同級生で某外科医JOが留学する。
もう40を超えているのに,今更留学かよ・・・・・
遅せえっちゅうねん。
「7月末にはもうおらんからな」とJO。
「あっそう」
「まぁ留学中はいろいろ頼むわ」
「ええよ」
「7月の週末はいろいろ詰まってて忙しいねん」
「そう」
「引越しの準備もせにゃならんし」
「面倒やな」
「いろいろ仕事や研究の整理もせにゃいかんし」
「そやな」
「それに挨拶にも行かなアカンし」
「大変やな」
「なかなかゆっくり時間取れんねん」
「まぁしょうがないやん」
JOは突然の離婚の後,
相当凹んでたけれども自棄にはならず,
かといって合コンしまくるようなエナジーも持ち合わせず,
けっこう地味なバツイチライフをエンジョイしているようだ。
そんなJOに降って湧いたような留学話。
聞けば誰もが知る有名施設への国内留学らしい。
所属講座の教授先生たちが,見かねて愛の手をさしのべたのか?
はたまたすでに決まっていた留学者のドタキャンの穴埋めか?
さてはJOに手を焼いた所属講座の,留学という名の放り出し作戦か?
真相は知らんが,とにかく応援してやらねばならん。
「まぁ体に気をつけてがんばってこいや」
「お~ありがとう」
「ブラックジャックになって,ピノコでも作って,再生医療に貢献してくれや」
「なんやそれ」
「ほんじゃあな,落ち着いたら連絡してくれ」
「おーほんじゃあ」
まぁ年齢的には遅い留学だが,臨床の腕を磨くには丁度いいかもしれん。
何を見ても初体験なぺーぺーで行くよりはずっといい。
・・・さぁ自分もがんばって仕事仕事。
顕微鏡を覗き始めると後ろにヒトの気配が・・・
振り返ると,そこには帰ったと思ってたJOが立っていた。
なんか別件で頼みでもあるんだろうか?
「どうした?忘れモノ?」
「あの~・・・シノ」
「なに?」
「なんか忘れてない?」
「いや,なにも・・・」
「激励会やってね」
すいませんでした,まったく気付きませんで・・・・・
まだ一人立ちもできないような小さな子供の腫瘍。
これに悪性の診断をするのも病理の仕事である。
悪性は悪性でもいろいろある。
根治が期待できる(全く治ってしまう)ものもあれば,
ほとんど死の宣告に近い場合もある。
提出されてきた細胞を顕微鏡で見ただけで,
「この細胞は悪性だ」などと言い切るのは,
神への冒涜に近い行為かもしれん。
しかし,
クローン動物を作ったり10万ドル払って宇宙旅行をしたりするこの時勢にあっても,
病理診断は現在でも最も信頼性のあるガンの診断方法。
考えてみれば因果な仕事である。
先日に,診断がちょっと難しい腫瘍が病理に提出されてきた。
患児は1歳のまだまだ小さな女の子。
出来上がった病理標本を覗いた瞬間,うひゃ~って思った。
どう見ても,どう転んでも悪性の細胞だらけ・・・
ようやく腫瘍の病理診断がついたので,
カルテを参照して現在の状態や治療方針などを見てみる。
ちなみに自分の大学病院では電子カルテになっていて,
コンピューターでカルテを見ることができる。
この腫瘍は,悪性は悪性でも抗がん剤がよく効くタイプ。
まぁ不幸中の幸いと言ったところか。
するとカルテのとあるページに,
「うんしょ・・・うんしょ・・・」と書いてあって,
ベット柵につかまって立ちあがろうとする患児の写真が載せてあった。
なんじゃこりゃあ・・・と読み進むと,
一人立ちが初めてできた模様が,
写真つきで紹介してあった。
「立ったあ~」(立った瞬間の写真つき)
「ピース!」(Vサインをしているように見える〇〇ちゃんの写真)
「おめでとう,〇〇ちゃん」(お母さんに頭撫ぜ撫ぜされている写真)
育児ブログかよっ(爆)・・・
症状とか身体所見とかそんな片っ苦しいことではなくって,
〇〇ちゃんの現在の調子が一目で伝わってきたカルテ。
こんなのカルテじゃねーという批判もあろうが,
