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『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

まだ似合わない白衣を身にまとった若手が数人,

主任さんらしき人の先導でぞろぞろ廊下を歩いている.

清掃やゴミ収集係の業者さんあるいはメッセンジャーの助手さんもペアを組んで,

一人がもう一人に説明しながら仕事している・・・・・・



年度が替わってのこの一週間は,

新人関係のイベントや教育などでてんやわんやであったが,

その事情はすべての部門に当てはまり,

ここ数日の病理に提出されてくる検体数は少し少なめである.

当たり前だけど臨床科の方でも異動がだいぶんあったようで,

たとえば院内カンファに出席しても,

若手医師の顔ぶれが結構変わっている.

いわゆる大学の医局人事でまわっていく病院では,

トップはある程度固定されていて,

下っ端の医師がローテートしていく図式がある.

若手が変わっていくこの変化は,

ありふれた年度替わりの病院風景とも言える.



大学病院にいる医師の中堅どころというか自分と同世代のスタッフはそれほどは変わっておらず,

中堅どころによって診断や方針が決められ,

中堅どころによって手術が施行されるので,

その結果として提出される病理検体の種類や数に,

結局は大きな変化はない.



そんな中でどうしても気になってしまうことは,

大学病院を支えていたベテラン中堅医師が,

一人ずつポツリポツリと確実に抜けていくこと.

抜けていった穴は若手によって補充され,

「若輩ですが・・・」「これから頼んだよ・・・」となる.

大学病院という組織を客観的に見た場合,

若手が次から次へと育ってくる環境は好ましく,

教育機関としての本来の姿なのであるが,

一中堅医師の立場からすると,

一緒にガンバってきた同世代が去って,

だんだん減っていくという現実になるワケであって,

一抹の淋しさはある.



いつまで自分はここに居るんだろう・・・・・・?

ここに居る資格はあるんだろうか・・・・・・?

そもそも自分としてはここに居たいんだろうか・・・・・・?

そんな自問を繰り返すここ数日である.
「昨の非を悔ゆる者は之れ有り,今の過を改むる者は鮮なし.」

『過去の非を後悔する人はあるが,現在していることの非を改める人は少ない.』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>
後悔先に立たず.

しょうがないことは考えても仕方がないので,さっさと忘れるのが得策である.

しかし,これは後悔した事柄をすべて忘れ去った方がいい・・・ということではない.

その事柄がおこった経緯やそれへの対応や態度などで,今後に生かせる教訓や問題点をしっかり抽出しなければならぬ.

そうすれば,今後への備え・再発防止が自然に分かってくる.

クヨクヨと後悔しても得るものは少ないので,さっさと忘れた方がいいのだが,反省はしっかりとしなければいけない.



現在していることの是非については,話しが少し複雑になってくるし,少々難しい.

まず,現在進行形のことについては,結果がまだ出ていない.

しかもその現在進行形のことは,多くの場合が良かれと思ってやっていることだろう.

だから,改めるにしても結果を見てから・・・・・ということになるし,それは致し方ないように見える.

ところがよーく考えてみると,良かれと思っていても実は「みんなやってるから」とか「そう言われてるから」とか「それが当たり前だから」というしょうもない理由しかない場合が案外多いのではなかろうか?

まず,当たり前というか常識というか前提を疑う姿勢が必要と思う.



それに,現在進行形のものに非があると気づいたとしても,改めるまでにはいくつかの障害がある.

もうすでにその線で初めてしまった・・・・・という体面というか体裁がある.

その線で他者を動かして,すでに何らかの影響を及ぼしているかもしれない.

始めてしまった以上,やっぱゴメン・・・なんて申し訳なくって言いにくい.

あるいは,自分自身のプライドやこだわりが邪魔をして,間違いを公にしたくない人もあろう.

こんな背景があって,一般に非を認める決断はしにくく,どうしても躊躇してしまう.

しかし,決断を先延ばしても非は非であり,先延ばしにすればそれは増長し膨れるばかりである.

