています。なかなか眠れません。

 翌日の日曜日、崇はシーソーのある遊び場で、お母さんが去って行った時の絵を描いていた。そこへ、あんパンを売りのハチキンのぶが来た。

 のぶ(子)は崇の話を聞き「ハガキが来ちゅうが。なら、住所がわかるきに、お母さんを迎えに行ったらええ」と、アドバイスしてしまった。

 ・・・そして、崇は誰にも言わずに、高知の登美子ところまで線路沿いを歩き始めた。誰かに言えば止められる。。幼い崇は、弟の千尋と自分のために、現実を、、、登美子の気持ちを確かめるしかないのです。

 あんパン売りのハチキンのぶは、やってしまいました。

 柳井病院では、崇がいなくなったので、お手伝いさんが探し回っています。

 まっ、のぶ子が事の成り行きを釜爺ぃたちに話したので、すぐに崇の居場所は判明するでしょう。

 歩いて高知の街に着いた崇は、あたりの人にハガキの住所を尋ねながら、登美子のいる家を見つけました。

 登美子が再婚した相手は呉服屋で、街では有名な豪邸です。

 崇は勇気を出して「ごめんください」と言った。すると、上等な和服を着た登美子が出て来た。彼女は「崇・・・」。崇は「かあさん・・・」。

 これから、現実が明らかになります。

 今日は、命がけになったとき、純粋な思いの(幼い)魂は嘘や方便だけでは、人生を前に進めることができないのです。それで、崇は真実を確かめようと、高知まで歩きました、の一席です。

 崇も千尋も父親が亡くなったとき、涙が出なかったと言っていた。そして、崇は長い距離を歩き母親に会えても、「お母さんー」と泣きつかなかった。

 この成り行きで、漫画「アンパンマン」(和至は読んだことがない)の正義を考える時、「アンパンマン正義」は、かなり深いかもしれない。

 つまり、あんパンは初めから食べられるために生まれて来たわけで、しかし、なかなか売れないこともある。崇も千尋も運命(親も含む)に翻弄されるために生まれて来たようなところがあって、だから、運命(父親の死。養子。母の登美子)に翻弄されても、涙も出ないし、運命に縋りつくこともしない。

 崇のモデルは、そんな気持ちの中で「アンパンマン正義」を見つけ出そうとしたのだろう。そう推測される。

 と言うことは、売れ残りの(=売れない)あんパン(=崇)が気持ちよく消えて行くために、せめてもの「アンパンマン正義」を描いている可能性がある。

 えっ、日本の子供って、こんな難しいテーマを、漫画を通して、何気に察知しながら読んでいるわけ?

 漫画「アンパンマン」は子供向けなのに、その精神性の本質は、すこぶるレベルが高ーーい。しかも子供たちに、物語の中にある感動が、通じている。参ったなー。まじかぁー。

 そりゃー、小説が売れなくなるわー。まっ、和至は小説を読まないから、現代の小説がどの程度のレベルかを知らないけど・・。あははは。

 と言うことで、精神の本質を向上させるために、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、魂のレベルを上げましょう。これは意識波動を上げることなのですが、それは、見えないところを見えるように察知したり、その察知したものを描いたりできるようになる事でもあります。

 芸術家には、空氣体瞑想が必要・・かもね。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空気体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空気(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた然るべき反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら癒され、強くなり、進化しながら癒され、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。それが本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 フーテンのパン屋・草吉は、のぶの頼みを聞き入れ、朝田家で一回だけパンを焼くと言った。

 のぶは、草吉の指示に従い、団子屋にアンコを仕入れに行く。団子屋の桂さんも朝田家を訪れた。

 そして、フーテンのパン屋・草吉の登場です。この男の顔を見るなり、釜爺ぃは、

「なんだとぉー、この詐欺師が。二度と、うちの敷居はまたがせん、言うとったがじゃろうがあー」と怒った。しかし、釜爺ぃは腕を骨折しているので、力づくの喧嘩にはなりません。

