子どもが”自分から”勉強を始める | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

もうかれこれ10年くらい、ずっと言い続けているのが、

 

「子どもが勉強をするようになるよりも、

 

子どもが”自分から”勉強をするようになる方が圧倒的に大事でしょ」

 

ってこと。

 

 

 

 

 

子どもが勉強をするようになるなら、

 

「親が口うるさく言って、子どもが勉強をする」

 

っていうこともあり得ます。

 

 

 

親が口うるさく言って、子どもが勉強をする・・・

 

おそらく、ほとんどの親は、こんなこと求めてないと思うんよね。

 

 

 

子どもに口うるさく言いたくないやん?

 

めんどくさいし、子どもには反抗されたり、言っても全然勉強しなかったり・・・

 

勉強をしてるかどうかがすごく気になるし、勉強をしていないとイラッとするし、不安にもなったりするし・・・

 

 

 

「私は、子どもに口うるさく言いたいんです!!」

 

っていう人は、今日の話はあんまり役に立たないし、

 

「それなら、どうぞ、口うるさく言ってくださいませ」

 

って感じです(笑)

 

 

 

でも、僕のブログを読んでくれてる人のほとんどは、

 

「子どもに口うるさく言いたくないんだけど、子どもが勉強をしないから、仕方が無く口うるさくなってしまっている」

 

んじゃないかな?

 

 

 

もし、子どもに口うるさく言うことが嫌なのであれば、本当に求めていることは、

 

「親が何も言わなくても、子どもが自分の意思で勉強を始める」

 

っていうことよね。

 

 

 

口うるさく言いたいなら、口うるさく言うことの方が大事。

 

でも、口うるさく言いたくないけど、勉強はしてほしいのであれば、

 

「親が何も言わなくても、子どもが自分の意思で勉強を始める」

 

これよね。

 

 

 

 

 

 

この本当の望みに気付いたら、もう親は口うるさく言っちゃいけない。

 

僕の権威性をもって禁止する、ってことじゃなくて、

 

「親が何も言わなくても、子どもが自分の意思で勉強を始める」

 

っていうことを求めているんだから、

 

親が子どもに勉強をさせようとしたり、口うるさく言うなら、それはもう

 

「子どもが自分の意思で勉強を始めた」

 

にならないよね。

 

 

 

僕が禁止してるんじゃなくて、論理的に考えると、

 

親が勉強をするように言う

子どもが勉強を始める

 

っていう流れは、どう考えても、

 

「子どもは、”親に言われたから”勉強を始めた」

 

よね。

 

 

 

たとえ、元々勉強をするつもりだったり、勉強をする習慣があっても、

 

「子どもが勉強を始める前に、親が勉強について言及する」

 

んであれば、

 

「子どもは、”親に言われたから”勉強を始めた」

 

っていう流れを作ってしまう。

 

 

 

「自分の意思で始めたのか、親に言われたから、どっちでもいい」

 

って思う人もいるかもしれない。

 

 

 

でも、この違いは、めちゃくちゃ大事です。

 

 

 

親が勉強をするように言う

子どもが勉強を始める

 

この流れを何度も何度も繰り返していると、子どもは”あること”を学習します。

 

 

 

それは、

 

「勉強をする必要が出てきたら、親が言ってくれるんだ」

 

ってこと。

 

 

 

最初は、子どもは自分の意思で、自分の習慣に従って、勉強をしようとしてたとしても、

 

親が勉強をするように言う

子どもが勉強を始める

っていうことを何度か繰り返すと、

 

「親が勉強をするように言う」

 

っていうのと、

 

「勉強をする」

 

っていうことが紐づいてしまう。

 

 

 

この2つが紐づいてしまうということは、

 

「親に言われていないのに、勉強を始めようとすると、違和感を感じるようになる」

 

っていうことです。

 

 

 

勉強をする必要があるタイミングで、いつも親が言ってくれてた。

 

親が何も言わないということは、、勉強をする必要が無いということ。

 

勉強をする必要が無いのに、勉強をするのか?