非を認めるのは早ければ早いほどいい.
検査部にあらたに配属になった新人さん達が挨拶にやってきた.

西日本大では病理部と検査部は独立した別組織なのだが,病院内でのlocationが隣であることに加えて,検査部所属の技師さんで病理部に派遣されているヒトが3人いるために,こういった人的交流は普通に行われている.

今回採用になったうちの非常勤さん一人が,Yさんの代わりに病理に配属となる.

名前は既にわかっており,AOさん.

実を言えば,自分はこの新人さん達の面接に同席した経緯もあるため,どの子がどんなだったという記憶がけっこう残っている.

病理配属となったAOさんの記憶はとりわけ鮮明で,個人的に面接で最も気に入った子の一人であった.

面接後には,検査部教授と技師長にAOさんが非常に印象がよかった旨をそれとなく上手に記憶に残るようにちゃんとアピールしておき,その後の根回しも怠りなく,なんとか第一希望が病理に派遣される格好になった.

そんな前情報をみんな知ってるので,一体どんな子なのか興味津々であるが・・・・・それはしばらくつきあってみなければ分からない.



さて,そんな検査部新人さんの中で,アレっという子がいた.

採用になった新人さんはどれも面接時には比較的好印象だったので覚えているが,一人だけ別の意味で覚えている新人さんが居た.

ハッキリ言えば,自分だったらこの子は遠慮しておくな・・・・・っちゅうヒトが一人.

面接で,自分のアピールはしっかりできているのだが,私は負けませんっちゅうのをちょっとばかし前面に出しすぎっちゅうか・・・・・

ヒトを言葉では説明しようとすると圧倒的に舌足らずになるが,要はアピールの仕方があんまり好きではないタイプのヒトと言ったらいいか・・・・・.

その子が,目の前に採用者の一人として並んでいる.

あれっ・・・・・なんでこの子が・・・・・何かの間違いちゃう・・・・・?

正直に言えばこう思ってしまった.



この新人さん達の面接では,面接官としては検査部教授と技師長と総務課長であり,自分は陪席人でしかなかった(選択権なし).

したがって,この選択にはこれらの人達の思惑っちゅうか価値観が関わっている.

いいヒトを選びたいという根本のところでは変わらないが,選ぶ過程というか基準というかポイントはけっこう様々である.

具体的に言えば,楽しそうにがんばって一緒に仕事をしてくれるヒトを自分は選ぶと思うが,

しっかり仕事をこなして,あわよくば研究までがんばってくれるようなやる気あふれるヒトを検査部側は選んでいるんだろうなぁと思いつつ,

そこんとこの違いが,小さな微妙なものとも言えず,かと言ってけっこう大きいとも言えず,

その結果として自分だったら選ばない人が選ばれているという現実が目の前にあり,

・・・・・要は,ヒトを選ぶことはめっちゃ難しいということを再認識した.



面接で推し量ることができることは限られる.

それに自分とてその道のプロではない.

結局のところ,面接での選択に正解はないだろう.

印象の悪かった人には,いい意味で予想を裏切ってもらって,「シノ先生もまだまだ見る目がないね」と言えるほどに頑張ってほしい.
若手病理医のアミに,またまた説教中・・・・・



アミはこの4月から病理講座から病院病理部に移ってきた.

その引っ越す荷物の運搬を,申し訳ないが技師さんや秘書さんに手伝ってもらっている.

確かに,アミの引っ越しを手伝ってあげてよ,と彼らには頼んだ.

確かに,彼らに手伝ってもらっていいよ,とはアミに言った.

しかし,せ~のってな感じで技師さん秘書さんがアミの重い荷物を運んでいる傍らで,アミ自身は顕微鏡を見ている・・・っちゅうのはちと違うんちゃうか?.

顕微鏡を見て診断するのはアミの仕事だし,見なきゃいけない標本がたまっている事情もわかる.

