学習の素地を作る | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもが自分から勉強から始めるために大事なことは、

 

「自分で、勉強することを選択してもらうこと」

 

です。

 

 

 

親が、

 

「勉強しなさい!」

 

って命令するのでもなく、

 

「勉強してくれると嬉しいな~」

 

って猫なで声で近づくのでもなく、

 

「勉強をするまで、ゲームは取り上げね」

 

って好きなものを取り上げるのでもなく。

 

 

 

子どもの行動や選択を子どもに委ねた上で、

 

「子どもが自分の意志で勉強を始める」

 

ってなってほしいんですね。

 

 

 

もちろん、子どもが気付かないうちに、なんか催眠術とか、小手先の心理術なんかを使って、勉強に仕向けるようなこともしない。

 

それは、子どもにバレたら、子どもからの信頼を失うので、オススメしません。

 

 

 

子どもに自分から勉強を始めてもらうために、ずっと言い続けてきたのは、

 

「まずは、家庭を子どもの安全基地にすること」

 

です。

 

 

 

「子どもが家庭内で安心感を感じられていること」

 

は、子どもが勉強をする上で、めちゃくちゃ大事です。

 

 

 

子どもが家庭内で、

 

「自分の居場所が無いな」

 

「自分が両親に認めてもらえていないな」

 

って思ったら、その間は自分で勉強することはありません。(これは断言してもいい)

 

 

 

なんでかっていうと、

 

「勉強よりも重要で、優先度が高いから」

 

です。

 

 

 

子どもからしたら、自分の居場所や、自分の存在を認めてもらうことは、

 

「命の次か、同等なくらい大事なもの」

 

です。

 

 

 

家庭内に自分の居場所が無いように感じたり、自分が両親に認めてもらえていないと思ったら、

 

「勉強どころじゃない」

 

んです。

 

 

 

なので、

 

「子どもが自分から勉強を始める」

 

ためには、まず大前提として

 

「家庭内に、子どもの居場所がある」

 

「両親が、”今の”子どものことを認めている」

 

っていうのが必要です。

 

 

 

「大事」なのではなく、「必要」です。

 

だから、この2つのどちらかが満たされていない家庭では、子どもは自分から勉強を始めることはありません。

 

ちなみに、この2つが満たされている家庭のことをBASEでは「安全基地」って言っています。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、家庭が子どもの安全基地になったら、それで子どもは自分から勉強を始めるようになるのか?

 

っていうと、そうとも限りません。

 

 

 

なぜなら、

 

「子どもに、勉強をする理由が無いから」

 

です。

 

 

 

安全基地では、やりたいことをしていいし、どんな自分でいてもいい。

 

そしたら、きっと子どもは遊ぶでしょう。(それも当然いい)

 

 

 

その子どもの意識を少しずつ勉強にも向けていきたいのね。

 

もちろん、無理やりでもないし、勉強をさせようとするものでもない。

 

 

 

じゃあ、どないしたらいいの?っていうと、

 

「学習の素地を作る」

 

です。

 

 

 

「学習の素地」っていうのは、

 

「スポーツにおける身体作り」

 

みたいなもんで、

 

「勉強における体力作り」

 

みたいなもんです。

 

 

 

スポーツをするのも1回限りで、友達と遊ぶくらいなら、身体ができていなくても、楽しければいいやんか。

 

でも、スポーツに本気で取り組み、それこそ、自分の人生が変わるくらいに真剣に取り組むのであれば、

 

「スポーツをやる意味と目的」

 

「スポーツをやる身体作り」

 

なんかは必要ですよね。

 

 

 

勉強も、雑学みたいなのを聞いて、

 

「へー、そうなんだー」

 

って感心するくらいなら、お手軽です。

 

 

 

でも、僕ら親が思っている勉強って、

 

「勉強をして、子どもの人生が成功してほしい」

 

「勉強をして、子どもの将来が幸せなものになってほしい」

 

「勉強をすることで、子どもの未来が明るい方にシフトしていってほしい」

 

っていう勉強やんか。

 

 

 

勉強を楽しんでもらいたいんだけど、それ以上に、

 

「勉強をすることで、子どもの人生がより良くなってほしい」

 

って思ってる。

 

 

 

そして、勉強をして、それを人生に活用することで、人生をより良くしていくことはできる。

 

ただそれは、

 

「勉強をしたら、人生がより良くなる」

 

のではなくて、

 

「勉強をして、学んだ内容を人生がより良くなるように活用していくと、人生がより良くなっていく」

 

っていうこと。

 

 

 

勉強をするとしても、それが受け身であれば、それほど人生にインパクトを与えることはありません。

 

自分の意志で勉強をして、自分の意志で学んだことを活かそうとして初めて、人生をより良くしていける。

 

