こんにちは。今日も体調が優れないので、あらすじだけ書きます。だいぶ回復してきたけど、まだケツから透明なアマ(未消化の現実、未昇華の現実)が出ているので、浄化中ですね。自分のものじゃないかもしれない。誰にも会ってないから世の中のものかも。まだ無理したくないので、あらすじを書いたら寝ます。あははは。ごめんなんしょ。

 

 

 八木の事務所を退出した蘭子は、あんぱんを届けに来たフーテンパン屋の草吉、通称ヤムおんちゃんに因縁の再会をした。

 ヤムおんちゃんは蘭子に連れられて、のぶの家に到着。のぶも羽多子も腰を抜かすほど驚いた。

 そこへ、知らせを受けたメイコも駆けつける。羽多子、のぶ、蘭子、メイコの全員が、「たまるかー」と叫びながら、ヤムおんちゃんとの再会を喜んだ。

 それなのに、ヤムは「なんで、そんなに老けたんだぁ?」なんて言うものだから、女子たち4人は「おまえー!」と大憤慨でした。その後、のぶと崇の結婚話など、積もる話に花を咲かせました。

 ヤムおんちゃんは、愛国の鑑であるのぶが正義の敗戦で、自ら命を絶つのではないかと心配していたそうです。のぶはヒビの入った鏡を抱えたまま崇に救われたことを伝えました。

 その頃、才能クラゲ崇は手島治虫氏の仕事場にいた。手島の仕事場は、公営のワンルームマンションのような場所で、狭くて飾り気がほとんどない空間です。それに加えて、男女共禁制で、漫画家の聖域としており、創造性の波動を乱さないようにしています。やっぱり、手島は魂の高い次元から来ているのでしょう。

 手島の案内により、崇は特別に入室を許された。崇も魂の高い次元から来ているため、手島にとって特に問題はないようです。

 手島と崇で「千夜一夜物語」のキャラクターの打ち合わせが始まりました。

 崇は母性愛の中で生きるクラゲであり、手島はその女性画像を気に入っていました。彼は、崇が描く女性像を、従来の耐えるだけの母性愛の象徴ではなく、暖かく優しく、芯が強く、目が好奇心に輝いていると評価しました。これはのぶがモデルです。また、同じ母性愛でも、魅力的でプライドが高く、強情な女性像も描かれていると言います。これは登美子がモデルです。手島は、絵とのぶを見て、全てお見通しだったようです。

 手島が思い描くキャラクターは、のぶと登美子を組み合わせたような、活き活きとした女性像です。

 あのね、手島君、そんな女性がもし存在したら、とんでも8分、歩いて15分です。漫画「北斗の拳」のケンシロウが土下座して「私はもう、クラゲになります」と宣言します。男性は大変です。ユンケルが1000本・・必要です。あたたたたたたたたー、「お前はもうクラゲだ」。。クラクラ。。

 崇は主役の男役のキャラクターについて質問した。手島がまだ決まっていないと言ったので、崇は「ふーらい坊みたいなキャラはどうですか?」と提案した。手島は、その提案を「いいですね」と気に入った。

 まーなー、のぶと登美子が一つになったら、男はクラゲになるか、風になるしかないやなぁ。あとは、あの世に行くしかないかも。

 そう考えると、「千夜一夜物語」の男性キャラは、人の世の砂漠で、愛情模索をしながら何かと戦い続け、さ迷うフーテンが正解だと思う。。。ただし、和至は「千夜一夜物語」を読んだことがないと思う。

 打ち合わせを終えた崇が自宅に戻ると、のぶたち姉妹と羽多子が誰かの人生を抱えて座っていた。崇は、

「誰か来てたの?」と尋ねる。女性たちは、

「ヤムおんちゃん」とだけ答える。崇は、

「本当に?…会いたかったなぁ」と悔しがるが、引き留められなかったことに文句を言わない。

 ヤムおんちゃんは、朝田家の家族と一度も食事をしたことがない。わざと避けていたのだ。

 ヤムがフーテンになったのは、優れたパン職人になるためにカナダに密航したものの、捕まり、騙されてヨーロッパの戦争に送り込まれ、心に深い傷を負ったからです。つまり、どこにも、自分にも他人にも、まともな愛がない環境を生き抜いた結果です。人の世という砂漠をさまよわされ、砂漠を吹く風のようにヤムは風来坊になりました。もしこれが海であれば、海流に流されるクラゲのようになっていたでしょう。それは崇です。以上です。

