「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 茶の間の椅子に座り、千尋は穂積陳重の「法窓夜話」を読んでいた。寛院長も読んだことのある法学の本です。二人の会話は弾む。

 そこへ、崇が登美子を連れて帰って来た。登美子は「あちらの家は離縁してきました」などと言っている。しかし、実際は離縁されたようだ。あははは。すげぇー、女だな。

 しかし、どういうこと?登美子は寛院長の紹介で、高知の呉服屋へ、後添えとして入ったんじゃなかったのかなぁ?違うの?

 登美子は、柳井病院にしばらく置いて欲しいと言っている。彼女は、すかさず、千尋の成長を褒め、それによって、産みの親である自分の存在価値の因縁を、誇示した。

 御免与町の寺の住職、天宝和尚の話だと、登美子は呉服屋の主人に離縁され、別の人と再婚したが、そこも追い出されたそうだ。ということは、寛院長の紹介で呉服屋に納まったのではないようだ。。。意味不明。

 登美子は、男を捕まえるのが得意なのかも。彼女は、お茶、お花、お琴、などを身につけていて、それでも、女が一人で生きて行くのは大変なのだと言う。ということは、お姫様になりたいんだね。でも、お姫様の家柄ではないやな。こういうのは、ねじ曲がった世の中を、さらに捻じ曲げる。

 寛院長の嫁である千代子は登美子に「いつまで、この家にいらっしゃるがですか?」と問うた。登美子は「私は、崇の事が心配なんです」と返した。千代子は「再婚先で、以前にはなかった、親心を学んでこられたようですがね」と登美子の不出来を指摘した。登美子は「おかげさまで」と開き直る。あーぁ~、女同士の火花、バチバチです。

 登美子は、元来、人の情の裏側を餌に生きるタイプなんだね。じゃぁ、水商売が性に合っているかもね。こうなると、まともなことを言って通じないだろうね。

 この手のタイプの者は、どこからか、美味しい話が舞い込んでくると、さっさとそっちへ行く。悪い意味で、自分が一番かわいいのだろう。

 GHQのエセリベラル教育のせいで、戦後の日本人のほとんどが、善い意味でも悪い意味でも、自分が一番かわいい者になったんじゃないかな。そこに正義はあるんかい?有る時と無いときがある。

 しかし、登美子は戦前の生まれです。ということは、明治維新以降の西洋かぶれのエセリベラルに洗脳されている可能性がある?しかし、登美子は、茶道、華道、琴を身に着けている。意味不明だ。なんなの?この女。。。

 登美子はどう見ても第一子の長女だ。で、こういう感じの女は存在する。自分流の正義感が強い。このタイプの女はだいたい自分で稼いでいる。その上、超負けず嫌いだ。

 土地柄は高知です。高知の海の男は酒が強くて、荒くれだ。登美子とはぶつかるだろう。

 登美子には、戦わずに、すぐに逃げる男がいいかも。

 じゃぁ、・・・登美子は、フーテンのパン屋・草吉と暮らして、あんパンを売ればいいのかな。ややこしいなぁ。

 産みの親の登美子が柳井家に来たので、千尋は、育ての親の千代子の心情を考えてしまう。養子の彼は、どういう心持で家にいればいいのか分からないのです。

 千尋は、自分の魂の意図するところだけには、正直でいたい。

 登美子は、崇の部屋を訪れた。彼女は、賞を取った崇の漫画を見て、声を出して笑った。何よりの誉め言葉だ。彼女は「やっぱり、清さんの子だねー」と崇を愛おしく抱きしめた。崇は、母性愛に飢え、それでも生きて来たから、一瞬で骨抜きになる。なんだかなぁ~。

 登美子と崇は、二人で甘味処へ行くことにした。甘味処で、二人で並んであんみつを食べていた。登美子は昔も今も柳井家に居ずらかったと不安を語る。だから、崇は、今度はいつまでも居ればいいよぉ、と慰めた。

 そこへ、のぶ子が来た。

 のぶ子はさっきまで、シーソーのある空き地で、千尋と話していた。千尋はのぶ子に「登美子と正面から向かい合うと、ひどいことを言うてしまうきに」と伝え、しょげていたのだ。

 人の家の事なのに、のぶ子は、千尋の、かのストレスを背負っているので、登美子に対して黙っていられません。ハチキン正義で、彼女は登美子に対して、

「8年前のあの日、千尋君が熱を出しちゅうとき、『お母さん」と呼ぶがに、崇は一人であなたに会いに行ったがです。そがんがでも、あなたは崇を追い返し、ずっと、音沙汰なし。それで、ええがですか?今更、何しに戻ってきたがね。何しに帰って来ちゅうがですか?これ以上、崇も千尋も、傷つけるがは、やめちゃってください」と、崇と千尋の代わりに、泣いて攻めた。懺悔を求めた。