そこは大目に見てあげよう。
〇〇ちゃんの見通しは明るくないかもしれん。
けれども,
こんなユーモアが私たちの心をポジティブな方向へ誘ってくれる。
これに悪性の診断をするのも病理の仕事である。
悪性は悪性でもいろいろある。
根治が期待できる(全く治ってしまう)ものもあれば,
ほとんど死の宣告に近い場合もある。
提出されてきた細胞を顕微鏡で見ただけで,
「この細胞は悪性だ」などと言い切るのは,
神への冒涜に近い行為かもしれん。
しかし,
クローン動物を作ったり10万ドル払って宇宙旅行をしたりするこの時勢にあっても,
病理診断は現在でも最も信頼性のあるガンの診断方法。
考えてみれば因果な仕事である。
先日に,診断がちょっと難しい腫瘍が病理に提出されてきた。
患児は1歳のまだまだ小さな女の子。
出来上がった病理標本を覗いた瞬間,うひゃ~って思った。
どう見ても,どう転んでも悪性の細胞だらけ・・・
ようやく腫瘍の病理診断がついたので,
カルテを参照して現在の状態や治療方針などを見てみる。
ちなみに自分の大学病院では電子カルテになっていて,
コンピューターでカルテを見ることができる。
この腫瘍は,悪性は悪性でも抗がん剤がよく効くタイプ。
まぁ不幸中の幸いと言ったところか。
するとカルテのとあるページに,
「うんしょ・・・うんしょ・・・」と書いてあって,
ベット柵につかまって立ちあがろうとする患児の写真が載せてあった。
なんじゃこりゃあ・・・と読み進むと,
一人立ちが初めてできた模様が,
写真つきで紹介してあった。
「立ったあ~」(立った瞬間の写真つき)
「ピース!」(Vサインをしているように見える〇〇ちゃんの写真)
「おめでとう,〇〇ちゃん」(お母さんに頭撫ぜ撫ぜされている写真)
育児ブログかよっ(爆)・・・
症状とか身体所見とかそんな片っ苦しいことではなくって,
〇〇ちゃんの現在の調子が一目で伝わってきたカルテ。
こんなのカルテじゃねーという批判もあろうが,
そこは大目に見てあげよう。
〇〇ちゃんの見通しは明るくないかもしれん。
けれども,
こんなユーモアが私たちの心をポジティブな方向へ誘ってくれる。
「需は雨天なり。待てば則ち霽る。待たざれば則ち沾濡す。」
『需という字は雨天を意味する。雨の降る時は,心を静めて待てば晴れるのに,待たないと,びしょ濡れになってしまうものだ。』
(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)
<しの訳>
雨に降られて。
待てば晴れるかもしれんが,待ってる時間がもったいない。
だったら,雨でもできることをしておこう。
雨に降られて。
止むのを待ったら待ったで,肝心の「旬」を逃すかもしれん。
そのタイミングの見極めが大切。
雨に降られて。
止むのが待てなくて,びしょ濡れになって稚速にやってもええやん。
晴れた後に,心穏やかに見直しができる。
『需という字は雨天を意味する。雨の降る時は,心を静めて待てば晴れるのに,待たないと,びしょ濡れになってしまうものだ。』
(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)
<しの訳>
雨に降られて。
待てば晴れるかもしれんが,待ってる時間がもったいない。
だったら,雨でもできることをしておこう。
雨に降られて。
止むのを待ったら待ったで,肝心の「旬」を逃すかもしれん。
そのタイミングの見極めが大切。
雨に降られて。
止むのが待てなくて,びしょ濡れになって稚速にやってもええやん。
晴れた後に,心穏やかに見直しができる。
大学病院の隣にはテニスコートを含む運動場があって,体育会系の部活動風景をよく目にする。
この週末はテニスの大会が行われていて,大勢が集まっていた。