 マンションに住むのぶと朝田家の女性たちは、初めてヤムおんちゃんの人生について聞いた。

 しかし、個人の深層意識の問題なので、悔やむ術のない話をしたヤムは、そもそも誰にもどうしようもないことを知っている。

 だから、同じ匂いのする崇に会いたかったけど、その場にいることができずに帰った。振り返れば砂漠。恨んでも砂漠なら忘れることもたやすい。あとは人生が終わるのを待つだけです。

 ヒビの入った正義の鏡を心に抱えるのぶは、ヤムおんちゃんの心に刺さったままの棘を心配しています。

 8月15日、戦没者慰霊祭。崇は名誉の戦死を遂げた千尋に、登美子も千尋に、蘭子は戦死した豪に、それぞれの思いを込めて祈りを捧げる。八木は空襲で亡くなった家族のために祈りを捧げた。

 日本の正義が負けた戦争で、誰もが心に傷を負っている。勝利したアメリカ民主党(エセユダヤ)と戦勝国側も、戦争の事を嘘でカモフラージュしなければ、つかの間の道理すらと通らないことになっている。彼らの本当のところの傷は深くて重い。彼らは、それにただ慣れているにすぎない。だから今でも多くの痛み止めが必要になるのです。

 崇とのぶは、どの国の人でも、どんな出来事があっても揺るがない確かなものを、砕けた鏡を心に抱えながらもずっと探しています。それが正義だというなら、その正義でも構わないし、美しいものであるならそれでもいい。もっと言えば、みんなが喜べるものであるなら、それでもいいと、・・・日本の正義が敗戦した時から考え続けてきました。

 そして、もう、全てを受け入れた。

 亡くなった崇の父である清は、戦場で崇が臨死体験をした際に枕元に現れ、「信と不信を混ぜこぜして、信じる心と疑う心が混ざり合い、欲望の醜い戦争を起こすのも人間だけれど、そんな惨めな人間でも美しいものや正しい喜び、正しい人助け、正しい利他の精神、そして宇宙自然の法則に基づいた自利利他を知る可能性がある。そのように作られている」と、唯一無二の希望を告げた。

 みんなの心に刺さり続けるカルマの棘を抜き、傷を癒し、清算してあげたいという慈悲の想いが、崇とのぶの心に流れ始めました。高次元意識からの形のない祈りが、二人に届いたようです。空から「ボウ氏」の帽子が二人に舞い降りて来たのです。

 朝ドラはモデルがあるだけに、人生ドラマは、その人生を信じれるようにどこかで繋がっている部分もあるようです。。。ホントかなぁ?あははは。それは個人の判断です。

 才能クラゲ崇とハチキンのぶは、困った人に丸いあんぱんを届けようとする「あんぱんおじさん」というキャラクターを見つめています。愛と勇気のアンパンマン、その正義の始まりです。

 

 ちなみに、逆転できない氣の流れは、空氣体瞑想を行い、空(くう)触れることで、感覚的に理解できるようになります。逆転できない氣の流れは宇宙自然のダルマ法則です。今まで虚しいと言われてきた空が、やがて、ささやかにでも喜べるようになります。そして、本当に美しいものが分かるようになり、至福意識や不退転の意識も理解できるようになります。

 とりあえず、空氣体瞑想の部分だけコピーしておきます。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 

 

 

 こんにちは。昨日に続いて体調不良なので、朝ドラのコメントはあらすじだけにします。御免なんしょ。体調は回復し始めていますが、ここで無理はしない方がいいと思うのです。あらすじを書いたら寝ます。

 

 

 昭和42年(1967年)7月。崇が応募した懸賞漫画の受賞者が発表されました。ただし、その発表は週刊誌に掲載されているだけです。

 のぶは、週刊誌を買い、急いで家に帰ります。

 しかし、なんで、崇が買いに行かないの?二人で買いに行けよ。そういうところの意気地の無さに問題がある。自分が入賞したかったんだろっ。あっ、違うか。のぶに勧められたんだった。じゃぁ、しょうがない。崇は無我です。

 崇が週刊誌を開くと、8コマ漫画「ボウ氏」が大賞を受賞していました。賞金は100万円。のぶも羽多子も大喜びしています。その喜びはお金ではありません、気分です・・・嘘です。両方です。