 すると、崇が「もう、止めてくれ。。。のぶちゃんは、母親に捨てたれたことないだろっ。・・・それでも、僕は、ずっとこの人に会いたかった」と声を上げた。

 さらに崇は「のぶちゃんに、何がわかるんだよ」とも付け加えてしまった。。。

 あのね、崇の味方は、幼いときからのぶ子だけだったろっ。・・あらら。なんだよ、崇。

 これで、「アンパンマン正義」が真っ黒クロスケに焦げ付きました。どうあがいても食べられません。

 どうすんの?崇ーー。たっすいがー(へなちょこ)だなぁ。

 のぶ子は、悔し涙を流しながら、歩いて家に帰った。

 しかし、登美子は、千尋が産みの母を求めていることを知ってしまった。あーぁ~、だね。

 次の日の朝、柳井家の朝食時です。

 「法窓夜話」を読んだ千尋は寛院長に「ワシは医学ではのうて、法学を学ぶことにしました。将来は法律家になりたいと思うちょります」と話す。

 その理由は、食べるもんのない子たちや、男尊女卑の社会で虐げられた女性を、法律の力で救いたい、という「志」を、、、、彼が持ったからです。

 これはー、登美子が千尋になにか吹き込んだかも。彼女は、高知は男装女卑が激しいから、女が辛い思いをしたなどと言ったかも。額面通りには、受け取れないなぁ。

 柳井病院の跡継ぎがいなくなって、衝撃を受けたのは千代子です。

 しかし、登美子は「崇が医者になればいい」と勝手にのたまっている。崇には、寝耳に水の話です。崇が医者になるのなら、柳井家に登美子の居場所が出来ます。

 千尋は「世間にある重しを撥ね返し、我が道を行く人を見て、ワシもああ生きよう、そういう人らの力になろうと思うたがです」と言った。

 これは、千尋の「アンパンマン正義」なのでしょうか?

 どういうこと?「法窓夜話」を読んだにしても、この場合、世間の重しを撥ね返しているというか、世間から撥ね返されているのは、登美子だよね。登美子は千尋を上手に誘導したのかなぁ?

 今日は、「アンパンマン正義」という夢の道が見えていたのに、登美子が帰って来て、千尋も崇も妙に現実的な「アンパンマン正義」に変わってしまいました。大丈夫なの?の一席です。

 「アンパンマン正義」にもレベルがあるように、空(くう)の意識にも3段階のレベルがあります。生命エネルギーである金色のプラナエネルギーにも純度のレベルがあります。

 各レベルによって、物の見方が違ってくるので、現実が善くても悪くても、空氣体瞑想をして、空(くう)の氣を流しましょう。

 意味無く、意図無く、宇宙自然の通りの氣が、正しく流れてくれ、流れてくれ。

 全部が不純な時は、浄化のための祈りが必要です。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 のぶ子は気になることがある。

 それは、パン食い競争のとき、パンの下で、のぶ子が押されて倒れそうになった時ことです。誰かがのぶ子の背中を支えてくれたのですが、彼女はそれが誰か分からない。もし、のぶ子がコケていれば、一等賞を取れませんでした。

 さて、のぶ子とクラスメートのうさ子は学校から帰っていた。うさ子は、今日の今ごろ貴島中尉が海軍に帰る、と言った。

 のぶ子は、すぐに駅に向かって走る。彼女は、朝田パンと共に、貴島中尉に大変お世話になったので、一言お礼を言いたかったのだ。

 えーと、のぶ子は、落ち込んでいる時に傍にいてくれた崇も励ましたいし、行動力とアイデアのある貴島も気になる、そして、ラジオをくれた正義の千尋にも、感謝しかありません。あと一人、目ぼしい男がいれば、金玉が8個で、ハチキンでっす。あっ、草吉がいるかっ。・・でも、あいつの金玉はいらない。誰にも言えない女心です。

 走りながら風になったのぶ子が御免与駅に着くと、貴島が待合所にいた。間に合った。

 のぶ子は、「貴島中尉のお陰で、志のある、やりたいことが見つかりましたきに。女子師範学校に進学し、体育の先生になろうと思うちょります。ありがとうございます。」と話した。貴島中尉は「おう、それはええ。一生懸命、頑張りなさい」と賛成した。

 パン食い競争の時に貴島が審判をしていたので、のぶ子は自分が倒れないように支えてくれた人は、誰なのかを質問してみた。貴島は、あれはー、2等になった学生だったと答えた。つまり、千尋君です。

 のぶ子がコケずに1等になれたのも千尋君のお陰で、商品のラジオをくれたのも千尋君です。

 汽車が来たので貴島中尉は、のぶ子に対し「じゃぁな、勉強、頑張れよ」と包むように、しかし、それを隠すように言って、敬礼した。のぶ子は深くお辞儀をしたが、貴島中尉の覚悟に気づけません。まだ、夢のある女子です。

 崇は、入賞賞金の為替を換金した。のぶ子は賞金を見て、入賞を喜んだ。朝田パン屋の蘭子とメイコ、そして、フーテンのパン屋・草吉も、おごってもらうことを前提に「崇さーん、おめでとうーー、すごーーい」と喜んだ。

 まーなー、不純でも、喜んでくれれば、崇もおごる氣になれるだろう。世間では、入賞がどうしたの?おごってくれんの?みたいな連中は多いい。そのくせ、おごらなかったらケチだなどと言いふらす。あははは。

