元・国語教師のおばさんからの依頼 | 『しのゼミ』

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日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

元・高校の国語教師のおばさんがいる。

このおばさん,自分が高校時代に同じ高校に国語教師として勤務していた。

残念ながら実際に授業で教えてもらう機会はなかったが・・・・・

広い意味では高校の恩師に当たる。

退職後の今も,とある学校の非常勤職について働いている。

そんなおばさんから,「ちょっと文章を書いたけど,見てくれる?」と言われる。

どうやら地域の「子を持つ親」に対してコラムの執筆を依頼されたらしい。

コラムの読み手が自分と同年代で同じ境遇なヒトが多いようなので,意見を聞かせて欲しいと言う。

自分の意見なんて言われても・・・

おもしろいかおもしろくないかくらいしか分からんし。

国語の先生にはええ加減なこと言えんし。

「はぁ~・・・まっ,読むだけならええですけど」



「子を持つ親」に向けてのアドバイスが書かれたおばさんの文章。

実際に読ませてもらうと,さすがに元・国語教師だけあって上手い。

実体験から学んだメッセージが初々しい。

文学少女時代の話や,教師時代に出会った教え子の話や・・・・・

読ませてもらってる横で,おばさんは終始ソワソワ。

自分の書いた文をヒトに読まれるのは基本的に恥ずかしいもんだ。

文中にいろいろ気になる箇所があるようで,読後に

「ここは,○△に変えた方がええんちゃう?」とか,
「この言い回しは生意気に聞こえる?」とか,
「この言葉はいるか」とか,

矢継ぎ早に細かい意見を求められる。

こんな大雑把な自分に聞いても分からんわ・・・という「極細」な質問もある。

自分ならば,細かいところはあまり気にしない。

それより,きれいに流れてまとまってるかに注意を払う。

「うまく流れてるとは思うけど,ここを略して,ここをボリュームアップして・・・」

いちおう自分の感想と訂正箇所を話す。

しかし,自分だったらこう書くなぁという意見の半分も言えない。



文章を書く=自己描出。

どう書いてどう読まれたいかは,ヒトによって違う。

特にエッセイ・コラム関係は書く際の「自由度」が無限大。

そんなものに対しては,つまらんかおもしろいかしか言えない気がする,究極には。

それに,「人生の先輩」に向って自己描出法を説くなんて土台ムリっちゅうか,三十年早い!。

・・・まぁおばさん孝行はできたから良しとしよう。