 漫画の内容は、形のない空から帽子が一つ現れ、それが一人の男(ボウ氏)の頭に降りるというものです。芸術家から見ると、さまざまな意味が感じ取れる作品です。

 でも、昨日見た絵とは違う気がするな。いくつか応募したのかな?封筒が厚かったしね。

 数日後、八木の会社で「やないたかし 大賞受賞祝賀会」が開かれた。のぶや羽多子、健太郎の家族、そして伊勢卓也も参加していた。

 蘭子も遅れて合流しました。のぶと羽多子は、八木と蘭子の事務的で色気のあるやり取りを見ていて、蘭子が八木のことを好きだと気づきました。

 崇とのぶは、みんなの前に立ち、包み隠しのない挨拶をした。のぶのおかげにより崇も格好がついたということです。崇は流されているように見えますが、流れに逆らわなかっただけです。その行きつく先が問題です。汚れた海か?美しい海か?あははは。

 さて、のぶは、義母の登美子に茶道を習い始めました。しかし、指導は厳しい。ビシバシ、注意されています。のぶは、お茶と薙刀を教えたらいいかも。

 そんな時、手島治虫がのぶの家を訪ねてきました。本物の手島治虫先生だったので、のぶも登美子も驚きました。

 早速、のぶはお茶を点ててもてなします。

 手島治虫は正座が苦手で、お茶を飲むと「落ち着きますねー」と言い、そのまま横になって寝てしまいました。

 手島先生は、ほぼ毎日徹夜で仕事をしていたようです。

 しばらくして崇が戻ってきた。彼は手島治虫氏がいることに感激しています。

 仕事の話では、今度、大人向けアニメーション映画「千夜一夜物語」を制作することになり、手島は崇にキャラクターデザインを依頼しに来たのだった。

 手島治虫先生は、崇の描いた雑誌の表紙の絵を観て、崇にキャラクターデザインを頼むことにしたのです。その表紙の絵は、のぶに似ています。

 才能クラゲ崇は、手島を前にして、どこかに本能的な自信があるのにもかかわらず、自分を卑下するだけで、世間並みの会話が出来ません。

 現実世界の価値観では、崇より手島の方が上に位置しているため、それに合わせている感じです。崇は偉そうにするのが趣味ではないし、だからといって対等でもないので、自分を控えめに小さく見せているのでしょう。

 これはねー、キリストみたいに、才能クラゲ崇も、魂の高い次元から来ているだろうね。10,11、12、13?次元(進化の段階)あたりかな。手島治虫は、9、10、11次元くらいだろうね。

 和至は彼らの作品を読んだことがないが、題から考えるとそうなる。

 だから、崇がなるべく相手を傷つけないようにしているのには理由があると思う。彼は10次元以上の聖別された存在なのかもしれないね。神に選ばれた人だ。

 朝ドラのモデルである才能クラゲ崇のオーラは攻撃性がなく親切だったのでしょう。そうなると、三次元の人たちから甘く見られたり、からかわれたり、馬鹿にされやすくなるんだよね。

 しかし、聖別された者を侮辱(コケ)することは悪業となり、取り返しがつきにくい。それを本能的に理解している崇は、あえて自分をへなちょこクラゲのように見せているのでしょう。へなちょこなら、バカにされて当然だから、相手のために忍耐しているのでしょうね。

 三次元の相手を思いやり、高度な愛(空)の思考波で考えれば、高次元の自分が傷つくことはなく、相手の成すがままを受け入れているのだろうね。相手が気づくのを待っている感じだ。けど、なかなか気づかないのが困ったところです。

 全体、これが無碍で無我で、何も語らず、何も主張せずにいる、そんな才能クラゲ崇の崇高な自信と誇りなのだろうね。のぶはそれをうすうす感じ始めている。

 そんなこんなで、無碍で無我の崇は、ケツに火が付かないと動かない。そして、どん底からの大逆転が得意な、才能クラゲ崇なってしまう。しかし、本当は、勝負の行方が最初から決まっているようです。崇の勝ちです。宇宙法則上、そうなるだけです。

 手島治虫先生は崇に「あなたは必ず、今までにない凄い作品を描きます」と語り、二人は固く握手を交わした。

 まるで、三次元に降り立った高次元の存在同士が通じ合ったかのような瞬間だったのでしょう。その時、崇も手島も、この世で初めて孤独ではないと感じたのです。

 そんな折、蘭子は八木の事務所から出たところで、パンを届けに来たフーテンのパン屋・草吉と再会した。

 