 まーな、崇も甘く見られそうだからなぁー・・・氣を付けてね。

 次の日曜日、パン食い競争の宣伝が功を奏し、夢が浜のお客さんから、あんパンの大口の注文が入っていた。それで、草吉、のぶ子、蘭子、メイコの4人で配達に行く。

 配達の帰りに夢が浜の海岸で、草吉と三姉妹はかき氷を食べていた。そこへ、崇と千尋が来る。二人は、草吉に呼ばれていた。つまり、草吉は、崇の賞金で、かき氷などを食べようと考えたのだ。こいつ、せこい奴だ。

 ということで、今日は崇のおごりです。

 パン食い競争のときに支えてもらったので、のぶ子は千尋にそのお礼を言った。もちろん、ラジオのお礼も、志を持てたことも話した。彼女は、残り物のあんパンを千尋に渡す。

 千尋は「好きです・・・あんぱん」と言った。

 この関係をみていると、もしかしたら、千尋ものぶ子が好きなのかも?まだ、それは解りません。

 が、この流れだと、戦争が始まれば、千尋は神風特攻隊に入りそうだなぁ。。。善い人ほど、早く死ぬからね。

 そんなことになるとは思いもしない崇は、貴島中尉の次は、千尋にヤキモチを焼いています。

 まー、台本家が女性だから、ジェラシーやヤキモチという表現になるのだろうけど、ヤキモチではないな。どちらかというと、『女ごころが見えない』、そういう感じの不安なのだと思う。喪失感に近いな。

 説明すると、のぶ子(女)は、受けた恩に対し、至心に礼を言い、一度、清算するつもりなのでしょう。しかし、のぶ子(女)はエネルギー全開でお礼をしているので、のぶ子と心を通わせてきた崇は、のぶ子が自分から離れてしまったように感じる。ゆえに、崇(男)の感覚としては、ジェラシーというよりは、喪失感だと思う。

 崇の片思いは、失恋していないのに、失恋モードに入っているのです。意味不明だけど、それに近いと思う。あはははは。

 あのね、女の意識波動は螺旋状で、その認識は主観的に継続性があるのよ。ただし、この継続性に、永遠性は感じていません。だから、女は恩を感じた人には、継続性を一度終了させるために、エネルギー全開で清算するんじゃないかなぁ?

 男の意識波動は波型で、その認識は、波型の上の点だけ、または下の点だけを、飛び飛びに認識しているのよ。そのせいで、何かの場面が過ぎた時に、男は継続性を感じにくいのでしょう?だから、男は、女が自分以外の男に全力で何かをしているのを見るとき、一時的に物事の終わりを感じてしまうのだと思う。それで、男に喪失感が生まれる。

 例えば、男が、エネルギー全開の女の氣持ち察して、恋の終わりかと思い、そのことを話すと、女は「なんで、そうなるよぉー。男のくせに、ジェラシー?バカっかじゃないの?」とのたまう、、のかも。こういうのは、こじれます。ははは。

 まっ、のぶ子と崇は、付き合っているわけじゃないから、言い争いにもなりません。

 崇が草吉にジェラシーの相談をして、答えが見つからないので帰ろうとしたら、商店街に登美子がいた。

 登美子は8年間、崇に会ってないのだが、目の前の青年が崇だと気づき、「崇・・・」と言った。

 だからよぉー、女の意識は螺旋状で継続しているのです。しかし、その継続は永遠の愛ではなのです。それだからこそ、女は男に永遠の愛を求めるのでしょう。

 だけど、男の意識は、とぎれとぎれの認識しか出来ないので、女の求めるよな永遠の愛を表現できないのです。

 実は、認識が途切れている刹那の空間=波型の意識の点と点の間=意識がワープしているところに、刹那の空(くう)があり、そこが認識できるようになると、永遠の愛の在り処が分かるようになるのです。

 例えば、会えない時間にテレパシー的にお互いの事を考えていると、無個性の永遠の愛が育つかもしれません。それは、平等性のある博愛に近いものでしょうね。長く連れ添った夫婦の、(腐れ)縁を超えた人間愛と言えば、少しは解りやすいかも。

 今日は、未だ、告白していない崇とのぶ子の恋ですが、これから二人は長く連れ添って、人間愛とも言える「アンパンマン正義」を見つけるのでしょうね、の一席でした。

 ちなみに、波型意識における認識の点と点の間に空(くう)があり、空(くう)のところから、永遠の愛も博愛も人間愛も出てきます。

 それらに純粋性があれば、平等性の質も広くなり高くもなります。

 この平等性に、自然なダルマ法則である氣の流れを多く含んだ創造性が加われば、問題が解決しやすくなります。創造性が人工的だと、あとでその社会に問題が溢れます。例えば、完全人工肉などです。

 崇は漫画を描くという創造性の活動をしています。そのうちに恋の問題は解決するでしょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 パン食い競争でのぶ子は、ハチキン・ダッシュをした。