しかし,やってもらって当たり前のような雰囲気っちゅうかアトマスフィアっちゅうか,そういう匂いがしてくるシチュエーション的なものはなんか許せんっつーかなんつーか・・・・・



そもそもアミは,おまえもっとしっかりせんとアカンぞ・・・と毎日説教したくなるような頼りなさと,ちゃんと言われたことメモしとけ・・・と毎日言いたくなるようなふてぶてしさと,少しは言われたことをやってみろ・・・と毎日言いたくなるような可愛げのなさを持つ.

これは,裏返せばそれだけ期待することが大きいということだろう.

確かに,これからしばらくはたった二人でやっていくことになるので,しっかりやってもらわねば困る.

そのためにはこうしてもらいたいしああなってほしいし・・・・・という期待が無限にわいてきて,期待はずれには限りなく身内的に叱ってしまう.

説教なんて,馬耳東風だし,どこまで効き目があるものやら・・・・・とず~っと思ってきたが,自分って意外に説教好きなのかも・・・と今更ながら気付かされる.



「おまえなぁ,・・・・・(中略)・・・・・自分は知らんぷりっちゅうのはどういうこっちゃ?」

「はぁ,すいません」

「ちょっとは,こんなに重くてごめんなさいとか,遠い道のりをお疲れ様ですとか,110円の小さめサイズですがジュースをどうぞとか,なんかないんか?」

「・・・いちおう,やっていただいてすいません,とは言いましたけど・・・」

「なんか誠意のかけらも微塵もないっちゅうか,ち~っともな~んも伝わってこんわ」

「はぁ,すいません」

「だいたいやなぁ・・・」

「フフフフフフッ」

「・・・なっ,なにがおもろいんじゃ?」

「あれって・・・・・シノ先生のですか?」

「そうやけど・・・・・悪いか?」

「悪くないですけど,なんかヘン・・・・・クックックック・・・」



どうやらアミは,説教している最中に目に入った(シノ部屋の)壁掛けのお守りにハマってしまって笑いが止まらんらしい.

お守りは厄除け祈願で,妻が仕事場用に手に入れてくれたもの.

自分のためだし,人に見せるものでもないし,目立たないところに飾ってある.

それは,確かに芸術的観点からするとちょっとヘンテコリンで,大衆芸能的観点からするとなんか滑稽な感じで,イメージ的には部屋主に似合わんっちゅうのはわかる.

それが目に入ってフフフッ程度なら可愛げがあるが,事もあろうに説教中に大笑いしだすとは・・・・・

しかも,いちおう有名神社で入手したお守りであって,不届きにも笑いだすとはバチが当たるぞほんまにもう・・・・・



こんな感じでうまくかわされ,今日の説教は自然に終わり.

説教好きとかわし上手の迷コンビで,これからもお互いにうまくやっていけそうだ.
「物を内容るるは美徳なり.然れども亦明暗あり.」

『雅量があって人を容れるのは,美徳である.しかし,その場合善と悪があって,善を容れるのはよいが悪を容れるのはよくない.』


「人の言は須らく容れて之を択ぶべし.拒む可からず.又惑う可からず.」

『他人のいうことは,一応,聴き入れてからよしあしを選択すべきである.始めから,断ってはいけない.また,その言に惑ってはいけない(しっかりした自分の考えがなければいけない).』


「能く人を容るる者にして,而る後以て人を責むべし.人も亦其の責を受く.人を容るること能わざる者は人を責むること能わず.人も亦其の責を受けず.」

『よく人を容れる雅量があって,始めて人の欠点を責める資格がある.雅量のある人から責められれば,人もその責を受け入れる.反対に,人を容れる雅量のない人は,人の短所を責める資格がないし,こういう人に責められても,人は受けつけない.』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>
ヒトをそのまま受け入れるような大きな度量を持ちたいものだ.

他人のいいところはいいとして,悪いところは悪いまんま,とりあえずはおおらかに受け入れる.

そうして受け入れた後で,しっかりした理念を持ちながら善悪長短を決めていけばいい.