遠くから聞こえてくる応援の声が,大会の大きさを物語る。
青春やなぁ・・・と,思わず試合に見入る。
目的や結果なんて二の次で,ただガムシャラ・・・・・これが青春。
テニスと言えば,個人的にはTVドラマ「青が散る」のイメージが強い。
少し古いドラマだが,その甘酸っぱさは時代を超えている。
新設大学にテニス部を作ろうと躍起になる若かりし佐藤浩市と石黒賢。
そんな二人に二谷友里恵と川上麻衣子が絡んだ恋愛模様が描かれる。
「新設大学,テニスサークル,恋愛付き」という,青春を描くにはこれ以上ない状況設定。
特に川上麻衣子が良い。
控え目な感じに惚れてしまう。
ドラマの筋としては,二谷友里恵の方が大事な役回りだったと思うんだが。
残った記憶は川上麻衣子。
脇役が主役よりも記憶に残る・・・・・これも青春。
さてこのテニス大会。
「テニスサークル」なんてナマチョロもんではなく,
「体育会系テニス部」って感じの学生たちの試合。
そんなにすごくはないが,そこそこのレベルの試合。
サービスエースやショットが決まると,「うっしやぁ~」という気合いも時折耳にする。
応援はというと,バレーで有名な「ニッポン・チャチャチャ」的。
手拍子とともに「オッセエ~オセオセ」とみんなで大声張り上げ系。
ラリーが途切れてプレーが中断すると,手拍子が始まり「オッセエ~オセオセ」となる。
ゲーム間あるいはセット間には,プレーヤーを応援団が囲んでの更なる濃厚な「オッセエ~オセオセ」が待っている。
みんなは一人のために,一人はみんなのために・・・・・これも青春。
しかしあまりの暑苦しそうな応援風景に,なんだか笑いがこみ上げてくる。
あんな至近距離で「オセオセ」と叫ばれたら,ウルサかろうに・・・・・
三三七拍子的な純日本的集団応援法とテニス=西洋風競技。
これをミスマッチと言おうか,和洋折衷と言おうか?
こんな組み合わせ・・・・・これも青春。
この週末はテニスの大会が行われていて,大勢が集まっていた。
遠くから聞こえてくる応援の声が,大会の大きさを物語る。
青春やなぁ・・・と,思わず試合に見入る。
目的や結果なんて二の次で,ただガムシャラ・・・・・これが青春。
テニスと言えば,個人的にはTVドラマ「青が散る」のイメージが強い。
少し古いドラマだが,その甘酸っぱさは時代を超えている。
新設大学にテニス部を作ろうと躍起になる若かりし佐藤浩市と石黒賢。
そんな二人に二谷友里恵と川上麻衣子が絡んだ恋愛模様が描かれる。
「新設大学,テニスサークル,恋愛付き」という,青春を描くにはこれ以上ない状況設定。
特に川上麻衣子が良い。
控え目な感じに惚れてしまう。
ドラマの筋としては,二谷友里恵の方が大事な役回りだったと思うんだが。
残った記憶は川上麻衣子。
脇役が主役よりも記憶に残る・・・・・これも青春。
さてこのテニス大会。
「テニスサークル」なんてナマチョロもんではなく,
「体育会系テニス部」って感じの学生たちの試合。
そんなにすごくはないが,そこそこのレベルの試合。
サービスエースやショットが決まると,「うっしやぁ~」という気合いも時折耳にする。
応援はというと,バレーで有名な「ニッポン・チャチャチャ」的。
手拍子とともに「オッセエ~オセオセ」とみんなで大声張り上げ系。
ラリーが途切れてプレーが中断すると,手拍子が始まり「オッセエ~オセオセ」となる。
ゲーム間あるいはセット間には,プレーヤーを応援団が囲んでの更なる濃厚な「オッセエ~オセオセ」が待っている。
みんなは一人のために,一人はみんなのために・・・・・これも青春。
しかしあまりの暑苦しそうな応援風景に,なんだか笑いがこみ上げてくる。
あんな至近距離で「オセオセ」と叫ばれたら,ウルサかろうに・・・・・
三三七拍子的な純日本的集団応援法とテニス=西洋風競技。
これをミスマッチと言おうか,和洋折衷と言おうか?
