子どもはただ生きているだけでいい | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子育てにおいて、超絶大事なことを話します。

 

大事なこと四天王に入るくらい大事なことです。

 

 

 

子どもに学校に行ってほしい

 

子どもに勉強をしてほしい

 

子どもに健康でいてほしい

 

子どもに幸せになってほしい

 

子どもに友達と遊んでほしい

 

子どもに笑っていてほしい

 

 

 

色々と、子どもに願うこともあると思うけど、

 

「無償の愛情」

 

っていうのは、

 

「子どもはただ生きているだけでいい」

 

って思っていることだろうな。

 

 

 

例えば、

 

「子どもに学校に行って欲しい」

 

と願った瞬間から、

 

学校に行っている子ども ⇒ OK

 

学校に行ってない子ども ⇒ NG

 

っていう条件が生まれる。

 

 

 

「子どもに健康でいてほしい」

 

と願えば、

 

健康な子ども ⇒ OK

 

病気になったり、不調になった子ども ⇒ NG

 

っていう条件が生まれる。

 

 

 

子どもが病気になると、親が心配をし始めて、子どもを信頼するのをやめてしまう。

 

子どもは、

 

「病気になった自分は、親を悲しませてしまうんだ」

 

と思ってしまう。

 

 

 

「子どもに笑っていてほしい」

 

と願えば、

 

笑っている子ども ⇒ OK

 

笑っていない子ども ⇒ NG

 

っていう条件が生まれる。

 

 

 

親に愛してもらうためには、親に認めてもらうためには、笑っていけないといけない。

 

どれだけ辛くても、悲しくても、笑っていないといけない。

 

 

 

「子どものがんばっている姿を見たい」

 

と願えば、

 

がんばっている姿 ⇒ OK

 

がんばっていない ⇒ NG

 

っていう条件が生まれる。

 

 

 

しかも、この時、

 

「ゲームに一生懸命になる」

 

とか、

 

「Youtubeを視聴するのに没頭する」

 

とかはダメなんだよ(笑)

 

 

 

「親が認めることで、子どもにがんばってほしい」

 

っていうのが親の本音なんだろうな。

 

 

 

子どもが親に愛してもらうには、がんばり続けないといけない。

 

がんばることをやめたり、何がやりたいのか迷っていたらいけない。

 

がんばる姿を親に見せ続けないと、親が、自分にがっかりしてしまう。

 

 

 

子ども目線で想像すると

 

「親にガッカリされる」

 

っていうのは、ゾッとする(笑)

 

 

 

 

 

親の願いというのは、親がただ願うだけじゃない。

 

願いが叶わなかったら、子どもに失望するし、

 

「子どもに何とかして、期待通りのことをさせたい!」

 

と思って、躍起になる。

 

 

 

健気な子どもほど、親の期待に応えようと思って、がんばる。

 

期待に応えられたとしたら、今度は、

 

「期待に応え続けないといけない」

 

っていう、さらに高いハードルがやってくる。

 

 

 

期待に応えられなかったら、親に失望されてしまう。

 

「僕が(私が)、親をがっかりさせてしまった・・・」

 

と思って、子どもは焦り、不安になり、無理をするようになり、感情が乱れるようになる。

 

 

 

親は失望したまんまじゃないんよな。

 

「何とかして、子どもにそうさせたい」

 

と思って、今度は親ががんばりはじめる。

 

 

 

子どもを学校に行かせようとするとするし、

 

子どもに勉強をさせようとするとし、

 

子どもを塾に行かせようとするし、

 

子どもに受験をさせようとし、

 

子どもを健康にさせようとするし、

 

子どもを笑顔にしようとがんばるし、

 

子どもをがんばらせようとする。

 

 

 

「子どもがゲームをしてても、荒ぶってて、全然楽しそうじゃないんです」

 

なんて悩んだりする。

 

 

 

子どもが楽しそうじゃないと、親が悩んじゃう。

 

子どもは楽しくしていないといけない、と思っちゃう。

 

「楽しくないなら、やめちゃえばいいじゃん」

 

とか言っちゃう。

 

 

 

「やめたい」

 

なんて一言も言ってないのに。

 

 

 

悔しい、辛い、ムカツク、落胆・・・

 

そういう感情になったってやり続けたいのがゲームだし、遊びなんだよね。

 

 

 

「楽しくないなら、やめちゃえばいいじゃん」

 

って言っちゃうような親は、おそらく真剣に遊んだことが無いんだろうな、って思う。

 

 

 

 

 

「子どもに笑っていてほしい」

 

と願ってて、子どもが笑えなくなった時、それほどに辛い状況に追い込まれた時、親はずっと失望し続けることになっちゃう。

 

 

 

何とかして、笑顔にしようと思って、子どもに働きかける。

 

子どもの身に起こっている問題を何とかして取り除こうとする。

 

学校に行けてないなら、学校に行けるようにするし、

 

精神的に追い詰められてるなら、精神科に連れていったり、

 

病気になってるなら、病院に連れていこうとしたりする。

 

 

 

いや、病院に連れていったり、然るべき対処を必要とすることはあるよ。

 

でも、その前にやることがあるんよ。

 

 

 

親子関係において、大切なことをすっ飛ばしてる。

 

それは何かと言えば

 

「共感」

 

です。

 

 

 

共感をすっ飛ばして、

 

「調子が悪いなら、病院に行こう」

 

ってやるから、子どもの気持ちが置き去りになってしまう。

 

 

 

実際にあった事例なんだけど、子どもの身体の調子が悪くて、それを親に訴えたら、

 

「調子が悪いなら、病院に行こう」

 

って行って、病院に連れていくんだけど、もらってきた薬を使おうとしない。

 

 

 

親は、

 

「薬を使わないと治らないよ」

 