 

 

今日はここまで。あらすじの割には、長くなってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんにちは、今日は体調不良のため、簡単なあらすじだけです。御免です。浄化なのか、疲れなのか、良く分かりません。ストレスを受けているのかも。でも、なんかね。様子を見てみます。

 

 

 

 蘭子はのぶの下の階のマンションに引っ越してきたが、八木はまだ姿を見せていない。

 のぶと羽多子は蘭子と八木のことを応援しており、「好きな男をしっかり愛してこそ今の自分があるのだから、自分の気持ちに正直に生きなさい」と諭している。蘭子は八木に奪って欲しいのです。

 のぶに励まされた崇は、週刊誌の懸賞漫画募集に応募することを決意した。ただ、落選した場合は有名人として恥ずかしい思いをするかもしれない。

 柳井崇ではなく、「やない案山子」という名前で応募すれば良いのにね。

 崇は、もがきながら四コマ漫画のアイデアを考え続けている。

 才能クラゲの崇は、これでダメなら漫画家を辞めると言い出した。

 そして、締め切りが迫っている。

 のぶが父親の帽子をかぶって掃除をしている姿を見て、崇は次の漫画のキャラクターのイメージが確定した。

 そのキャラクターは顔が分からず、名前もない、正体不明の男だ。国籍も分からないが、ただ一つ、その男は崇と同じで、独りぼっちです。孤独です。名前は「ボウ氏」に決めた。「ボウ氏」は、空(くう)の象徴だね。あの頃の漫画家は哲学的だったんだね。

 そんな中、手島治虫から仕事の依頼の電話がかかってきた。崇はイタズラ電話だと思い、すぐに電話を切る。

 そして徹夜で漫画を描き上げ、締め切り日にギリギリ間に合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 

 NHKの近くの喫茶店で、伊勢卓也と崇は「0歳から99歳までの童謡コンサート」の打ち合わせをしている。才能クラゲ崇は子供に人気があるので、伊勢卓也が、孫と一緒に楽しめるコンサートを企画したのです。狙いは、若者の流行歌ではなく、地道にコツコツと稼げる家族愛の賛歌です。

 加瀬卓也は離婚を繰り返し、現在は3回目の結婚を望んでいます。芸能界とは一体何なのでしょうか。そんな離婚者でも、家族愛の賛歌をテーマにしたコンサートを売り出しているのですから・・・不思議なものです。実用的メルヘンです。不幸を蜜の味に変える芸能技でっす。

 その喫茶店に、NHKディレクターの健太郎が現れた。彼は、独創漫画派の仲間たちが、世界旅行に出かけたことを伝えた。崇は初耳です。仲間から一言も声をかけられなかった崇には、もはや心から信頼できる漫画仲間がいなくなりました。

 この件について、崇は漫画の代表作がないからだと感じています。しかし、崇のように空(くう)の中の空、透明の中の透明を追い求める人は、しばしば周りから透明な存在として扱われ、完全に忘れられてしまうものです。それは崇自身のせいではなく、仲間たちがどこか卑怯で、それなりに汚れた部分を持つ人たちだからです。彼らは登美子の言う「ずる賢い者」に当てはまります。崇は独創漫画派の創造性や清らかな部分に目を向けているため、彼らのずるい一面に気づかず、自分が無視されていると感じてしまったのです。崇はとても悲しい気持ちになっています。

 崇君、ここで落ち込んでいるようじゃ、まだまだ空の中の空には届かないかもね。そもそも崇に仲間がいたことなんてあった?せいぜい健太郎くらいだろう。その後はのぶだ。世界旅行に行くなら、健太郎家族と一緒だろうね。

 崇は、ヒット作が出せないことや、仲間から漫画制作に本気で取り組んでいないと思われていることに悩み、凹んでいます。彼は、陰日向なく自分を犠牲にして誰かを助けているつもりでしたが、それが全く伝わらず、いつも軽視されていると感じています。

