子どもが求めているたった1つのこと | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもが求めていることは、ただ1つ。

 

「今のままの自分で、ここにいることを認めてよ」

 

です。

 

 

 

親子関係に関して言えば、

 

「今のままの自分で、家にいることを認めてよ」

 

「今のままの自分で、親子の時間を楽しく過ごさせてよ」

 

です。

 

 

 

親が思うような、

 

「ちゃんと育つこと」

 

「人様に迷惑をかけないこと」

 

「健康に育つこと」

 

「賢く育つこと」

 

とかは、子どもは求めてないんです。

 

 

 

ましてや、

 

「子育てをしてほしい」

 

とかも思ってない。

 

 

 

なので、親が思う、

 

「ちゃんと子育てをしたい」

 

「ちゃんと育てなきゃ」

 

みたいなのは、親のエゴなわけです。

 

 

 

いや、

 

「健康であること」

 

「勉強ができるようになること」

 

「友達がいること」

 

「才能を発揮すること」

 

とかは大事。

 

 

 

でも、そういうのを子どもが望むようになるのは、

 

「今のままの自分で、ここにいることを認めてよ」

 

ってのが満たされてからです。

 

 

 

今のままの自分で、ここにいることが認められていないのに、

 

「勉強ができるようになりたい」

 

とか、

 

「学校に行きたい」

 

とか思うわけないんです。

 

 

 

なんでかっていうと、

 

「勉強ができるようになったとしても、親に認めてもらえるとは限らないから」

 

です。

 

 

 

むしろ、

 

「勉強ができるようになったのに、やっぱり親に認めてもらえなかった」

 

っていう方が精神的なダメージは大きい。

 

 

 

であるなら、よりダメージの小さい、

 

「親に認められていないけど、今のままの自分でいよう」

 

っていう方を選択します。

 

 

 

がんばったのに報われないなんて辛いじゃん。

 

だったら、最初からがんばらない方がいいよね、っていう判断をしがち。

 

 

 

がんばってダメなら、親を困らせてやろう、って考えます。

 

これが前にも書いたけど、

 

「問題でも起こしてやらないと、親は自分を見てくれないんじゃないか」

 

って思うから、子どもは問題行動を起こしたり、親が悩んだり、困ったりすることを選択します。

 

それが、親の関心を引くためでもあるし、親への復讐であることもあります。

 

 

 

 

 

 

 

子どもが求めていることは、ただ1つ。

 

「今のままの自分で、ここにいることを認めてよ」

 

です。

 

 

 

ゲームをしていても、自分を認めてほしい。

 

勉強をしなくても、自分を認めてほしい。

 

失敗をしても、自分を認めてほしい。

 

ダラダラ、ゴロゴロしていても、自分を認めてほしい。

 

スマホを触っていても、自分を認めてほしい。

 

親に悪態をつく自分も認めてほしい。

 

学校に行かなくても、自分を認めてほしい。

 

 

 

そして、そんな自分でも、家に居てもいいし、親子で楽しい時間を過ごしたい。

 

そんな自分と一緒に過ごしていても、親には笑顔でいてほしい。

 

自分と一緒にいる時に、悲しまないでほしい。

 

 

 

だって、そうじゃないと、まるで、

 

「自分が生まれてきたから、親が悲しむようになった」

 

みたいじゃん。

 

 

 

「だったら、自分なんて生まれてこなかった方が良かった、っていうこと?」

 

「親を困らせるような子どもなんて、いない方がいいんじゃないか・・・」

 

って思ったりもする。

 

 

 

 

 

 

 

「そう思うなら、認められるようにがんばれよ」

 

って思う親もいるかもしれない。

 

 

 

それは、

 

「存在を認められていない子どもの心が受けてるダメージ」

 

を軽視しちゃってるのよね。

 

 

 

子どもだって、

 

「自分がもっとがんばれば、親は認めてくれるかもしれない」

 

って思って、がんばろうとするんよ。

 

 

 

でも、すでに、それまでに

 

「自分なんて生まれてこなかった方が良かったんじゃないか」

 

「親を困らせるような子どもなんて、いない方がいいんじゃないか・・・」

 

って思っちゃうことで、相当の心のダメージを受けてるんです。

 

 

 

だから、がんばろうにもがんばれないところまで来てたりする。

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、そんな子どもががんばれるようになるには、どうしたらいいのか?