 ゴールで貴島中尉はタイムを取っており、「一等、朝田のぶ」、と宣言した。

 しかし、町長など、男しかいない役員連中は「おなごが、1等?」といぶかしんだ。会場の男どもも同様の雰囲気だ。男尊女卑の社会です。

 のぶ子の1等賞に盛り上がっているのは、少女と女たちです。

 まーな、男尊女卑の社会だったからと言っても、日本の家庭では「男子、厨房に入るべからず」だったので、家族の命を預かっているのは女の方です。

 そういう事情があって、日本の家庭では女の方が、最後には強かった。

(つまり、愛や愛情があっても毒を食わされたら男はそれで終わりなのだ。男からすると、女の愛も愛情も不可解なので、得体の知れないもの、・・・そういうものだと理解するしかない・・・のです)

 ゆえに、男は外で戦って勝ってくるしかない。稼いでくるしかないのです。当時もそれが現状だった。今でも同じ。

 そうであるのに、外の戦い、この場合はパン食い競争だけど、のぶ子が勝った。のぶ子は可愛いらしい女子です。

 そりゃー、男どもとしては完敗なわけで、そうなると、家に帰って、女房達はしばらくの間、のぶ子の1等賞を称賛するでしょう。男尊女卑の亭主の立場は、増々低くなる。それでは男が困る。あはははは。

 その雰囲気を読んで、伊達先生は、のぶ子に「おなごは、出場出来ん規則じゃきに、失格っ」と言い渡した。加えて、貴島中尉も「まぁーーぁ、仕方がないねや」と同調した。

(あれ?貴島中尉はのぶのためにラジオを用意したんじゃないの?どういうこと?まっ、兵隊さんは規則を守るしかないけど・・)

 のぶ子は精一杯やったので、仕方なく、一礼をして諦めた。彼女の味方がいない。

 のぶ子はここで泣くと、「おなごだから、泣けば、情けを引けると思うちょるきに」などと、卑下の追い打ちをかけられると知っていた。なので、飲めない息をのんで会場の外へ歩き始めた。

 すると、女の子であるために出場できなかった、あの少女がいた。その少女は、無言のままの笑顔で、

『おねえちゃん、やったねっ。1等、おめでとう。カッコ良かった。女の誇りじゃきに」とテレパシーで伝えた。のぶ子は、母性のある笑顔になった。彼女は自分に対して『負けたわけじゃない。勝負には勝ったきに』と心を温かくした。

 シーソーのある空き地で、のぶ子が今日一日の出来事を夕日に伝え、氣を流していると、崇が来た。彼は、

「のぶは、遅れてスタートしたのに、ちゃんと勝った。たっすいがー(へなちょこ)は、あいつらだ」と、彼女の代わりに憤慨した。崇はのぶ子の正義の味方です。

 のぶ子は、崇が仮病を使ってまでパン食い競争のタスキを自分に渡してくれたことを確信した。彼女は「ありがとうぅ」と言い、「うち、久しぶりに、風になって走った。こじゃんと気持ちよかった。うち、風に成れたらなんでもできる気がするきに。思い出したがっ」と伝えた。

 そこへ、千尋が一等賞のラジオを持って来た。

 千尋の話しよると、のぶが失格して、岩男が一等だった、が、岩男はパン食い競争のとき、パンをつるしてある紐を揺すって妨害したので失格になった。それで、千尋が繰り上げで1等賞になったとのこと。

 しかし、千尋の家には、すでに寛院長のラジオがある。なので、千尋は、「本当の一等賞であるのぶさんが、このラジオを貰うべきだ」と話した。

 のぶ子は「たまるかぁーー」と大喜びです。結果、オーライです。と言うか、正義の結果は、規則に関係なく、まともな心を持つ人間たちによって、繋がれ守られています。

 宇宙自然の道理の氣が、正しく流れました。

 パン食い競争なので、バッチリと的確な「アンパンマン正義」が成されました。

 たくさんのあんパンが、たっすいがー(へなちょこな男たち)に食べられたのですが、最後になって、貴島、千尋、崇などの男たちが、宇宙自然の正義を貫き守ったので、あのあんパンたちも、きっと、浮かばれることでしょう。

 のぶ子がラジオを持って家にかえると、豪が釜爺ぃに「ラジオが取れんで、申し訳ありません」と頭を下げていた。

 しかし、のぶ子は「見て。ラジオじゃきに。千尋君が1等賞になって、譲ってくたがぁ」と説明した。釜爺ぃは、のぶ子が走ったことを知らないので、「ええがかーぁ」と大喜びです。

 あのね、そうなんです。何処の家の主人も、妻や子から、細かな成り行きを伝えてもらえないのです。伝えると余計にややこしくなるからです。

 一家の主たるもの、そこを理解していないといけません。「知らぬが佛」と言いますが、「知らぬが、頑固なアホ主人」なのです。

 だから、正義(アンパンマン正義)がないと家族すら保てないし、やっていけないのです。

 あのっ、裏を読める賢い男ほどはつらいんです。あはははは。ちなみに、フーテンの寅さんは、真心もどきで失恋をしても、風に吹かれて忘れます。ついでに、自分のバカも忘れます。ハイ。・・・人生だな。