 のぶは、崇が世界旅行に仲間外れにされたと聞き、とても腹を立てています。でも実際には、仕事で行けなかったでしょうね。

 蘭子は、のぶが住む下の階にマンションを購入しました。明日、引っ越しをする予定です。蘭子は、近くに安心できる存在が欲しいのです。

 そんな時、八木は蘭子の長屋を訪ねてきた。最近、蘭子は八木の事務所を避けるようにしていた。八木への恋心を抑えきれそうになかったからです。

 メイコも羽多子ものぶも、蘭子に素敵な相手が現れるのを期待しています。しかし、蘭子は自分の中にある豪への純粋な思いと葛藤しています。

 これはね、40歳を過ぎないと蘭子は解放されないかもしれません。昔から「19、ハタチはまだ子供、30されごろ、40しごろ」と言いますように、女性もだんだんと大胆になっていきます。ただし、自分の感情の純粋性はある程度保ちたいところです。性的快楽への渇望はそれなりに純粋でも、相手が誰でもいいというわけではありません。だからこそ、難しいのです。

 ここは八木が頑張るしかありません。蘭子は引っ越しの荷造りをしている部屋に八木を招き入れました。豪の半纏はまだ飾られています。

 すると激しい雨が降り始めました。八木は少しだけ荷造りを手伝いましたが、蘭子の固く閉ざされた心を開くことができないまま、帰ろうとします。しかし、彼は傘を持っていませんでした。

 八木が外に出たところで、蘭子が追いかけてきて傘をさしかけた。八木は傘を持つ蘭子の手に自分の手を被せる。蘭子は「好きです」と言えず、「もう会社には行けません」と恨めしそうな甘えた目をする。八木は「そんなこと言わないでくれ」と蘭子を抱きしめる。二人は熱いキスを交わし、蘭子の部屋に戻った。

 蘭子は純粋さを保ちながらも、40しごろのエッチな女になりました。そして、八木が二人で暮らすマンションの代金を支払うはずです。

 愛でたし、目出度し。

 一方、才能クラゲ崇は、仲間に見捨てられたと思い込んで未だに書斎で深く沈んでいます。のぶが心配して声をかけました。彼は生きています。

 崇は、自分が様々な仕事を引き受けて、漫画家としての信念を貫けていないと反省しています。まあ、彼は芸術学科で絵を学んだのに製薬会社に就職した人ですから、なんというか、流れに身を任せるその場しのぎの才能クラゲみたいなものです。クラゲには信念を支える背骨なんてありませんからね。

 のぶは崇を近くの神社に連れて行くことにしました。

 神社の長い階段を、のぶは崇と走って登ろうとしましたが、崇はヨタヨタです。

 のぶはクラゲ(崇)に「たっすいがーはいかん。土佐のいごっそうになれ」と励まします。崇は学生時代に応募した作品が入賞し、亡くなった寛医院長から「おまん、自分を貫いていごっそうになったがや」と褒められたことがありました。

 その言葉を思い出し、才能クラゲ崇はもう一度頑張ってみようと決意しました。

 あのね、昨日も書いたけど、崇の場合、自分が存在する理由が必要なんです。それは仲間とか周りの条件から来るものじゃなくて、海を漂うクラゲが陸に上がって立つみたいな存在理由なのです。まず、無理でしょ。

 だからこそ、崇は悩んでるんだよねー。

 崇よ、それは透明な空(くう)の中に空を探すようなものなの。

 美しい海にいる半透明のクラゲが、いなくなったお母さんを探して陸に上がったら乾いちゃうでしょ。探す場所が違うと思うのよ。

 たぶん、クラゲのお母さん(登美子)は汚れた海から青い空を見上げているんだと思う。

 だから、才能クラゲ崇は、美しい海と汚れた海を見分けて、それぞれの海から見える青い空を感じるといい。透明な空(くう)の中に空を探し出すような漫画が描けるような気がするよ。

 そんな漫画がもし完成することがあれば、おそらく永遠の命を描いた手塚治虫の「火の鳥」(←和至は読んだことがない)を超える作品になるだろうと思う。

 愛と勇気のアンパンマン正義が、そんなことになるなんて・・・???。。。いや、ありえないよね。

 でも、父親が亡くなって悲しむのぶのために、崇が、駅で父親がのぶに帽子を被せる場面を絵に描いたよね。「父の愛」を永遠の愛の形で表現したんだ。その場面を選び取るセンスを見ると、崇ももしかしたら…って思っちゃうよね~。

 崇には、消えてしまった形のないものを絵として形にする才能があるのかもしれない。その意味では天才の可能性もある。

 ただし、ひとつ間違えると編集者から、

「子供の絵本にもならない」と酷評されるだろうね。

 そうなると、漫画に現実を投影させなければならなくなる。百歩譲って、それはなんとかできるとしても、その現実を題材にした際に、誰も傷つけず、みんなの気持ちが救われる方法を考えなければならなくなる。