 フーテンのパン屋・草吉は、さっそく、パンを焼く釜を作り始めました。桂さんもくら婆さんも手伝っています。

 石材屋なので石はたくさん有ります。とりあえず、焼き窯は作れそうです。

 釜作りを桂さんたちに任せ、草吉は、秘伝の麹を使ったパン生地を練り始める。その生地でアンコを包み、あんパンの種ができる。あとは発酵させ焼くだけです。

 不格好な石窯ではあったが、膨らんだあんパンの種を入れると、いい焼きぐわいに仕上がった。のぶのアイデアは形に成りました。

 のぶが宣伝し、近所の人が集まって来たので、草吉は10銭で売ると言う。しかし、みんなが高いと言ったので、羽多子が「今日だけ、2銭じゃきに」と宣言し完売させた。

 まーね、パンが余っててもしょうがないので、のぶと羽多子の、女の連係プレイに、草吉は勝てません。

 その勝てないついでに、羽多子はフーテンのパン屋・草吉に「屋村さん、あてにパンの作り方、教えてもらえませんろか」と申し出た。彼女は「あなたが真剣に作ったパンを、みんなが幸せそうに食べいうのを見て、あてら家族が、生きてくために出来ることは、これかも知れん、と思うたがです」と訴えた。

 釜爺ぃはもちろん反対ですが、そこは、ほれ、のぶと羽多子、くら婆さんの連係プレイで、働けない釜爺ぃの怪我を責めるでもなく、稼ぎの事を言う訳でもなく、今、踏み切らないと一生後悔すると思わせるような雰囲気を醸し出し、釜じぃを、優しくしっかりと詰めた。

 草吉も職人としての意見を言おうとしたが、彼は、情の糸でつづられた蜘蛛の巣に引っかかった虫けらと同じ状態です。どうあがいても、抜け出せそうにありません。こういう場合、羽多子があんパンを作れるようにならなかったら、草吉のせいになります。

 あのね、「今、ココ」それを、生き切ろうとする女が三世代並んでいるのです。その連係プレイを舐めてはいけません。

 釜爺ぃも草吉も腕のいい職人です。なので、言葉にならない女の理屈を肌で感じています。『この女たちの命がけの意見に逆らうと、あとからじわじわと身動きが取れなくなる』、そう感じるのです。それは正解です。ハハハ。

 明治の女は忍耐力があり、強くて賢さがあります。彼女たちは頭を下げながら、自分の言葉の向こう側で、声にしないまま、男の存在価値を問うてくるのです。厳しいようですが、職人は技術と技があるから価値があります。

 その場合、能書きや理屈以上の価値を、男たちは行動で示すしかないのです。

 それを知った上で、明治の女は、最後の一線になったとき、捨て身で正当な勝負をしてきます。以上です。

 釜爺ぃもそういうことは心得ています。なので、彼は、あんパンを焼くための釜を作る、と約束しました。

 草吉は、羽多子に美味しいパンを焼かせるしかありません。

 この女三代は、相手が天使あろうと詐欺師であろうと、そんなことはどうでもよく、みんなが喜ぶから、パンを焼こうと思ったのです。もちろん生活費をかけていますが、それは言いません。誰かが、そこを突っ込んだら、女の化粧をはがすようなもので、それを言っちゃー、男である釜じぃと草吉の存在価値もなくなります。そうでしょっ。

 これはね、言葉にできない絶対的人情の理屈です。そしてその意味は「あんた、この子を残して、泣くの?笑うの?死んじゃうの?」です。勝てません。あはははは。

 ということで、フーテンのパン屋・草吉は、釜じぃの弟子の豪と、狭い部屋で、一緒に寝ることになりました。

 つまり、女三代の蜘蛛の巣に引っかかった草吉が自由になるためには、羽多子が美味しいパンを焼けるようにするしかないのです。人生だな。フーテンだな。

 羽多子が美人だったら、こういう難しいことを言わなくとも、フーテンの寅さんが、石屋になって頑張るぅー、のでしょね。寅さんは役に立ちませんけど、女は笑います。

 夜明け前になり、草吉はどこかに出かけた。朝が来て、朝田家の人たちがあちこち探しまわったが、草吉は見つからない。

 昼頃、草吉は帰って来た。彼は、小麦粉の重さを計る計測器や、パン作りに必要な道具を、朝田家のツケで買って来たのだ。

 その間に、釜じぃと豪は、上等な焼き窯を作った。

 そう考えると、石屋で焼き窯を作ったので、初期投資が少なくて済んだ。正解です。

 崇と千尋は、あんパンが毎日食べられると思い、楽しみにしています。千尋は、あんパンを食べると、母親の登美子を思い出すようです。

 高知にいる登美子から崇に、ハガキが届いた。しかし、登美子の苗字はない。

 今日は、男尊女卑のようであっても、実際の明治の女は、忍耐力があり、強くて賢かった。なので、男たちは自分の存在価値を生きるしかありませんでした、の一席です。

 現代の男も、自分の存在価値を自覚するために、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れておきましょう。そうすれば、宇宙自然のダルマ法則が感覚的に分かるようになるので、宇宙が決めた自分の存在価値を生きるようになるでしょう。すると、善き女にもてるようになるかも。