 

「今のままの子どもを、そのまま認めて、受け容れること」

 

です。

 

 

 

言い換えれば、

 

「今のままの子どもと楽しくおしゃべりをしたり、笑顔で笑い合ったりすること」

 

です

 

 

 

今のままの子どもと一緒にいる時に、親が笑顔で楽しく過ごしているんなら、

 

「自分と一緒の時に、親が笑ってくれるってことは、今のままの自分でここにいてもいいんだ」

 

「今のままの自分でも、親がご機嫌でいてくれるなら、どんな自分でも認めてくれるんじゃないか」

 

って思えて、子どもの心の奥底からエネルギーが湧き上がってきます。

 

 

 

子どもなんて、ちゃんと育てようとしなくていい。

 

子育てをがんばらなくてもいい。

 

親の表情が歪んで、苦痛や怒りの様相を浮かべるなら、子育てをがんばることなんてやめた方がいい。

 

 

 

子どもにがんばってあれこれやってあげるよりも、子どもが求めていることが、

 

「今のままの自分で、ここにいることを認めてよ」

 

なんだから、

 

「今のままの子どもを認めて、そのまま一緒にご機嫌で笑えるようになること」

 

を目指す方がいい。

 

 

 

そのために、親がやることは、

 

「こうあるべき」

 

を手放して、今のままの子どもを許せるようになること。

 

 

 

ゲームをしていてもいいよ。

 

勉強をしなくてもいいよ。

 

学校に行かなくてもいいよ。

 

友達と遊んでいなくてもいいよ。

 

失敗してもいいよ。

 

忘れ物してもいいよ。

 

優柔不断でもいいよ。

 

スマホでずっとTwitterしててもいいよ。

 

ずっと自分の部屋に引きこもっていてもいいよ。

 

自立していなくてもいいよ。

 

親に甘えていてもいいよ。

 

働こうとしていなくてもいいよ。

 

家に帰ってきて、ランドセルをぶん投げて遊びに行ってもいいよ。

 

朝起きるのが苦手でもいいよ。

 

昼夜逆転しててもいいよ。

 

偏食でもいいよ。

 

不機嫌になってもいいよ。

 

「死ね!」って言ってもいいよ。

 

「死にたい」って言ってもいいよ。

 

 

 

そうやって、1つ1つ、親の中にある、

 

「こうあるべき」

 

を手放していって、子どもを許せるようになっていく。

 

 

 

教育を放棄するわけじゃないんだけど、

 

「今のままの子どもを認める」

 

っていうのができていなかったら、そもそも、親がどんだけがんばって教育や子育てをしようとしても、子どもには届きません。

 

 

 

子どもは、

 

「今のままの自分を認めてほしい」

 

って思ってるんだから、成長したいとか、より良い生活を送れるようになりたいとか思ってないんです。

 

子どもにとって、それどころじゃない。

 

 

 

それどころじゃない子どもに、いくら何かを教えようとしたり、ちゃんとさせようとしても、するわけないじゃん。

 

子育てや教育は、親がどんだけ正しくても、親のエゴです。

 

 

 

少なくとも、子どもからしたら、

 

「親がやりたいから、子育てしてる」

 

って思ってる。

 

 

 

だから、先に、親が子どもの望みを実現することで、子どもも親の望みを叶えようとしてくれる。

 

そうは言っても理不尽なことにはちゃんと反発はするけど、親の言うことに道理があるなら、子どもも理解して、自分でやろうとし始めます。

 

 

 

 

 

今のままの子どもを認めていないんだったら、親の言うことがいくら筋が通っていても、子どもは理解しようとしないし、いくら言ってもやろうとはしません。

 

なぜなら、子どもにとっての緊急かつ最重要課題がクリアされていないんだから。

 

 

 

ガソリンが入っていない車は走らないし、

 

3日飲まず食わずの人が、ご飯を差し置いて勉強をしようとはしない、

 

みたいな話です。

 

優先順位を間違えているんです。

 

 

 

子どもに対して、真っ先にやってあげないといけないことは、

 

「今のままの子どもを、そのまま認めること」

 

です。

 

 

 

子どもに勉強をさせるためとか

 

子どもに学校に行かせるためとか

 

子どもにゲームをやめさせるためとかじゃないです。

 

 

 

「子どもを変えるために、子どもを認める」

 

んじゃなくて、

 

「子どもに『今のままの自分でここに居てもいいんだ』って思ってもらうために、子どもを認める」

 

んです。

 

 

 

子どもを変えようとするのをやめて、今のままの子どもを、そのまま認めてみてくださいね。

 

 

 

 

 

なるほど!と思った人は、いいね!コメント、シェア、リブログお願いします!