 ラジオドラマ「優しいライオン」のビクビクとムクムクの関係のようにね。

 つらつらと考えてみると、親子クラゲ(登美子と崇)は、青い空に帰ることでしか、心が通じ合えないのかもしれないね。なるほど。

 今日は、ところで、登美子は成仏できるのかなぁ。青い空が遠いかもしれないね。の一席です。

 和至は漫画「アンパンマン」を読んだことがないけれど、丸いあんぱんがいろいろ動き回れば、円満な解決が導き出せる…そんな可能性が少しだけあるかもしれないね。

 あれだな。最終回で、アンパンマンが月のうさぎに自分のお腹のアンコを届けるために月へ帰るって展開、いいかもしれないね。アンコのなくなったアンパンマンは、もうあんぱんじゃないから月で死んじゃうのかも。でも、そこで悟りを開いちゃう。そして、自分の存在の理由を悟る。。。なんか崇高な崇らしいよね。

 月に帰るアンパンマンも素敵だけど、透明な空(くう)の中の空を知るには、空氣体瞑想をして空に触れてみるのがいいでしょう。そうすることで、自分が存在する理由も感覚的に理解できるかもしれません。理屈なんてどうでもいいのです。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 あと、精神的な面から内観すると、プラグタル構造でもあります。輪廻ですね。宇宙だけではなくて、なんでも外側からと内側から見るのでは、違いがあるのです。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

  

 

 

 

 

 

 

 

「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 登美子は、崇の描いたラジオドラマ「優しいライオン」を聞いて、感無量です。親子の絆を改めて感じています。母性は強しです。

 才能クラゲ崇は、登美子がどう感じたかが気になります。登美子は、息子が生きているだけで十分だと思っているのではないでしょうか。それ以上のことは、登美子自身が自分を満たしながら生きるのに精一杯で、あとは母性愛のテレパシーでどうにかするしかないのかもしれません。もしくは、ただ忘れているだけかもしれません。

 勘違いしない方がいいのは、テレパシーの次元と現実の3次元のレベルは波動が違うので、結局、何を言っても通じることが無い・・・に等しいのです。ただ、なんとなく、愛があれば理解できるか、理解しようとしているだけです。

 あのね、意識の波動はイメージや言葉で表されるけど、もしテレパシーで伝えられるようになったら、言葉が必要なくなる感覚になるかもしれないのです。さらに、嘘は、嘘として認識できるようになるでしょう。

 あと、本心は、その人の行動で判断することもあるけれど、自分の思考回路や他人の思考波の影響を受けた行動はあてにならないことも多い。だから究極的には、何もせずにいる「存在の意識波動」で判断するしかないのかもしれません。

 のぶは、ラジオドラマ「優しいライオン」を母親の愛情を描いた作品だと考えています。ブルブルが崇で、ムクムクが登美子なので、のぶは、登美子がこのドラマをどう感じたのかが気になっているのです。

 のぶは、登美子と崇が心を通わせ、今のマンションに引っ越してくることを願い、そのために茶室を作りました。崇はかなり稼いでいます。

 でもね、どちらかと言えば、登美子の住む豪邸にのぶ夫婦と羽多子が同居した方が良いと思う。その方が登美子のプライドや生き方が、彼女自身の中で納得できるように思う。

 そもそも自分の存在理由が見つからないので、クラゲになった崇です。だから、長屋に住もうが豪邸に居ようが、彼の意識波動は何も変わらない。それは乾いてはいないが潤ってもいない、それだけだ。のぶには、まだ登美子のプライドと崇のこだわりのなさが分かっていない。。。

 のぶの心遣いを知った羽多子は、マンションの茶室に登美子を呼び、お茶を点ててもらうことにした。

 「優しいライオン」は、とても評判が良く、崇は、絵本の仕事を依頼された。彼は、アンパンマンおじさんを提案したが、一瞬でボツです。他に言うことはありません。彼はそういうことに慣れています。

 数日後、登美子がマンションの茶室でお茶を点てた。羽多子はとりあえず一服、頂いた。

 そして、ラジオドラマ「優しいライオン」の話題になったが、登美子はさすがの百戦錬磨。のぶと羽多子が描いた筋書きには最初から乗る気はなく、すでに成り行きを察しているようです。