自分の人生の主導権を自分が握っている状態で勉強をするからこそ、勉強したことを人生に活用できるんです。

 

 

 

そのために、

 

「学習の素地」

 

っていう勉強における身体作りのようなものが必要なんです。

 

 

 

ちなみに、僕が「勉強」と言う時には、

 

「学校の勉強だけでなく、子どもが学ぶこと全般」

 

を指します。

 

例えば、Youtubeやゲームなどからの学びも「勉強」に入ります。、

 

学校で学ぶことを指す時には、「学校の勉強」って言っています。

 

 

 

 

 

では、

 

「学習の素地」

 

って何か?っていうと、すでに話している通り、

 

「子どもを勉強に向かわせるもの」

 

「子どもが勉強をしても耐えられるもの」

 

「子どもが勉強をし続けられるもの」

 

「子どもが勉強できるようになるもの」

 

みたいな意味を含んでいます。

 

 

 

これをそれぞれ別の言葉で言い換えると、

 

1.知的好奇心

2.自己肯定感

3.自己効力感

4.非認知能力

 

の4つで言い表しています。

 

それぞれを説明していきます。

 

 

 

◆1.知的好奇心

 

知的好奇心っていうのは、

 

「知りたい、学びたい、理解したいという欲求」

 

のことを言います。

 

 

 

子どもの知的好奇心が育ってくると、色んなことに興味を持って、自分で調べたり、勉強したりするようになります。

 

子どもが小さい時に、

 

「なんでなんで?」

 

っていっぱい問いかける時がありますよね。

 

 

 

「なんで?」

 

っていう問いかけは、まさに子どもが何かを知りたいと思った時に出てくる言葉です。

 

子ども自身にはすでに「物事を知りたい」「深く探究したい」っていう気持ちがあるんだということ。

 

 

 

「知りたい」

 

「探究したい」

 

っていう気持ちが、子どもの

 

「勉強したい」

 

っていう気持ちに繋がっていきます。

 

 

 

知りたいからこそ、調べる。

 

探究したいからこそ、実験してみたり、さらに勉強をしてみたりする。

 

知りたい、探求したい、学びたいからこそ、

 

「勉強をしよう」

 

って思えるわけですね。

 

 

 

子どもが自分から「勉強をしたい」って思うのは、

 

「知的好奇心があるから」

 

なんですね。

 

 

 

 

 

◆2.自己肯定感

 

自己肯定感っていうのは、

 

「自分には価値がある」

 

って思う感覚のことです。

 

 

 

自己肯定感が低い人のやる勉強と、

自己肯定感が高い人のやる勉強は、

まるっきり違います。

 

 

 

「子どもが自分から勉強を始める」

 

って言った時には、

 

「子どもの自己肯定感が高くてやる勉強」

 

のことを言います。

 

 

 

自己肯定感が高い人のやる勉強は、

 

「自分の人生をより良くするため」

 

「自分をより成長させるため」

 

です。

 

 

 

すでに「自分には価値がある」って思っているんだけど、

 

「自分にはまだまだ眠っている価値がある」

 

「自分の人生はもっと楽しめる」

 

みたいな感覚があるからこそ、

 

「勉強しよう」

 

って思います。

 

 

 

より楽しく過ごすため

 

より幸せでいるため

 

の勉強です。

 

 

 

この時の勉強はすごく楽しいし、

 

「自分のための勉強」

 

でもあるから、自分の意志でどんどん勉強をしていけます。

 

 

 

もし、自分が「ダイヤモンド」なんだと思っていたら、

 

「磨いて、もっと価値を高めよう」

 

「装飾品をつけて、もっと価値を高めよう」

 

みたいなことを考えますよね。

 

自分を大切にして、自分の価値を高めるような行動を選択するんです。

 

 

 

一方、自己肯定感が低い人がやる勉強は、

 

「自分を認めてもらうため」

 

「他者に言われたから」

 

です。

 

 

 

「他人のため」

 

に勉強をします。

 

 

 

自分のことを

 

「価値が低い」

 

「価値が無い」

 

って思っているんですけど、

 

「そんな自分でも認めてもらえるように」

 

勉強をします。

 

 

 

「親に言われたから、勉強をする」

 

っていう構図を作ると、子どもは、

 

「親に認めてもらうための勉強」

 

を始めます。

 

 

 

「自己肯定感が低いから、親に認めてもらうための勉強をする」

 

っていうのと、

 

「親に認めてもらうための勉強をすればするほど、自己肯定感が下がる」

 

っていう両方の側面があります。

 

 

 

その両輪がぐるぐると回っていって、子どもの自己肯定感が下がっていく。

 

子どもの自己肯定感が高いのが、

 

「僕は(私は)ダイヤモンドだ」

 