 ラジオの前に家族全員が記念撮影でもするかのように並び、釜爺ぃがスイッチを回す。と、次のオリンピック(ベルリンかな?)の予選放送が流れて来た。まだ、テレビもパソコンもない時代です。でも、スマホの代わりに、家族同士の「阿吽の呼吸」という、テレパシーは健在だった・・かも。

 次の朝、ラジオがあるので、のぶ子は家の前で「ラジオ体操」を始めた。すると、近所の人と子供たちが集まって、ラジオ体操は大盛り上がりです。

 このラジオには「アンパンマン正義」が宿っているので、ラジオの電波が、まるでテレパシーのようです。みんなが同調して体操すると、朝の気分が明るくなります。

 その感覚が嬉しくて、のぶ子は、学校の先生になるという「志」を持った。この「志」は、規則の支配に負けない、自由なアンパンマン正義に裏打ちされています。

 もちろん、「アンパンマン正義」は規則に反発しているのではありません。そして、自ら進んでアンパンマン正義に支配されているのでもありません。アンパンマン正義を生きているのです。だから、のぶ子は嬉しいのです。

 ハチキンのぶ(子)にスイッチが入りました。のぶ子は、神社にお参りして、釜爺ぃに「うち、おなごじゃけど、『志』を持って、学校の先生になりたいきに」と宣告した。釜爺ぃは、「イカン、イカン、イカン、嫁に行きそびる」と猛反対です。釜爺ぃは内心で、のぶ子と豪が結婚して、朝田石材店を継いで欲しいと考えていたのです。それは、くら婆さんも同じです。加えて、後家になった羽多子の居場所と立場を考慮した上でのことです。

 でもね、弟子の豪を好きなのは、次女の蘭子です。

 なので、蘭子はのぶの「志」を応援します。羽多子の考えも同じです。それでいいのです。

 何もすることが無いのは、いつも三番目のメイコです。彼女は、釜爺ぃに、結太郎の形見の帽子を被せ、愛嬌だけで包みます。釜爺ぃの頑固さも、三女の愛嬌には勝てません。なぜか、安心できると思わせてしまうのです。釜爺ぃは、キツネにつままれたような感じで、許すしかないのですぅー。

 やっぱり、女四人の連係プレーには、頑固者の釜爺ぃも勝てません。彼女たちは、自分の正しい願望と「アンパンマン正義」を元にして、至心頭を下げながら、最後は愛嬌でトドメを刺すのです。・・善くも悪くも未来があるだけです。

 ただねー、気になるのは、のぶ子が学校の先生になったとして、6年過ぎると太平洋戦争が始まる。そうなると、子供たちに戦争教育をしなければならなくなる。ここがどうなんだろうね。でも、女子師範学校(4年制?)へ通うから、まだ時間がある。

 釜爺ぃが、理解してくれたので、のぶ子は女学校で真剣に勉強し、学校の先生を目指します。つまり、「アンパンマン正義」の教育を目指します。でも、ちょっと、時代的に早いかも。

 そんな時、崇の応募した漫画が入選した。主催者の新聞社から、その知らせと10円の為替が届いた。10円あれば、ラジオを買ってもおつりがくる。あははは。

 こりゃー、千尋の「アンパンマン・ラジオ正義」の功徳が、崇に舞い降りたな。

 千尋は、幼いときに虚弱で死にそうだった。しかし今は、兄の崇より体格が良くなり、柔道をしながら、「道」を歩んでいる。彼は、なかなかやるなぁー。

 今日は、千尋の「アンパンマン・ラジオ正義」のお陰で、のぶ子も崇も、自分の道を見つけそうです、の一席でした。

 ただね、本当の「アンパンマン正義」の道に繋がるには、まだ時間がかかりそうです。

 ということで、「道」を見つけるために、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れておきましょう。

 「志」は有っても無くてもいいのですが、空からの宇宙自然の道理の氣とその正義は、汚れた世の中にあっても、心得ておいた方がいいと思います。自然な正しさは有った方がいい。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 ハチキンのぶ(子)は、パン食い競争に出たかったが、家族、特に釜爺ぃに反対された。

 憤慨やるせないのぶ子は、シーソーのある空き地に行き、そこにいた崇に、パン食い競争の話をした。彼女は「おなごはつまらん」とぼやく。

 そして、神社の祭りの日が来た。(ここで訂正です。町民運動会ではありませんでした。神社のご縁日です。)

 つまり、パン食い競争の日です。のぶ子は、尋常小学校の伊達先生と一緒に、パン食い競争の受付をしています。

 小学校の時の悪ガキ4人衆も、パン食い競争に参加します。ちなみに、岩男はのぶ子の妹である蘭子に惚れています。いえ、サカリが付いてます。

 千尋と崇もパン食い競争に参加します。

 釜爺ぃは、弟子の豪に、パン食い競争に参加して、ラジオを貰って来いと指示した。豪は言われたとおりにしますが、足が遅いのです。しかし、蘭子は力持ちの豪が好きなようで、乙女心で応援します。のぶ子が婿養子を取らなくても、朝田石材店は蘭子と豪が結婚すれば安泰です。

