子どもに「親のための勉強」なんてさせない | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

「遊びの解放をしたら、子どもをほったらかすんじゃなくて、積極的に関わるんだよ」

って言ってるんですけど、昨日の夜に、

「じゃあ、何を意識して関わればいいのか?」

っていう話を書きました。


ぜひ読んでみてね。



子どもに自分から勉強をしてもらうために必須なのが、

「勉強をしていない子どもも認める」

です。



なんでかっていうと、勉強をしていない子どもを認めないでいたら、子どもは

「親に認められるための勉強」

をするようになります。



すなわち、勉強をする目的が

「親に認められること」

になってしまう。



勉強をする目的が

「親に認められること」

なんだから、

勉強をして、

良い点取って、

親に認められたら、

それで満足なの。



それで満足ということは、

「勉強をしたことを自分の人生に活かそう」

っていうところまでの発想は持ってなかったりするのね。



なので、語弊を怖れずに言えば、

「子どもがいくら勉強をしても、人生があんまり良くならない」

ってことが起こる。



高い学歴を取得したとしても、それも

「親に認められるため」

なのであれば、その学歴だって、自分のためには活かそうと思わない。



親に認められるため、親を安心させるために就職をしてしまう。

親のための就職は、子ども本人には仕事をがんばる意欲はそれほど無いので、

「仕事のきつさに耐えきれずに、心身を病む」

か、

「自分を過小評価して、楽しくもなんともない仕事をただこなすだけ」

みたいなことをやる。



「親に認められるために無理をする」

か、

「親に認めてもらえるような最小限の努力」

をするということ。



「親に認めてもらうこと」

が最優先になっているから、

「自分を大切にしない」

し、

「自分の可能性や才能を過小評価する」
(=自分にはできないとか、自分には価値が無いとか思うようになる)

ってこと。



なので、

「親に認められるために勉強をする」

っていうのは、あんまり大した意味は持たないの。



それこそ、

「親が安心する」

くらいなもの。



親が安心したところで、子どもの人生がより良くなるかどうかとはあんまり関係が無い。

それに、子どもが、

「親に認めてもらうための勉強をしている」

ってことは、親が

「子どもに勉強をしてもらわないと、子どもを認められない」

ってことよね。



これって、

「親の未熟さ」

なのね。



親を責めてるわけじゃないんだけど、親が

「自分で自分を安心させられない」

っていうことで、

「子どもを使って、自分を安心させようとしている」

ってわけですよ。



子どもに勉強をさせることで、

「子どもに勉強をさせなければならない」

っていう誤った役割を全うしようとしたり、子どもに勉強をさせることで承認欲求を満たそうとする。



親には、

「子どもに勉強をさせなければならない」

なんていう役割は無いのね。



憲法的には、

「子どもが教育を受ける権利を主張したら、教育を受けさせましょう」

って書いてあるだけで、

「いついかなる場合でも、子どもには教育を受けさせましょう」

じゃないのね。



むしろ、子どもに勉強をさせようとすればするほど、子どもは勉強から遠ざかっていき、教育が難しくなっていく。

だから、

「子どもに勉強をさせなければならない」

っていうのは、

「誤った役割」

なんです。



親の承認欲求は、「親の課題」なので、子どもを使わずに、親が自分で満たせるようになるといいね。

子どもが勉強をしている/していないに関わらず、

「自分は、親としてここにいてもいい」

し、

「自分は、この子の親である」

って思っていい。



「子どもに勉強をさせられているから、ちゃんとした親」

ってわけじゃない。



むしろ、それで、子どもにガミガミ怒ってるなら、そっちの方が子どもの人生に暗い影を落とします。

子どもの人生に与えるネガティブな影響は、

「子どもが勉強をしないこと」

よりも、

「親が不機嫌なこと」

の方が圧倒的に大きいです。



親が不機嫌でいることに比べたら、

「子どもが勉強をしないこと」

が未来に与える影響なんて、可愛いもんよ。



なんでかっていうと、子どもが勉強をしないだけなら、人生のどこかで、

「よし、勉強をしよう」

って決心して、勉強を始めれば、いくらでも取り返せる。



でも、親が不機嫌でいると、子どもは人生でずーっと、

「自分は愛されていないんじゃないか」

「自分には価値が無いんじゃないか」

「自分はダメで悪い人間なんじゃないか」

って思い続けてしまうから。



親の振る舞いは、

「親の内在化」

っていうものを通して、子どもが親元から離れても、ずっと子どもの心の中に残ります。



親がご機嫌なら、

「ご機嫌な親」

が内在化されて、内在化された架空の親がずっと子どもの心の中で、

「あなたは愛されている」

「あなたには価値がある」

「あなたはあなたのままでいいんだ」

って言い続けて、子どもに勇気を与え続けてくれる。



親が不機嫌なら、

「不機嫌な親」

が内在化されて、それが子どもの心の中で、

「あなたはそのままでは愛されないから、がんばりなさい」

「あなたには価値が無いから、がんばりなさい」

「あなたはダメだから、もっとがんばりなさい」

みたいなことを叫び続けて、子どもの勇気を常にくじきつづける。



なので、

「子どもが勉強をしないから、親が不機嫌になる」

くらいなら、

「子どもが勉強をしないことを受け入れて(=勉強をさせようとするのを辞める)、親がご機嫌になる」

っていう方が、子どもの人生には圧倒的に良い。



子どもの心の中に、

「不機嫌な親」

が内在化する前に、

「勉強をしない子ども」

を認めて、受け容れて、子どもに、

「親のための勉強なんてしなくていいよ」

って言ってあげたい。



親のための勉強なんて、マジで勉強する意味が無い。

子どもが「親のための勉強」をしている間は、「自分のための勉強」をしません。

だから、いくら勉強をしても、子どもの人生はさほど良くはならない。

人生での満足感はそれほど上がらない。



「親に認められて安心」

っていうぐらい。



勉強をして、自分の価値を増やして、人生を思いっきり楽しむ。

また、勉強をしたら、自分を守ることもできるから、そういう安心感も得られる。



子どもの人生のことを考えるなら、

「勉強をしない子どもを認める」

っていうのは超大事です。



そして、

「親に認められるための勉強」

をさせずに、

「勉強は自分がしたい時にして、自分のために勉強をするんだよ」

って言ってあげたい。



そうすると、子どもが「自分のための勉強」を始めると、そこから子どもの人生が今まで以上になっていくはず。





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