子どもが誰しもが生まれ持った才能がある。
それを僕は信じてるんやけども、その才能は大抵の場合、
「親が見抜かないと開花しない」
んよね。
なんでかっていうと、
「才能の開花には親の力が必要なことがほとんど」
だからです。
例えば、子どもに野球の才能があったとしましょう。
でも、親が、
「子どもに勉強をやらせたい」
「子どもにサッカーをやらせたい」
「野球選手になんてなれるわけがない」
って思ってたら、子どもは野球に打ち込むことができなくて、子どもの才能が開花するタイミングが失われちゃう。
野球の才能なんだから、野球をしないと見えてこない。
親の「これをさせたい!」っていう気持ちが強くて、あまり子どもを観察できていない状態になると、子どもの野球の才能は見過ごされていく。
さかなクンは、小学生の頃は魚の絵を描くのが好きだったらしくて、とにかく絵を描いてたらしい。
学校で三者面談の時に先生からお母さんに対して、
「絵ばかり描いてるとダメよ。勉強もさせて」
って言われたんだけど、お母さんが
「いや、この子は絵が好きだから、これでいいんです」
って返したそうな。
その結果、名実共に、魚博士になった。
東京海洋大学の客員教授であり、名誉博士でもあるんだよね。
もし、親がみんなと同じように育てたいと思ってたら、絵をやめさせて、勉強をさせようとしてたと思うんだよね。
「この子を育てたい」
と思うのか、
「この子を他の子どもと同じように育てたい」
と思うのかで、子どもの人生はまるっきり変わる。
子どもの才能を見抜くのは親の役割なんだけど、じゃあ、いつでも必ず見抜けるのか?っていうと、そんなこともない。
親が子どもの才能を見抜こうと思っても、才能に関連する活動をしてないといけないから、ほんとに偶然の出会いなんよね。
見抜こうと思ってなかったら、まず子どもの才能には気付かないと思う。
親が子どもの才能を見抜こうと思っていて、なおかつ、才能の片鱗が見える偶然が重なって、
「この子には、○○の才能があるのでは!?」
って気付ける。
才能の発見は、偶然の産物なのよ。
僕の妹の話なんだけど、保育園に通ってた時に、先生が母親に、
「この子は、他の子と描く絵が違います!もしかしたら、才能があるのかも!」
って進言をしたんだよ。
それを聞いて、母親は即座にお絵かき教室を探してきて、妹を通わせたところ、見事にバチコンとハマった。
中3までやったかな?ずっと通い続けてて、展示会?で賞もいくつか取ってた。
絵が描ける学科のある高校に進み、そこからゲームデザインの道へと進んでいく。
僕の影響でゲームが好きになり、今もずっとゲームを作る仕事をしてる。
その道の始まりは、
「絵の才能の発見」
だったんよ。
子どもの才能と言っても、一番でなくてもいい。
才能があるということは、他者よりもその能力において優れている、ってこと。
子どもの才能を早い段階から見つけておけると、それが将来の仕事にも繋がる。
なんでかっていうと、
「仕事とは、自分の能力を使って、他者に貢献すること」
であり、
「才能とは、他者よりも優れた能力値や、能力の伸び率のこと」
だから。
才能を発見して、その能力を伸ばしておくと、将来的にその能力を使って仕事ができる。
10歳の頃に発見したとして、そこから10年能力を磨き続けると、もう10年選手になってくる。
才能もあり、10年も取り組んでいたら、相当なことができるはずよ。
その能力を使って仕事ができれば、子どもも楽しく夢中になれるし、仕事の成果は上げやすい。
こんなに嬉しいことはないよね。
親が子どもの将来について考えるなら、
「遊びの解放」
の一択だと思うんだよな。
才能は、「遊びの解放」をしておかないと見つけるのは困難です。
もし、さかなクンのお母さんが、子どもには勉強をさせる親で、
「絵を描くのもほどほどにしておきなさい」
みたいな教育方針だったら、今のさかなクンはいなかったでしょうね。
それと同じで、親が子どもに勉強をさせようと思って、遊びを制限していくと、親の意向には沿うようになるかもしれないけど、子どもの才能が見つかる確率は激減します。
この時、才能が見つかる可能性は、
「たまたま親のやらせたいことの範疇(はんちゅう)に、子どもの才能があった場合のみ」
です。
あまたある選択肢の中から、
「親のやらせたいこと」
のたった1つに可能性を絞るんです。
そりゃーーーーー
子どもの才能なんて見つからんでしょ(笑)
しかも、親のやらせたいことなんて、
「子どもにとってのつまらないもの」
であることがほとんどなんだから、そんなところに才能は無い(笑)
子どもの才能を見つけずに、親のやらせたいことで人生を勝負するというのは、
「竹やりで戦闘機を落とそうとするもの」
なんです。
こういう生き方のことを
「人生ハードモード」
って言います。
せっかく持って生まれた才能があるのに、
せっかく持って生まれた強力な武器があるのに、
あえて縛りプレイをして、
「竹やりしか使っちゃいけません」
ってやっちゃう。
ドラクエで言うなら、ひのきの棒で大魔王に挑むようなもの。
無理でしょ(笑)
「遊びを制限して、親のやらせたいことをやらせようとする」
っていうのは、そういう意味なんですよ。
「遊びの解放」
をすると、最初は、
「欲求不満の解放状態」
に入るから、この時には才能を見つかりにくい。
欲求不満の解放状態を終えて初めて、子どもは自分のやりたいことをやり始めます。
子どもが自分の「want」に従って、やりたいことをやり始めて初めて、子どもの才能が見つかる可能性が出てきます。
でも、ただ「遊びの解放」をするだけだと、才能は見つからない。
あ、ちなみに、「遊びの解放」っていうのは、
「親が、子どもの遊びにかけている制限の一切を取り払うこと」
です。
制限、管理、命令、指示、誘導など、子どもをコントロールすることをやめることを言います。
「遊びの解放」をした上で、
子どもをよく観察し、
子どもの話をよく聴くことで、
そこに偶然が重なることで、
才能を見つけられる。
そして、子どもが才能を見つけられば、
「才能とは、子どもが他者よりも優れた能力を発揮できる素養」
のことを言うから、他の人よりも上手にできたり、評価されやすい。
才能を使って能力を向上させて、
その向上させた能力で、将来、他者に貢献していく。
誰でもできることではなく、
その子にしかできないことや、
その子の得意としていることで、
他者に貢献をする。
それが「仕事」です。
誰にでもできることなら、それも仕事っちゃあ仕事だけど、遅かれ早かれ、AIに置き換わっていくよね。
才能って、見つかるかどうかは偶然だから、いつ見つかるかは分からない。
だからこそ、なるべく早くに「遊びの解放」をして、子どもの才能を見つけられるようにしたいんだよね。
学校の勉強をさせようとしたり、
何とかして学校に行かせようとしたりするよりも、
「子どもの才能を見つける」
っていう方が、よっぽど将来の仕事に繋がると思うんよな。
子どもが学校に行ってても、行っていなくても関係ない。
子どもが何に適性があるのか?
何ならずっと取り組み続けられるのか?
夢中になれることは何か?
そういうことをなるべく早くに見つけていくんです。
そしたら、子どもは自ずと進む道を決められるし、将来の仕事だって決まってくると思うんよな。
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