 6歳ぐらいの女子が、パン食い競争に参加しようとしたら、伊達先生が「女子は、参加できんが」と止めた。のぶ子は、「なんでですか?」再び憤慨。

 そんなこんな状態ですが、参加者が多数になり、のぶ子はあんパン50個ほど追加しました。朝田パン屋は大繁盛です。

 まずは、少年部のパン食い競争が始まりました。参加を希望して断られた女の子は、悔しそうに男子を見ています。食い物の恨みは怖いよ。

 パン食い競争を提案した貴島中尉も視察に来ています。彼は大盛況で一安心です。

 貴島中尉は女学生たちの視線を感じ、緊張気味に歩いています。古武道の達人でも、女子の無責任な期待を灯した熱い視線には、身体の重心が揺らいでしまします。あははは。

 崇は、貴島中尉とのぶ子の関係が気になって仕方がありません。崇はのぶ子に、ずっと、惚れています。

 やがて、大人の部のパン食い競争が始まりました。豪も出場しています。しかし、彼は足が遅い。一番最後でした。それでも、蘭子は愛情を送るように豪を応援するぅーー、乙女です。

 レースが進んで、大人の部の最後の走者たちが、スタートラインに並びました。しかし、崇の姿が見えません。彼は、のぶ子に見えるように、木の陰に隠れています。

 そして、のぶ子が声をかけてくると、崇は「お腹が痛いきに、のぶ子、代わりに走ってくれ」と出場用のたすきを渡した。

 のぶ子は困ったが、ここで、ハチキンのぶに変身だぁー。男どもがスタートした、そのすぐ後から、のぶ子は、ハチキンダッシュで追いかけた。

 障害物の網をくぐり、あんパンのつるしてあるところまで来ると、岩男が一番に、揺れているあんパンに食らいついた。次は、のぶ子、そして、他の男どもと続いた。

 岩男は余裕をかまして、会場に手を振りながら一番をアピールして走った。

 のぶ子は、本気のハチキンダッシュで岩男を追いかけた。そして、ゴール直前で、油断していた岩男の横を抜いた。

 貴島中尉が、「一等、朝田のぶ子」と宣言する。

 ラジオは、朝田のぶ子のものです。釜爺ぃは、大喜びでしょうね。しかし爺は、ハチキンのぶ子の嫁の貰い手がなくなった、そう言うでしょうね。ははは。

 まー、のぶ子としては、崇の代わりに走ったわけだから、彼が責任を取るしかないと考えているでしょう。もともと相思相愛だからね。

 貴島中尉は、故郷にあんパンを食べるという新しい風を吹かせて、戦場へ行くのでしょう。

 のぶ子が勝ち取ったラジオは、貴島中尉が代金を払っているんじゃないかなぁ。そう考えると、全部のつじつまが合う。

 つまり、貴島中尉が女学校に来たのは、のぶ子に会うため。のぶ子の急な出場を許したのも貴島中尉。のぶ子の一等賞を早めに宣言したのも貴島中尉。だから彼は、自分の形見としてのラジオを、のぶ子の家に置きたかった、のかもし知れない。

 今日は、貴島中尉がラジオをストレートにのぶ子にプレゼントすれば、彼女の周りを結婚話で騒がせることになる。彼はこれから戦場へ行くのだから、『余計な騒ぎはいらない。』と、男は、そう考えたのかもしれない。

町田義人 戦士の休息 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 

 戦士の休息は、生死を超えている空(くう)にあります。だから、兵隊さんも、企業戦士も、空氣体瞑想をして、空に触れておきましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。それが本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 昭和10年(1935)。

 朝田石材店の庭で、フーテンのパン屋・草吉は、未だにパンを焼いていた。焼き窯は新しく立派なものになっている。しかし、売り上げは多くない。それでも、草吉は時々旅に出ます。そういう時は、羽多子がパンを焼くのです。

 ハチキンのぶ(子)は、高等女学校の5年生(17歳?)なりました。女学生はセーラー服より、和服に袴の方が、明るくていいね。

 女学校を卒業すると、女子は花嫁になるのが世間の常識です。彼女たちは、偶然の出会いやお見合いなどで、いい結婚相手を見つけます。ふしだらに、恋とセックス遊びをしている暇は有りません。

 うーん、何気に戦略的だよね。17・18歳の女子は、生命力にあふれているから、親は、娘たちに明るい色の和服を着せ、花婿候補を探す。そりゃー、良い男と結婚できるでしょうね。

 お見合であれば、まずは親が選別してから、娘はその中で気に入った男を選ぶ。上手く行けば、安全な結婚が出来そうです。それに、親の選別というのは、親の価値観で査定するから、各家庭で見解が違う。だから、割れ鍋に綴じ蓋のように、息子や娘に合った人を選ぶようになる可能性がある。

 その場合、嫁入りすると言いながらも、もちろん、双方ともに、ある程度気に入った人でないとやっていけません。

 「ある程度に気に入る」という言葉にできない事情があるからこそ、親と学校の先生は、娘たちに一般的な行儀作法を躾たのでしょうね。もちろん男子には、男に成るための「道」があった。みんな、生きるのに賢明だったのですね。