 登美子は心の奥では崇のことを想っていますが、彼が追い詰められないと本気にならない性格であることも理解しています。崇のクラゲの姿は仮のものであり、登美子が気づいていないのは、崇が自分の存在理由に迷い、純粋で夢のような母性愛を求めているということです。

 しかし、正しい母性愛は、メルヘンを許しません。優しさがこじれた甘さなど、女性にとってはただの生ぬるい金玉もどきに過ぎません。登美子からすれば、崇がそんな迷惑な男に育つはずがありません。母親は、蜂蜜の入った一斗缶を頭からかぶったようなベタベタな男になってほしくないのです。そういう男を見ると、登美子は癇癪を起こします。しかし、そのはちみつ男が、事もあろうに我が子なのです。産んだんです。あははは。

 そして、崇は自分の存在理由が分からなくなり、クラゲになってしまいました。才能はあります。やればできる子です。ただ、今の蜂蜜メルヘン男は、腹の出たアンパンマンおじさんをヒーローだと考えているのです。アンパンマンおじさんは、人助けをする崇です。

 登美子はのぶに「前にも言ったけど、崇は優し過ぎます。それは、甘すぎると言う意味です。勘違いしないでね」と注意しました。

 そんなところに崇が帰ってきた。

 崇が「優しいライオン」の感想を尋ねると、登美子は「崇、あんた、もっとズルくなりなさい。あんな甘ったるい話を作っているようじゃ、頭の中がすけて見えるわよ。そんなじゃ、この世の中でやっていけないし、生きていけないわ」と、まるで父親代わりのように説教をしてしまいます。

 登美子には、なぜ崇が味のしない半透明のクラゲになってしまったのか、理由が分からないようです。それは、あんたのせいです。

 登美子さん、お言葉ですが、崇君は、裕福な生活を送り、その創造的才能も世間から高く評価されています。しかし、そこまで耐えても崇君自身、存在する理由が分からず、どうしても何かの生きづらさを感じてしまうのです。その意味でやっていけないのです。彼は自分の魂が存在する理由を知りたいのです。創造性があるから空白ではないのに、そこを埋めることを求めているのです。それだけなのです。なかなか難しい問題です。

 あえて言うなら、崇は、空(くう)の中に空を求めています。透明の中に透明を求めています。それは、仲のいい魂が家族という形で存在しながら、その絶対的な存在理由は無いのか?と彼は、自分に問うているのです。父親が死んだからね。

 そして、自分はどうすべきかを考えたら、まるでメルヘンのような展開になったのです。現実を言うなら、人助けをする腹の出たアンパンマンおじさんになったのです。

 しかし、今日、アンパンマンおじさん(崇)は女性編集者に瞬殺され、ブルブルのメルヘン物語ではムクムク役の登美子に甘ったるいと否定されたのです。そりゃー、崇が自分の存在理由が分からなくなってしまうでしょ。。。

 だかららこそ、崇は余計に母性愛の中を泳ぐ、才能クラゲになって行くのです。

 さて、ちょっと話がそれるけど、和至は登美子と崇の意見を聞いて、クラゲに蜂蜜をかけたら美味しい料理になるんじゃないかと思い始めた。例えば、クラゲの蜂蜜漬けとか、レモンを添えたりするのも良さそうだ。

(このアイデアを参考にしていい商品が出来たら、和至へのお礼をよろしく。プロフィール参照)

 話を元に戻します。

 登美子は、極めつけの一言を崇に吐いた、「だから、その年になっても代表作の一つも作れないのよ」と。あらら。

 これには羽多子が激高した。そして、

「登美子さん、久しぶりに会うた息子にそんなことしか言えんがですかっ。あんたが、こんな優しい息子さんに、愛情ある言葉の一つもかけられん母親らあなら、謝るのはあんたの方がじゃ」と吐き出した。登美子は、

「私は、謝るようなことは一切しておりません。二度の結婚は、崇を守るためです。」とキッパリ言い切る。

 のぶは二人の間に入って「この茶室を作ったのは、いつか登美子さんが年老いたとき、一緒に住んでくれるかもしれないから・・と、崇さんと相談してのことです」と話した。登美子は、

「崇が手島治虫先生みたいに有名になって、庭付きの豪邸でも建ててくれるのなら、同居も考えるわ」と言い残して帰って行った。

 今日は、崇のことを登美子は「やればできる子」だと確信しているようで、しっかり見極めている様子です。しかし、登美子自身が崇にとっての存在理由でもあることには気づいていないようです、の一席です。