って言って、子どもに何とかして薬を使わせようとするんだけど、一向に使おうとしない。

 

 

 

この時、子ども目線に立ってみると、

 

「親の態度が冷たく感じる」

 

ってことが分かったの。

 

 

 

子どもは、まずは親に、

 

「そっかぁ、辛いね~(>_<)」

 

って言って、寄り添ってほしかったんよ。

 

 

 

自分の辛さに共感をして、気持ちを分かってほしかったんよ。

 

でも、親が解決思考になり、すぐに問題を解決しようとすると、子どもの気持ちを置き去りにしてしまい、

 

「あ、僕は(私は)、大切にされていないんだ」

 

って感じるようになる。

 

 

 

その結果、

 

親に大切にされていない自分

どうでもいい自分

薬を使わずに調子が悪くても良い

 

っていう論理になるんよ。

 

 

 

だから、子どもは薬を使おうとしなくなる。

 

 

 

「問題があるなら、すぐに問題を解決しなければならない」

 

って思うことは、

 

「問題を抱えた子どもは良くない」

 

って思ってる、ってことよね。

 

 

 

だから、子どもが問題を抱えると、

 

「親から愛されていない」

 

って感じてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

問題を抱えている子どもだって、愛したっていい。

 

問題を抱えたままの子どもだっていい。

 

辛そうで、苦しそうで、大変そうな子どもであってもOKを出してあげる。

 

 

 

「それは辛いね~・・・」

 

「苦しかったね・・・」

 

「大変だったね~!!」

 

って共感をする。

 

 

 

その上で、

 

「私は(俺は)、あなたに幸せでいてほしいと思うんだよね。

 

あなたは、今の状況をどうしたいと思ってる?」

 

って、子どもに判断を仰ぐ。

 

 

 

子どもの身体を、子どもの精神を、子どもの人生をどうするのかを、子ども自身に判断を仰ぐ。

 

これが

 

「子どもを尊重する」

 

ってこと。

 

 

 

子どもを親の操り人形にするのではなく、

 

子ども自身のことは、子ども自身に教えてもらい、子どもに判断を仰ぐ。

 

 

 

親の気持ちを伝えたり、

 

親の「こうしたらどうかな?」っていう提案は、その後です。

 

 

 

まずは、子どもを尊重する。

 

他者に迷惑がかかってるなら、その限りじゃないんだけど、そうじゃないなら、基本的には子どもを尊重する。

 

 

 

子どもが学校に行ってなくてもいいし、

 

勉強をしてなくてもいいし、

 

塾に行ってなくてもいいし、

 

受験をしなくてもいいし、

 

ゲームばっかりでもいいし、

 

Youtubeばっかりでもいいし、

 

友達がいなくてもいいし、

 

部屋にこもりっきりでもいいし、

 

体調が悪くてもいいし、

 

笑っていなくてもいいし、

 

辛そうでもいいし、

 

「死にたい」と言っててもいい。

 

 

 

そして、子どもがただただ生きててくれるだけでいい。

 

 

 

子どもが辛かったり、笑っていなかったり、体調が悪くても、それはダメなことじゃない。

 

辛い子どもも受け止めていいし、

 

笑っていない子どもを受け止めてもいいし、

 

体調が悪い子どもを受け止めてもいいし、

 

部屋に引きこもってる子どもを認めてもいい。

 

 

 

その上で考えたいのは、

 

「子どもは、どうしたいと思ってるのかな?」

 

なんだよ。

 

 

 

「親が子どもに対して願っている通りにしてもらう」

 

のではなくて、

 

「子どもが進みたい方向へと進んでいってもらう」

 

です。

 

 

 

親が見るに堪えないから、子どもに良くなってもらうんじゃない。

 

子どもが良くなりたいと思ってるから、子どもが良くなっていくんです。

 

 

 

親は、

 

「子どもは良くなっていきたいと思っているはずだ」

 

と信じて、子どもの良くなりたい気持ちを引き出していきたいんです。

 

 

 

そのために、子どもとコミュニケーションを取る時に、まず最初にやりたいのが、

 

「共感」

 

です。

 

 

 

「辛かったね~」

 

「大変だったね~」

 

「外に出るの怖いよね~」

 

「学校に行きたくないよなぁ!」

 

「勉強なんてめんどいよな!!」

 

「そら、死にたくもなるわ・・・よくがんばってるなぁ。。。」

 

って。

 

 

 

共感は、とりあえず、オウム返ししておくと、それっぽくなります(笑)

 

気持ちがこもってないと気持ち悪いけど、それでもやらないよりはマシ。

 

 

 

問題解決の前に、共感する。

 

子どもに寄り添う。

 

 

 

「子どもはただただ生きているだけでOK」

 

って思いつつ、

 

「子どもはきっと良くなりたいと思っているはずだ」

 

と信じているからこそ、

 

「共感」

 

っていう選択になる。

 

 

 

「子どもは生きているだけじゃダメだ」

 

って思っていたら、子どもを何とかして、親好みにしようとするし、

 

「子どもは良くなりたいとは思っていない」

 

って思えば、

 

「私が(俺が)何とかしてあげないといけない!!」

 

ってなって、親が問題解決に乗り出す。

 

 

 

そうして、子どもの良くなろうとする気持ちを親が奪っちゃうんだよね。

 

そうして、子どもは

 

「笑っていないといけないんだ」

 

「体調を崩した自分はダメなんだ」

 

って思うようになる。。。

 

 

 

子どもはただ生きてるだけで十分なのよ。

 

それだけで最高に奇跡だし、素晴らしいことなんよ。

 

 

 

 

 

 

ぜひこの記事は、何度も何度も読み返してみてほしい。

 

子育てにおいて、超絶大事なことを書いてます。

 

 

 

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