 躾と「道」は、人を清浄に立たせるし、行いを綺麗に見せるから、七難を防げる。

 そう考えると、日本の風習の神髄は、生きて行くことを考えて、本当に良く出来ていた。

 現代は、欧米かぶれのエセリベラルが、女たちの半分を不幸にし、男の半分をスケベで変な弱虫にしている。そんな男に抱かれても、女も喜べないよね。それでも愛のないエッチが好きなのかねー。そういう人もいる。キモッ。あはは。

 さて、女学生生活の中で、ハチキンのぶ(子)は、自分の夢が見つからないと思い、結婚どころの話ではありません。のぶ子は、お嫁さんになって幸せになるという夢を見るていません。ただ、お嫁さんになったからと言って、幸せになれるわけでもないのですけど。。。

 のぶが、女の幸せや自分の幸せより夢を探してしまうのは、父親の結太郎が「おなごも大志を抱きや」と言ったからです。

 だからよぉー、親が何気に行った一言が問題なんだって。結太郎の一言は、子供の善いところ伸ばすための一言じゃなくて、親が自分を正当化するために発した一言なんだよ。その意味が強い一言です。

 例えば、ボンクラだった親は、「勉強なんてしなくても、生きていける」みたいなことを子供に正論として植え付けてしまう。そして、子供があとで苦労する。人生サバイバルにおいて、勉強でもスポーツでも農業でも大工でも、できるに越したことはない。

 そういう親の心を察知してみると、つまり、世間からはあまり認められないところで、良くも悪くも頑張っている自分を、どうしても、反省したくないらしい。かと言って、世間の価値観も親の価値観も、全部が正しいわけじゃない。むしろ、その多くが狂っている時もある。だから、ややこしい・・やなぁ。

 いつの時代もややこしいのだけど、そんな時、休暇中である海軍の中尉が、里帰し、なぜか女学校を訪問した。

 えっ、どういうこと?たくさんのぴちぴちギャルの中から、中尉は、嫁を探しに来たの?品定め?に来たと言うこと?エロっ。あはははは。お見合い方式があるのに、意味不明じゃん。そういうエロオヤジを女学生は好むのかなぁ?選ぶのかなぁ?

 その中尉は、ハチキンのぶ(子)の幼馴染で、ガキ大将の貴島勝夫だった。小学校の時、崇の弁当をガメに来ていた悪ガキ四人組ではない。

 貴島は背の高い、立派な男性になっていた。女学生を選びに来たエロオヤジには見えない。休暇中なのに、ますます意味不明だ。

 一方、崇は、中学五年生(17歳?)になっても、絵を描くことが止められず漫画を描いていた。しかし、その作品に自信がない。それでも、この自己満足はやめられない。

 千尋は柳井病院を継ぐために、医者になる勉強をしています。

 そんな崇と千尋に、寛院長は「二人とも、今からしっかり、考えちょけぇ。何のために生まれて、何をしながら生きるがか。何がおまんらの幸せか。何をして喜ぶがか。解るまで何回でも必死で考えちょけぇ」とアドバイスした。

 寛院長も、ずっと、病人と死人を見て来たから、人の一生について考えるところがあるのでしょうね。

 さて、今日は日曜日です。ハチキンのぶ(子)はフーテンのパン屋・草吉とあんパンを売り歩きます。

 商店街で、のぶ子が「あんパン、おいしいですきぃー、いかがですかぁー」と声を出していると、海軍中尉の貴島がいた。

 貴島は、あんパンを5個買った。一個4銭だったが、おつりがない。(おっ?この貴島役の俳優の姿勢は、いい感じだ。古武道でもしているのかな?・・強いぞ。歩いている姿が、昨日今日、武道を始めた動きではない。師範クラスだ。。。違うかなぁ?)

 のぶ子は、おつりがなかったので、すぐ近くの家まで取りに来てほしいと願った。

 その道すがら、貴島は、売り上げ向上のために、今度の町民運動会でパン食い競争をしたらいいと提案した。貴島が町長に進言するとも言う。もちろん朝田のあんパンを使用するのが前提です。

 むーん、この力を抜いた感じからすると、貴島中尉は、戦場へ行く予定だな?彼は、故郷に出来ることを成し終え、心を決め出陣するつもりだろう。

 のぶ子と貴島中尉が朝田パン屋に着くと、崇と千尋があんパンを買いに来た。彼らは、のぶ子と貴島が親しそうにしているの見てしまった。

 崇は、急に不安になり胸が痛くなる。彼は、ひとりで先に帰り寛院長に診察してもらった。

 診断は、恋のヤキモチでっす。崇は、のぶが大好きなのです。都はるみ 惚れちゃったんだョ 都はるみ 1984

 数日して、朝田パン屋に、町民運動会に使うための、あんパン200個の注文が入りました。貴島中尉のお陰です。

 そして、町民運動会の前日、貴島中尉は朝田パン屋に準備の様子を確認に来た。この男、抜かりがない。

 そして中尉は、パン食い競争に優勝するとラジオが貰えると話した。

 あっ、もしかしたら、優勝賞品のラジオの代金は、貴島中尉が払ったのかも。この男ならやりそうだ。

 当時、ラジオは高級品です。隣町からも、大勢の参加者が来る予定です。

 まーね、50mぐらい走るだけで、あんパンが食えて、その上、優勝するとラジオが貰えるとなると、面白がって出場する人はいるだろうね。

 と言うことで、ハチキンのぶ(子)も、おもいっきり参加したい、いや、参加すると燃えた。しかし、家族全員で反対です。お年頃の娘が、走って、つるしてあるパンを食べる姿は、ハシタナイと言うのです。どうしたもんですかね。