 あのね、登美子さん、誕生日って何をお祝いしているか知っていますか?誕生日のお祝いは、正月に神様を迎えるお祝いとは少し違う気がします。もちろん、ただのセレモニーやパーティーだけでもなさそうですよ。

 和至も小学校に上がるまでは自分の誕生日を知らなかったし、30歳前後になるまで誕生日が祝うものだと知らなかった。こじつけのパーティだと思っていた。そもそも誕生会をした記憶がない。あははは。

 で、昨日ふとインスピレーションで気づいたんだけど、誕生日のお祝いって、その人の存在理由に関係しているみたいです。

 母親は命がけで子供を産むけど、子供も命がけで生まれてくる。それは、体の形が変わるほど過酷なこと。でも、ちゃんと無事に成功するんだよね。もし失敗したら、どちらかが命を落としてしまう。

 その成功体験が、魂と宇宙自然の法則に支えられている証拠となるため、正しく努力すれば成功するという実感を得られる成功体験にもなる。そして、漠然としているけれど、確かな経験に基づいた信頼にもつながるようです。全体、それが「最初の存在理由がある」という感覚的な体験になるのだと思います。

 魂には光の粒のようなものがあり、そこに前世の記録やあの世でのエネルギー交換の記録が残されているのだと思います。それはまるでDVDのような光の記録形式です。他にも遺伝子などのようなさまざまな記録形式が存在していると思います。

 それで、この光の粒がその人の根源的なところから来る「存在」だと言えると思う。だからこそ、消滅する因縁が無ければ、生死を超えて自動的に存在理由があると考えられるけれど、現実では、生と死が分かれていて、出産は生の側に属します。

 この生の側での無事な出産は、赤ちゃんにとって、この世界での最初の成功体験となるのです。初産であれば母親にとっても同様でしょうね。

 この成功体験を誕生日に祝うことで、母子ともに自分たちの存在理由が成功体験として認識できるのです。魂の光の粒と成功体験が祝いとして結びつけば、さらに一層、魂の世界や宇宙の自然法則から生まれた自分の存在理由を理屈抜きで感覚的に理解できるでしょう。そういう意味で誕生日のお祝いは大切なのです。

 つまり、この出産が無事成功したという体験が重要で、それが当人たちにとって当たり前のことでも、心から喜んでお祝いすることで、この先の人生でも次の成功体験に繋がる可能性が高くなるのです。例えば、成功が成功を呼ぶような感覚ですね。小さなことでも成功すれば、自分の存在理由を喜びとして感じられるでしょう。そこが大切な感覚なんです。わかるかなぁ?

 まあね、崇みたいに才能があっても、親子関係が悪くて、生まれてきたけど自分の望むような成功体験なんて知らない。否定ばかりされて、世間をただ漂うように生きているだけ。何かに燃えてみたかったけど、それも出来なかった。だから、自分が存在する理由もわからない、どうでもいい、責任は感じても成功なんて必要ない、どうせ伝わらない、という人もいるだろう。しかもバカはない。

 でも、その場合、自分が誕生日に生まれてきたという成功体験を思い出すといいと思う。それは紛れもない事実だし、才能があればなおのことです。親が嫌いでも、親がいなくても、それは一人でできることだからね。

 とりあえず生まれて、とりあえず生きていることを成功体験と捉えるように意識が変わると、やがて魂の光の粒と反応し、日々の小さな、それなりの成功体験が増えていくかもしれない。正しい成功体験を求めるのは良いことです。

 まっ、いろいろ書いたけど、しょうがないじゃん。そこにいるんだから。だったら、出産時に生きて産まれて来た成功体験を考えることで、自分の存在する理由を感じ取ればいいと思う。

 魂があり、魂には光の粒のようなものがあり、それらは空(くう)から生まれています。だからこそ、空氣体瞑想を通じて空に触れ、自分が存在する理由を直接感じ取ってみましょう。また、出産に成功したことで今ここに存在しているのですから、その成功体験をさらに広げてみましょう。それが現実世界での身近な成功体験に繋がるかもしれません。

 底辺で成功していると思えば、生きやすくなる。どうせ、バカに付ける薬は無いのだからね。賢い者が本物のバカにはなるな。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 あと、精神的な面から内観すると、プラグタル構造でもあります。輪廻ですね。宇宙だけではなくて、なんでも外側からと内側から見るのでは、違いがあるのです。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。