 戦後の昭和、平成、令和の男たちの半分は、生き様がふにゃチンになっているので、そんな男を卒業し、生き様がカッコイイ男に成りましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空気体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空気(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた然るべき反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら癒され、強くなり、進化しながら癒され、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。それが本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 石柱が倒れ、釜爺ぃは右腕を骨折した。腰も痛め全治三ヶ月です。彼は石屋の仕事が出来ません。大変です。

 まーね、痛い目に会っているのに、物事を正しく察知しようとしないのが人間でしょう。降りかかって来た厄を強気で撥ね返すのはいいのですが、まともな浄化をしないから、結局ところ、自分に帰って来て身体が壊れています。

 だけどねー、強い奴には、最後の最期にならないと、厄が降りかからないと言うか、強い奴は、最後の最期まで厄を人に押し付けるよね。そして、厄が数万倍にもなり帰って来るので、強い奴は非常にひどいことになるようです。これを万死に値すると言うのですが、生まれるたびに苦しむのです。地獄です。だから、厄の小さいうちに浄化した方がいいんです。

 浄化のために、例えば、瞑想をする、挨拶をする、ありがとうを言う、少し広めに掃除をする、小さな親切をして徳を積む、自他に合掌をする、などなどがあります。(追記です。説明が足りませんでした。これらの事は、この世を風景と感じて、それに対して行う感じです。だから、誰も居なくても、風景に挨拶などをしたらいいのです。誰かいる場合は、怪しい奴と思われるので、心の中で挨拶をしましょう。意味が解りますかね?まっいいや)

 そんな中で、もし宇宙自然のダルマ法則に合った徳を積むことが出れば、無限の善業に繋がる徳を積むことが出来るのです。それは、死後にも通じる徳です。

 しかし今の世の中は、欲ボケ者が、誰かのために寄付を集めて私腹を肥やし、海外援助をしてキックバックをせしめている、のが実状でしょう?見たわけではありませんが、徳を積むどころか、悪業を積んでいます。それでも、当の本人たちは上等な人間だと自分に暗示をかけ、誰かに厄を押し付けているのです。バカです。

 真理とは、誠の理(ことわり)です。世間への嘘も、自分自身への嘘もすでにバレています。気づいていないのは、暗示にかかった本人だけです。

 そういう流れで、カリユガの時代が、災難という浄化で終わって行くのです。ヨハネの黙示録16章に、「島々は逃げ去り山々は見えなくなった」と書いてあります。それはたぶん、地軸が動くのでしょうね。

 もしそうであるのならば、人間は、霊体であるアトラス体や魂の身体?の事を知っておく必要があります。ざっくり言うと、それらの身体は、空(くう)のエネルギーから出来ています。なので、空と肉体で作られている自分を浄化して、その魂を癒せばいいだけです。自分を浄化することで、同時に他人も浄化していれば、宇宙自然のダルマ法則に合った善業を積んでいることになるでしょう。こういう浄化は一人で出来ますが、よくあるイメージワークとは違います。ただ透明な空のエネルギーを流すだけです。そのために、空氣体瞑想をしましょう。これをしていれば、やがて分かるようになるでしょう。宇宙のエネルギーの流れの中で、唯一、今は、それが出来る時期なのです。

 結太郎が亡くなり、釜爺ぃが怪我をして、朝田家の収入がなくなりました。内職も途切れています。このあとの三か月が、食べて行けるか、どうかわかりません。大変です。のぶは、節約のため、学校へ弁当を持っていきません。

 なので、お昼休みに崇が心配して、のぶに弁当を差し出しました。二人は、半分こにして弁当を食べ、愛情を育んでいます。

 なるほど、食事は愛情を育むものだったんですね。乾いた夫婦はお互いに合掌をして、ご飯を食べましょう。どうでもいいか。

 朝田家では、釜爺ぃとくら婆さん、羽多子がどうやって生活していこうかと、お金のことを考えています。弟子の豪は、「わし、大飯ぐらいじゃきに、首にしてくだっせい」などと言っている。釜爺ぃは腕を骨折しているので、豪がいないと仕事になりません。