 ところで、この時代のあんパンは、アンコが少ないね。

 今日は、あのね、現代では、ハシタナイと言う言葉も死語になっているようですから、パン食い競争に、女子が参加するのはいいことだと思います。ですが、あんパンの代わりにソーセージをつるしたらどうでしょう?ハシタナイの意味が解るかも。嘘です。あはははは。非難ごうごうだろうね。じゃぁ、バナナ、、、嘘です。えーと、うまか棒か、、、ごめんなさい、の一席でした。どうでもいいか。

 つらつらと考えてみるに、戦争とエロと愛国心は、セットになっているのかも。つまり、殺し合いとエロと愛は、セットなのかも。

 宇宙意識において、古代リラ星の爆発もオリオン戦争も、科学と精神の対立のように結論づけられているけど、そこを深く突き詰めると、(宇宙人の)個人的な愛の取り合いから始まっているような氣がする。

 愛の波動のある方(者)が光で、愛の波動が少なくなった方(者)が闇なんだろうね。

 これねー、途中を省いてザックリ説明すると、聖書の創世記の第一章一節で、天と地が別れているところの意味と関係してくると思われます。

 つまり、途中の説明を全部省いて、現状に当てはめると、天には愛の波動があって光、そして、地は愛の波動が少なくて闇、ということです。そのまんまでしょ。

 で、宇宙(森羅万象)の根源(=外宇宙の純粋空)のエネルギーが入って来ない場合、天でも地でも、また、天の者でも地の者でも、善行を行っているうちに疲れてしまい、しょうがないから、愛のエネルギーを取り合うようになったのでしょうね。

 例えば、あんパンを甘くて丸い神様の愛だとすると、パン食い競争のように、人間は愛のあんパンへ向け走って行き、上を向いて、あんパンを口だけで食べようとしているのと同じなのです。しかし、なかなか口(言葉)が届きません。愛の取り合いは愛のパン食い競争の姿そのものかも。

 そういうのが楽しければ、別にいいけど、優勝賞品のラジオを取得しようとして殺し合えば、パン食い競争ではなくて、パン食い戦争です。

 ゆえに、宇宙戦争でも、神の愛の取り合いが、根底にあると推測されます。

 天も地も、そして愛のあんパン(食物)も、神様(創造主)が、光の法則を織りなして造ったものだから、生き物はその愛を取りに行きたくなるのでしょうね。御利益ですからね。そして、争う。アホだ。

 さて、この世(なんだかの物質界)が光の法則の織りなす幻想だとすると、形あるものはなく、それでも、人が愛を取りに行くと、この世(なんだかの物質界)は光の幻想だから、愛を掴もうとして空振りをする。それは、虹をつかもうとするようなものですね。灰色の物質は手に入る。

 そして、愛を掴めないので、愛のある者から奪おうとする。愛を取ろうとする。。。・・・心を奪えば詐欺です。物を取れば泥棒です。現代はそんな感じですね。ほとんどの人が、この世(なんだかの物質界)に負けています。それを許して汚れます。エネルギー不足になります。

 原因は、意識のスピード不足です。意識のスピードが光(意識)のスピード以上になれば、愛を感覚でつかめるでしょう。そうすれば、許しても汚れません。ひねくれません。至福意識にも入れます。

 意識のスピードを上げるために、宇宙(森羅万象)の根源である空(くう)に触れましょう。空の意識スピードが愛の意識スピードより速いから、空の意識スピードに慣れれば、愛の意識も理解できるでしょう。

 だから、空に触れるために空気体瞑想をしましょう。

 ちなみに、この世では、感情から素粒子が生まれるようす。素粒子は物質ですが、愛の感情や愛情から、愛の素粒子(物質)が生まれるようです。で、愛の素粒子の寿命は5万年のようです。

 愛の素粒子は一時的にエネルギーに変わったり、素粒子(物質)に変わったりしますが、5万年周期の区切りが来た時、それまでの愛の素粒子が一斉に、愛のエネルギーに変わり、もう永遠に物質である愛の素粒子には戻りません。和至の勘では、ちょうど、オセロゲームの黒が白にひっくり返るような感じです。「百匹目の猿」という感じです。そんな感じが今の時代です。

 この変化で、悪の蔓延るカリユガの時代が終わり、黄金の調和と愛であるサトユガの時代に入るようです。和至の勘です。

 だから、手の届かない愛を奪い合うよりも、愛を手にするために空氣体瞑想をして、意識のスピードを上げておきましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空気体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空気(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空気体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空気(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた然るべき反応である天然ダルマの無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら癒され、強くなり、進化しながら癒され、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。