こんな組み合わせ・・・・・これも青春。
長男小6のいっ君が手に負えない。
明日の授業で使う写真を撮ったらしいが,
その写真の現像が間に合わないとわかって周囲に当り散らしている。
授業で近くの城跡の紹介当番に当たっているいっ君。
友人と二人してその城跡の取材をして,写真を撮ってきた。
その写真が明日の授業で必要なんだが,そんな事情を言い出すのが寸前の前日真夜中。
しかも写真はデジカメではなくフィルムカメラで撮ってある。
もうとっくに近くの写真屋は閉まっているし,かと言ってもう一度写真取りに行こうにも城跡は暗闇の中。
いっ君の要求は更にエスカレートする。
「知り合いの写真屋に電話して,すぐに写真を現像してもらえ!」とか,
「24時間オープンのフィルム現像屋をインターネットで調べろ!」とか。
そんないっ君の不遜な態度に腹を立てた父母による臨時緊急会議が開かれ,自業自得を知らしめることと,自分で解決させることを申し合わせた。
っで,「急にそんな大事なこと言われても知らんわ,自分でなんとかしなさい」と母。
「現像お願いって頼んだのにやってないお母さんのせいや」
「そんなに大事だったらね,いっ君,前もって事情をヒトに説明したりして,自分で責任持って確認するべきやわ」
「写真の現像お願いねって絶対言ったし!」
「いつまでに必要ってことも言ったの?なんでもかんでもヒトのせいにして・・・」
「そんなもん知るかクソババア」
普段は従順な母の諭しにも耳を貸さない。
「写真が間に合わなかったって,先生に正直に言って叱られろ!」と父の出番。
「うるさい,黙れ!」
「あのないっ君,アメリカの初代大統領のワシントンが子供の頃・・・」
「そんなもん知らんわクソジジイ」
歴史引用で煙に巻く父のお決まりの作戦にもまったく耳を貸さない。
「いっ君,写真はもうあきらめろ」
「お父さんは口出しするなって」
「しょうがないので,代わりに絵を描いたらどうや?」
「そんな時間ないし,風景なんて忘れとるし・・・・・絵なんか描かん」
父のナイスアイデアもダメ出し。
しかしそもそも写真がそんなに必要なモノか?
旧跡紹介なら写真なしでもええんちゃう?
父のブログも写真無し文章だけの無味乾燥なものやけど・・・ってこれは関係ないか。
とにかく理想がそのまま現実になるのはまれで,予定は狂ってくるのが世の中。
写真なしでなんとかやってみる「妥協」を教えるのも教育かもしれん。
あるいは、授業で先生に叱られるのがそんなにイヤなのか?
素直に否を認める正直さを教えるのが教育ではないか?