って思っているんだとしたら、子どもの自己肯定感が低いと、

 

「僕は(私は)ゴミくずだ」

 

って思っているようなものです。

 

 

 

自分のことをダイヤモンドだと思っているから、自分には価値があると思っているから、さらに価値を伸ばそうと思って、勉強をして自分を高めようとしたり、より人生を楽しもうとするんです。

 

自分のことをゴミくずだと思っているなら、ゴミくずだと思っている自分を磨こうとしないですよね。

 

ゴミくずなら、その行く先はゴミ箱です。

 

 

 

でも、捨てられたくないから、

 

「親に認めてもらうための勉強」

 

して、捨てられないようにがんばる。

 

 

 

親に捨てられないようにするための勉強なので、子どもがいくら勉強しても、子どもの身にはならないし、子どもの人生はより良くなっていかない。

 

親に認められる/認められないの間をいつまでも彷徨ってしまう。

 

 

 

 

 

冒頭で、

 

「子どもが自分から勉強をするには、大前提として、家庭が子どもの安全基地になっていることが必要ですよ」

 

って書きましたよね。

 

 

 

「家庭が子どもの安全基地になっている」

 

っていうのは、

 

「親が子どもを認める/認めない」

 

のレベルから抜け出していて、

 

「親は、子どもを無条件で承認している(=愛している)」

 

っていうレベルにいるんだ、ってことです。

 

 

 

親が子どもを無条件で承認しているということは、もし、子どもが勉強をするとなったら、

 

「自分を認めてもらうための勉強」

 

って必要ないので(すでに認めてもらってるから)、

 

「自分のための勉強」

 

に集中できるわけです。

 

 

 

子どもの自己肯定感が低ければ、

 

「自分を認めてもらうための勉強」(=他者のための勉強)

 

で、自分の身にはつかないのですが、子どもの自己肯定感が高ければ、

 

「自分の価値を高めたり、より良い生活、人生を生きるための勉強」(=自分のための勉強)

 

になるので、勉強したことが自分の身になり、人生をより良くしていってくれる。

 

 

 

自分の人生のプラスになるんだから、

 

「自分から勉強を始める」

 

ってことなんです。

 

 

 

これが「自己肯定感」です。

 

 

 

思ってた以上に長くなってるな(笑)

 

でも、重要な話なので、どんどん行こう。

 

 

 

 

 

◆3.自己効力感

 

自己効力感とは、

 

「自分ならできる」

 

っていう感覚のことを言います。

 

 

 

自分ならできると思ってるから、

 

「よし、勉強をしてみよう」

 

って思えるわけですね。

 

 

 

難しい問題に直面した時にも、

 

「自分なら何とかできるんじゃないか」

 

みたいな気持ちがあるから、取り組んでみようと思える。

 

 

 

自己効力感が低いと、

 

「自分にはどうせ無理」

 

って思うから、難しい問題は避けようとするし、勉強をしようともしません。

 

 

 

だって、

 

「自分にはどうせ無理」(と思っている)

 

だからね。

 

 

 

「自分にはどうせ無理」

 

って思っていると、勉強をし始めても、すぐに挫折しちゃうんです。

 

 

 

子どもが「自分にはどうせ無理」って思った場合、この気持ちにはぜひ親からもフォローをしたいんですよね。

 

親のフォローっていうのは、

 

「大丈夫、君ならできるよ」

 

みたいな言葉を投げかけることじゃないです。

 

 

 

言葉1つで意識が変わるなら、とっくに変わってるよね(笑)

 

言葉1つでは「自分ならできる」って信じられないからこその自己効力感の低さなわけですよ。

 

 

 

子どもの自己効力感は、子どもをほったらかしにしておくと、勝手に上がることは、それほど多くないと思う。

 

僕のところに、

 

「遊びの解放って、子どもをほったらかしにすることですよね?」

 

って言ってくる人がいるんですけど、そんなわけない。

 

 

 

遊びを制限するのは、親のやることじゃないし、

 

子どもをほったらかしにするのは、そもそも子育てじゃないよね。

 

 

 

子どもを制限したり、

 

管理したり、

 

ほったらかしにしたり、

 

命令したりするんじゃなくて、

 

子どもに寄り添いながら、子どもの自己効力感が上がっていく関わりをしていく。

 

 

 

「遊びの解放」は、あくまでも、

 

「家庭を子どもの安全基地にする」

 

ために必要であって、

 

「子どもが自分から勉強を始める」

 

の学習の素地作りをしているわけです。

 

 

 

ケーキで言うなら、スポンジを作ってる感じ。

 

スポンジを作ったら、それでケーキとして美味しく食べれるわけじゃないよね。

 

スポンジだけでも美味しかったりするけど(笑)

 