 釜爺ぃは石柱に挟まれたあとに、情の板挟みで大変です。

 まっ、動ける人が、何か新しいことを始めるしかありませんね。

 そして、のぶは、フーテンのパン屋・草吉にあんパンを焼いてもらい、自分たちで売るというアイデアを思い付いた。

 のぶはフーテンのパン屋・草吉を朝田家に連れて来たが、釜爺ぃは、草吉を詐欺師扱いして、大変な剣幕で怒った。釜爺ぃは、「人の弱みにつけ込むような卑怯で浅ましい商売をするような奴は、帰れっ」と憤慨した。戦前の日本には、そういうところがありました。インチキコロナ商売とは、気概が違います。

 まーね、墓石も、結構、人の不幸の隣にある商売のような気もするけど、その人の気持ちと言葉、行動次第で、天使か、詐欺師か、紙一重のところかな。人間、その全てが綺麗なわけじゃないから、見極めが大切です。

 確かに、結太郎が石屋を継がなかったわけが分かる。この釜爺ぃを観ていると、職人と言いながらも、石と喧嘩をしている部分があるように思う。だから、やわらいあんパンとも、食べながら喧嘩する。結太郎はそれがあると小さく纏まるしかないと感じ、石屋を継ぐのをやめ、大きなことをするために商社に勤めたのだろう。もちろん彼にそういう自覚はありません。

 しかし、自分で大きくなろうとしたら、結太郎の心臓がもたなかった。難しいね。人には持って生まれたそれぞれの器があるからね。

 事業をバカ息子に継がせても、上手く行かない時もあるし、息子に、バカ息子の自覚があるから、事業がより磨かれるときもある。ただね、今は、そういう心の機微を、バカ息子の参謀が悪利用している、かもね。とほほ。

 のぶは、釜爺ぃに「うち、あんぱん、諦めんきぃ」と宣言した。

 のぶは走って、フーテンのパン屋・草吉が泊っている団子屋に行った。しかし、草吉は、詐欺師扱いされたので、この地に居ても商売にならないと判断し、団子屋を後にしていた。パン作りの魂を疑われたんじゃ、どんなに美味しいパンを作っても、意味がない。昔の職人はそういうところがあった。その上で、良い縁を探して行きつく先で商売をした。

 現代では、コンビニなどが、立地条件を考え、利益をシュミレーションした上で商売をしている。善き魂のカケラも良き縁も、無視です。あははは。

 でもでも、テレビでは、山の中の一軒家や山の中の繁盛店が取り上げられています。これもインチキでなのでしょうか?違うよね。

 足の速いのぶは、駅へ走った。草吉がいなくなると聞いて、崇ものぶの後を追った。

 駅に着くと、フーテンのパン屋・草吉がいた。

 のぶは、草吉のあんパンを褒め、善き魂のこもったあんパンを作ってくれるよう懇願した。そうしないとご飯が食べていけないと泣きついた。「釜爺ぃは、うちが説得するきぃ」とたたみかけた。崇も「お願いしますっ」と頭を下げた。

 しかし、フーテンのパン屋・草吉は、フーテンの寅さんではありません。フーテンに、町の人からの信用が無かったら風に吹かれる屁と同じ。居ない方がいいのです。

 フーテンのパン屋・草吉は、汽車の切符を見せて、改札に入ってしまいました。

 汽車が来て、乗客が降り、再び出発しました。

 のぶと崇は、待合席でうなだれ座っています。

 とそこへ、フーテンのパン屋・草吉が戻って来た。彼は、汽車が入って来る間に考えた。『パン屋が美味しいパンを作るのは、当たり前。しかし、ただパンを作るだけで、人を救えるチャンスは、滅多にない。ここで逃げたら、永遠の詐欺師になってしまう。詐欺師扱いをしているのは、釜爺ぃだ。その孫ののぶがパンを焼いて助けてくれと言っている。ここは、フーテンのパン屋・草吉としても、徳を積むところでしょ。あったり前田のクラッカーっ』と考えた。以上です。

 今日は、困ったときはお互い様、と言いながらも金銭的利益が絡んで、物事がややこしくなっています。そもそも、どこまで純粋性があり、どれだけの調和があるのかも、見えません。どうします?の一席です。

 物質界では、純粋な真心や精神性、そして徳を積むことが、お金の利益計算をしただけでは見えて来ません。汚れた奴ほど、声高に、自分の行いについて理屈屁理屈を付け、称えたがります。欧米人、中国人、半島人、大陸型人、一部の反日日本人などは特にそうです。「あんたが大将ー(皮肉)」です。