あの正直なワシントンが切った木って桜らしいけど・・・ってこれも関係ない。
とにかく尋常ではないいっ君の写真へのこだわりよう。
じゃあもう知らんわ・・・って突き放すと,
自室にこもって泣きながらフテ寝してしまういっ君。
それからしばらくして。
フテ寝するいっ君から母が聞いた話によると,
実は写真を一緒に撮りに行った友人に約束したんだそうだ。
明日の授業に間に合うように写真を現像してくると。
その約束が果たせないと,明日の授業でその友人に迷惑がかかると。
だからどうしても写真を現像する必要があるんだと。
だったら尚更大事なもんはしっかり責任もってやらなアカンと諭すも,
こだわりの理由がわかってホロッてくる。
なんや,ええとこあるやん・・・・・
「走れメロス」やなぁ・・・・・
子供の話はしっかり聞いてあげることが基本か。
明日の授業で使う写真を撮ったらしいが,
その写真の現像が間に合わないとわかって周囲に当り散らしている。
授業で近くの城跡の紹介当番に当たっているいっ君。
友人と二人してその城跡の取材をして,写真を撮ってきた。
その写真が明日の授業で必要なんだが,そんな事情を言い出すのが寸前の前日真夜中。
しかも写真はデジカメではなくフィルムカメラで撮ってある。
もうとっくに近くの写真屋は閉まっているし,かと言ってもう一度写真取りに行こうにも城跡は暗闇の中。
いっ君の要求は更にエスカレートする。
「知り合いの写真屋に電話して,すぐに写真を現像してもらえ!」とか,
「24時間オープンのフィルム現像屋をインターネットで調べろ!」とか。
そんないっ君の不遜な態度に腹を立てた父母による臨時緊急会議が開かれ,自業自得を知らしめることと,自分で解決させることを申し合わせた。
っで,「急にそんな大事なこと言われても知らんわ,自分でなんとかしなさい」と母。
「現像お願いって頼んだのにやってないお母さんのせいや」
「そんなに大事だったらね,いっ君,前もって事情をヒトに説明したりして,自分で責任持って確認するべきやわ」
「写真の現像お願いねって絶対言ったし!」
「いつまでに必要ってことも言ったの?なんでもかんでもヒトのせいにして・・・」
「そんなもん知るかクソババア」
普段は従順な母の諭しにも耳を貸さない。
「写真が間に合わなかったって,先生に正直に言って叱られろ!」と父の出番。
「うるさい,黙れ!」
「あのないっ君,アメリカの初代大統領のワシントンが子供の頃・・・」
「そんなもん知らんわクソジジイ」
歴史引用で煙に巻く父のお決まりの作戦にもまったく耳を貸さない。
「いっ君,写真はもうあきらめろ」
「お父さんは口出しするなって」
「しょうがないので,代わりに絵を描いたらどうや?」
「そんな時間ないし,風景なんて忘れとるし・・・・・絵なんか描かん」
父のナイスアイデアもダメ出し。
しかしそもそも写真がそんなに必要なモノか?
旧跡紹介なら写真なしでもええんちゃう?
父のブログも写真無し文章だけの無味乾燥なものやけど・・・ってこれは関係ないか。
とにかく理想がそのまま現実になるのはまれで,予定は狂ってくるのが世の中。
写真なしでなんとかやってみる「妥協」を教えるのも教育かもしれん。
あるいは、授業で先生に叱られるのがそんなにイヤなのか?
素直に否を認める正直さを教えるのが教育ではないか?
あの正直なワシントンが切った木って桜らしいけど・・・ってこれも関係ない。
とにかく尋常ではないいっ君の写真へのこだわりよう。
じゃあもう知らんわ・・・って突き放すと,
自室にこもって泣きながらフテ寝してしまういっ君。
それからしばらくして。
フテ寝するいっ君から母が聞いた話によると,
実は写真を一緒に撮りに行った友人に約束したんだそうだ。
明日の授業に間に合うように写真を現像してくると。
その約束が果たせないと,明日の授業でその友人に迷惑がかかると。
だからどうしても写真を現像する必要があるんだと。
だったら尚更大事なもんはしっかり責任もってやらなアカンと諭すも,
こだわりの理由がわかってホロッてくる。
なんや,ええとこあるやん・・・・・
「走れメロス」やなぁ・・・・・
子供の話はしっかり聞いてあげることが基本か。