 

いや、しないよね。

 

 

 

こういうのを

 

「条件付け」

 

って言います。

 

 

 

親が勉強をするように言う

子どもが勉強を始める

 

っていうことを何度も学習すると、逆方向の紐づけも出来あがる。

 

 

 

「逆方向の紐づけ」っていうのは、

 

子どもが勉強をしない

親は勉強をするように言っていない

 

っていうことね。

 

 

 

この条件付けができてしまうと、

 

「勉強をするためには、親の働きかけが必要」

 

っていう状態になるわけよ。

 

 

 

それって、言い換えれば、

 

「勉強をするには、親の許可が必要」

 

みたいな話になるわけ。

 

 

 

そうなってしまうと、

 

「子どもが勉強をしたくても、自由に勉強ができない」

 

っていう状態になってしまうんよ。

 

 

 

親は「子どもに勉強をしてほしい」って思っているのに、

 

子どもに勉強をするように何度も言うもんだから、

 

子どもが勉強を始めるには、

 

「親の許可が必要」

 

みたいな状態にしちゃう。

 

 

 

もっと簡単に言えば、

 

親は「子どもに勉強をしてほしい」って思っているのに、

 

親が自分の関わりによって、

 

子どもが自由に勉強できない状態にしちゃった、

 

ってこと。

 

 

 

こういう関係性が、ほんっとーーーーに多くの親子間で起こってる。

 

びっくりするくらい、当たり前のように行われている。

 

 

 

 

 

 

なんで、そんなことが当たり前に起こっているのか?っていうと、

 

「親の望んでいることが、ちょっとズレているから」

 

です。

 

 

 

最初に書いたことやけど、

 

「子どもに勉強をしてほしい」

 

のか、

 

「子どもに”自分から”勉強をしてほしい」

 

のか、どっちが本当に求めていること?

 

って話。

 

 

 

些細な違いに感じられるかもしれないけど、

 

「子どもに勉強をしてほしい」

 

って願っているんなら、

 

「親が口うるさく言うことで、子どもが勉強を始める」

(=子どもに条件付けを施す)

 

っていう状態も望みの範囲内には含まれるよね。

 

だから、親は口うるさく言っちゃうし、子どもは「親に言われないと勉強をしない」っていう状態になっちゃう。

 

 

 

「子どもに”自分から”勉強をしてほしい」

 

って願っているなら、

 

「親が子どもに勉強をするように言う」

 

っていうのはNG行動になる。

 

 

 

誰かから罰せられる、みたいな話ではなくて、

 

「親が子どもに勉強をするように言った瞬間から、子どもは自分の意思で勉強を始めたわけじゃなくなるから」

 

です。

 

 

 

それは、

 

「豊作を願いながら、植え付けをした瞬間に刈り取るようなもの」

 

です。

 

 

 

そんなことしてたら、当たり前やけど、収穫なんてできひんよね。

 

「子どもに”自分から”勉強をしてほしい」

 

って願いながら、

 

「親が子どもに勉強をするように言う」

 

ってやるのは、それくらいおかしいことをしてるわけ。

 

 

 

僕がその関わりを禁止してるんじゃなくて、

 

「そういうおかしい関わりをしていますよ」

 

「願っていることと、やっていることが頓珍漢なことになってますよ」

 

ってこと。

 

 

 

たまに、

 

「佐伯先生がダメだと言ってることをやってしまっています・・・」

 

みたいなメッセージをいただくんやけど、僕はあなたを責める気持ちは1mmもないから、謝られたり、自分責めをされても困るんよね(笑)

 

 

 

子どもに”自分から”勉強を始めてほしいなら、勉強を促すことをやめてみてはどうかな?

 

って話です。

 

 

 

 

 

★メルマガ登録はこちら★

「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」

 

★公式LINEの友達追加はこちら★

 

★講演依頼をお考えの方はこちら★