 その見極めは簡単すぎるので、さておき、どうせ、人間は大なり小なりに汚れているのだから、その人の言葉、動き、意識を超えた真理への浄化が必要です。

 最も強烈な浄化は外宇宙の純粋空ですが、とりあえず、3次元宇宙内での空もありますので、それで浄化しましょう。

 浄化のために、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れておましょう。

 その上で、腐っているところにいる人は、やることが汚くて醜いので、嘘自体を調査すれば、すぐにその状態が判明するでしょう。彼らは嘘をつかなければ、現実のつじつまが合わないからです。

 だから、みんな嘘をついています。嘘も方便などと言っています。ひどい話です。

 それゆえ、隠している雰囲気があれば、チェックと注意が必要です。その前に、すぐにバレる嘘をつく人もいます。

 そんなこんなで、天使か詐欺師化の見極めは、意外に簡単です。空氣体瞑想をして、空の感性である洞察力を、磨きましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空気体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空気(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた然るべき反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら癒され、強くなり、進化しながら癒され、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。それが本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 釜爺ぃは、息子である結太郎の墓石に、せめてもの慈愛を込め名前を刻み込んだ。最高の出来だった。結太郎が生きているうちに、この最高の慈愛が示せればよかったのにね。まー、結太郎は長男だから、多分その父の慈愛を裏切るだろうけど、釜じぃは、ほっておけないだろう。親子でも、いや、親子だからこそ、そんなつもりはないんだけど、どっちかが、大なり小なり裏切るのだ。親子の感情は何気に繊細です。

 長子あたりだと、親を裏切ることで、親の心配や許しを受けることになる。ボンクラ長子などは、そこにこそ、親の慈愛を感じてしまうのでしょう。でも、それに気づいていません。あははは。

 だからよぉー、お互いに切っても切れない状態になり、依存して生きるようになるのです。それだからこそ、昔は、親の老後も安泰だったのでしょうね。

 現代では、年寄りが老人ホームへ行っています。入れられています。

 依存を避けているのか、面倒くさがられているのか、常に、「愛は、無常で無償です。」永遠の愛は、自分の中に、、、有るのか、無いのか。。。

 ただし、その愛の無常で無償なところを悪利用して、日本の老齢年金は、外国(欧米?中国?半島?など)か、財務省か、反日官僚か、政治家関係に取られてしまいました。詐欺です。しかも現代では、定年を伸ばし、年金を少ししか払わないつもりのようです。その上、若者は、年金額の負担が大きので、年寄りは「早く死ね」みたいな感じなっています。

 日本の年金政策は、慈愛などそっちのけの醜いやり方で、誰かに年金を食われてしまったのが現状です。そりゃー、誰も何も信用しなくなるよね。だから、大浄化のために、地震が来ても仕方がないのです。奈良山伏河野「姥捨て山」。

【姥捨て山(うばすて山)】あらすじをサクッと簡単にまとめてみた!|3分で読める!昔話の簡単あらすじ

 聖書のヨハネの黙示録第16章に、「それでも、人々は悔い改めなかった」と書いてあります。が、まーね、年金だけ見ても、悔い改めようがないやな。もう使っちゃんだからお金はありません。泥棒です。しかも、今の経済状況をみれば、年金を使っても、失敗したようです。外国も日本も不様です。あはははは。欧米と中国と反日半島系、反日日本人が絡むと、古代からろくなことが無い。

 朝田家の墓地に結太郎の墓が完成した。納骨を済ませ、家族みんなでお祈りをしています。

 お墓へのお参りは、物質界を超えてあの世に行った先祖を通して、透明な空(くう)の慈愛を感じることです。生きていた時のお互いの助け合いや依存が、それで昇華し、より精妙で普遍的な慈愛になっていくわけです。お墓参りは、そんなシステムでしょうね?

 まっ、仕組みさえわかれば、お祈りは仏壇と位牌でいいわけです。それに、明治以前は、神仏習合なので、それによって人格神と空(くう)を融合する方向に進んでいたと思います。たぶん、その融合によって、慈愛を精妙化しようとしていたのでしょうね。上手く行っていたのか?は、わかりません。

 要約すると、正しく正真正銘に(=正式に)生死を超えることから、本物の慈愛が解るようになるのでしょう。そして、ある種の霊能力も授かるようです。お釈迦さんも菩提樹の木の下で「死ぬまで動かん」と言って瞑想に入られました。仏像の下に蓮の花があるのは、慈愛の象徴です。