 

 

これが「自己効力感」です。

 

 

 

 

 

◆4.非認知能力

 

非認知能力っていうのは、

 

「数値化できないような能力」

 

のことを言います。

 

 

 

“非”認知能力があるということは、認知能力もあります。

 

認知能力というのは、

 

読み

 

書き

 

計算

 

のことで、

 

「数値化できる(=テストで計測できる)能力」

 

のことです。

 

 

 

認知能力を高めていくのも大事なことね。

 

認知能力っていうのは、目に見える能力のことなので、数値化することもできます。

 

そして、具体的に自分の意志で、能力を使用することができます。

 

目に見えるし、数値化もできるから、教える側としても扱いやすい(伸ばしやすい)んですよね。

 

 

 

学校の勉強で高めているのは、

 

「認知能力」

 

が主だよね。

 

それをテストで点数化して、

 

「能力が上がったね/下がったね」

 

ってやっています。

 

 

 

それも無駄なことじゃないし、すごく大事なこと。

 

どうして、それが大事だと言えるのか?っていうと、

 

「認知能力は、子どもの具体的な生きる力」

 

に直結していくからですね。

 

 

 

学校で身に付ける読み・書き・計算の能力を使うと、仕事をすることができます。

 

仕事をして、お金を稼いで、生活していくことができます。

 

認知能力は、それはそれで大事なんです。

 

 

 

一方で、

 

「非認知能力」

 

っていうのは、

 

「数値化できない能力」

 

なんですけど、具体的には、

 

・集中力

 

・忍耐力

 

・回復力(レジリエンス)

 

・知的好奇心

 

・共感力

 

・コミュニケーション力

 

・主体性

 

・責任感

 

・探究心

 

・倫理観

 

などです。

 

 

 

実に多岐に渡ります。

 

勉強する時には、非認知能力の全てを動員するのではなく、勉強に関するものを使います。

 

集中力や、思考力、探求心、などですね。

 

 

 

子どもが

 

「よーし、勉強するぞー」

 

ってなった時に、全然集中力が無かったとしたら、すぐに飽きてしまったりしますよね。

 

 

 

全然思考力が無かったら、勉強をしても、

 

「教科書に書いてあることが、何を言いたいのか分からない」

 

ってなります。

 

 

 

情緒の安定性が欠けているなら、

 

「勉強なんて分からない!無理!!」

 

ってなって投げ出してしまったり、暴れたりするかもしれませんよね。

 

 

 

非認知能力は、

 

「子どもが勉強を始めるまでの過程」

 

にも大事だし、

 

「子どもが勉強を始めてから」

 

にも大事です。

 

 

 

認知能力を高めるために、非認知能力を高さが必要なんですね。

 

非認知能力があるからこそ、認知能力を高める活動(勉強とか)をすることができます。

 

 

 

知的好奇心は、知りたいという気持ち

 

自己肯定感は、自分には価値があるから、さらに高めたいという感覚

 

自己効力感は、勉強をしても、自分ならできるという感覚

 

これらに対して、非認知能力は、

 

「実際的に、勉強をしていくための能力」

 

です。

 

 

 

いくら気持ちがあっても、勉強をしていくための能力がなかったら、子どもが自分から勉強をすることは難しいです。

 

非認知能力を伸ばす最も簡単で手っ取り早いのは、

 

「子どもに徹底的に遊んでもらうこと」

 

です。

 

 

 

もし、親が子どもの遊びを制限しちゃうと、遊びの中で伸びるはずだった非認知能力が伸びなくなります。

 

そうすると、いざ子どもが勉強をしようと思っても、

 

「集中が続かない」

 

「忍耐力が無い」

 

「打たれ弱い」

 

「情緒不安定」

 

「考えても分からない」

 

などが引っかかって、結局、

 

「自分には勉強ができないんだ」

 

「勉強なんてつまらない」

 

っていう結論に行き着きます。

 

勉強は、分かるからこそ楽しい側面もあるので、できないと楽しくないと感じやすいです。

 

 

 

これが「非認知能力」です。

 

 

 

 

 

 

 

子どもとの関わりは、

 

「家庭を安全基地にしたら、あとはほっといていい」

 

っていうものではありません。

 

 

 

家庭で、親子の関わりの中で、

 

「学習の素地」

 

をどれだけ整えられるのかによって、子どもが日々触れるものから

 

「学ぶ」

 

ということができるのかが左右されます。

 

 

 

「遊びの解放」なんて言ってるけど、これは

 

「子どもをほったらかしにしてていいよ」

 

って話ではなくて、関わり方を変えて、むしろ、積極的に子どもに関わっていこう、っていう話です。

 

 

 

その辺の詳しい話もまた追々していければな、って思います。

 

 

 

 

 

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