 フーテンのパン屋・草吉は、通りかかったのぶと崇に声をかけ、一緒に朝田石材店まで来た。そして、この前のあんパン代を払って欲しいと強気に訴えた。草吉もお金が無いのです。

 釜爺ぃは、「人の弱みにつけ込んで商売しよって」と激しく怒ったが、くら婆さんがへそくりから50銭払った。2500円ぐらいかな?(この前調べた時は、AIが10銭は500円程度と示したが、今調べると、10銭は60程度になっている。まっいいや。)

 釜爺ぃも、結果的にだけど、助けてもらった恩ぐらいは感じた方がいいね。後で、ロクなことにならない、かもね。ただね、釜爺ぃも、真っ当な気持ちに頑固な人だから、自分の主張が正しいと思っているだろうね。。。

 毎度のことながら、世間の人の気持ちは、お金と恩の駆け引きです。恩とお礼のやり取りなら、良い世間が成り立つかも知れないけど、汚れた奴には通用しないのが現実でしょう。そもそも清浄な者が少ない。

 3人娘の母親である羽多子は、親切な饅頭屋さんに無理を言って、箱作りの内職を貰って来た。彼女は、子供たちの学費を溜めようとしています。

 夜は、羽多子、くら婆さん、のぶ(子)、蘭子、メイコで、内職をします。次女の蘭子は器用ですが、三女のメイコは小さいので邪魔です。彼女は寝るまで、ひとり遊びをします。

 釜爺ぃは住職に「なんでもいいから、石屋の仕事をくれっ」と頼んでいます。

 のぶは学校から帰ると、内職で作った箱を饅頭屋さんに届けます。

 父親の稼ぎがなくなると、子供も大変なんだね。気づいていなかったのだろうけど、結局は、家族みんなで助け合っていたようです。だから、これからも…慈愛道かな?

 千尋は、崇のことを「お兄ちゃん」と呼ぶようになった。崇は千尋に、亡くなった清が本当の父親なのだと話していた。それと同時に、崇は、本当の兄弟であっても、今の千尋は寛院長の子供なので、その立場は越えられないとも告げていた。

 崇も千尋も、いい人に囲まれているのですが、どこか、節度を持って遠慮がちに生きるしかありません。

 そんな時、寛院長は崇に、漫画「少年倶楽部」を手渡した。崇は漫画が好きだった。

 崇は千尋と、漫画「少年倶楽部」を並んで読んだ。その本は、出版社に勤めていた時代にお父さんが制作した雑誌です。数冊もあります。二人は、漫画を読みながらお父さんを感じています。

 さて、朝田石材店ですが、みんなが内職をしているので、ひとり遊びの幼いメイコは作業場に入ってしまいました。

 弟子の郷さんがメイコを違う場所へ連れて行こうとした時、そのはずみで大きな石柱が倒れて来ましたっ。

「あぎゃーーっ」

 今日は、あんパンによって、家族が精神的に助けてもらったのに、釜爺ぃは、そのことを無償の愛の精神だと思い、代金を請求したフーテンのパン屋・草吉を叱りました。しかし、草吉もお金が無いのです。釜爺ぃも、これからお金が必要です。数日たって、釜爺ぃの上に石柱が倒れて来ました、の一席です。

 まーね、厄がどこに出るかということですよ。釜爺ぃの場合はまだ納得できるところもあるけど、世の中では、厄を受けるべき人が、その厄を他の人に押し付けている場合もあります。押し付けた人は後で大きな厄を受けて大変でしょうけど、その前の症状としては、言い逃れをしながら、すべきことを十分にせず、「自分はちゃんとやっている」と言い聞かせ、必死で生き延びようとする感じになります。それで、合法的な泥棒になったり、嘘を流したりしています。NHKなどはそれかな?

 この世では、あちこちに厄が転がっているので、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、今の自分で、浄化できるものは浄化して癒し、昇華できるもの昇華し、自他の進化に繋げましょう。ただし無理はイケません。

 残りは、空のエネルギーと一緒に流しながら、その循環の中で、悪業の自業自得に成るようにしましょう。その結果は、人間の決めることではありません。

 もしも、こねくれば、さらにややこしくなり、ドロドロの依存症になるかもね。世間では、そういうのが多いいので、気を付けましょう。

 依存症になっていたら、空氣体瞑想をして、丸ごと空のエネルギーで流し浄化しましょう。ただし、相当きついかも。結果は、神のみぞ知るです。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空気体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空気(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた然るべき反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら癒され、強くなり、進化しながら癒され、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。