何のために勉強をするのか | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

なんで、子どもが勉強をしないのか?っていうと、その理由の1つが、

 

「何のために勉強をするのか?が子どもが分かってないから」

 

です。

 

 

 

ほんとは、子どもが小学生くらいの段階で、親や先生などの大人が教えてあげたいところ。

 

子どもが納得するような理由を教えてあげたい。

 

 

 

子どもが納得するような説明ができていないのに、

 

「勉強をしなさい!」

 

って言ったところで、意味が無いよね。

 

 

 

子どもの中に、「勉強をする理由」が無いんだから、親がどれだけ強く、繰り返し、

 

「勉強をしなさい!」

 

って言ったところで、子どもが勉強をするわけがない。

 

 

 

子どものゲームを制限したり、

 

「宿題をやったら、ゲームをしてもいいよ」

 

ってルールを設けたりするのは、本当に意味が無い。

 

 

 

「意味が無い」というか、論点がズレてる。

 

「宿題をやったら、ゲームをしてもいいよ」

 

って、全くもって意味が分からんのよね。

 

 

 

「宿題をやったら、ゲームをしてもいいよ」

 

のおかしさは、

 

「マグロを釣り上げたら、金閣寺を1つ造ってもいいよ」

 

っていうぐらいおかしい。

 

 

 

あえて強調してみたけど、ほんとに関係無い。

 

全然関係ないことなのに、なんで論理的に合ってるように思えるのかと言えば、

 

宿題 = 子どもが嫌なもの

 

ゲーム = 子どもが好きなもの

 

ってことで、

 

「子どもの好き嫌い」

 

っていうのが、宿題とゲームの間の論理を繋いでる。

 

 

 

つまり、

 

「宿題をやったら、ゲームをしてもいいよ」

 

っていうのは、

 

「嫌なことをやったら、好きなことをしてもいいよ」

 

って言ってるわけ。

 

 

 

言い換えれば、

 

「好きなことを人質(?)にして、嫌なことをさせようとしてる」

 

ってこと。

 

 

 

人質を取って立て籠る強盗犯人と同じことを親がやっちゃってるわけだ。

 

「子どもがやりたくないことを無理やりさせようとする」

 

っていうのも実は「虐待」なんだけど、さらに、

 

「子どもの好きなことを人質(?)にしてしまう」

 

っていう脅迫的な要素も付け加えてしまう。

 

 

 

ここまで書けば、

 

「子どもにロクな説明もせずに、勉強をさせようとすること」

 

「宿題をやったら、ゲームをしてもいいよ」

 

っていうののヤバさは分かってもらえるかな。

 

 

 

親は自覚してないかもしれないけど、まーじで、相当ヤバい子育ての仕方をしてるんよ。

 

なんでかって、

 

「好きなものを人質(?)にして、嫌なことをさせようとしてる」

 

んだから。

 

 

 

 

 

 

 

親が子どもに勉強をしてほしいと思うことは、おかしいことじゃない。

 

問題なのは、

 

「そのための手法」

 

がヤバい。

 

 

 

「お金が欲しい」

 

って思うことはおかしくないやん?

 

 

 

でも、その手段が、

 

「お金持ちの娘を人質にして、身代金を要求する」

 

っていうのは、完全にアウトな方法やんか。

 

 

 

想いがおかしいんじゃなくて、選択してる手段がおかしい。

 

「子どもに勉強をしてほしい」

 

って思うなら、親がやることは、

 

「子どもに何のために勉強をするのかを、子どもが納得できる言葉で説明する」

 

ってこと。

 

 

 

もしくは、

 

「子どもが勉強を楽しいと思えるような、勉強がやりたくなるような体験をさせる」

 

とかもいいよね。

 

 

 

「勉強をしたくない子どもに、無理やり勉強をさせようとする」

 

ってのは虐待なんだけど、

 

「勉強をしたくない子どもが、『勉強をしよう』と思えるような関わりをする」

 

ってのは至極真っ当な関わりだと思う。

 

 

 

「勉強をしたくない子どもに、無理やり勉強をさせようとする」

 

「勉強をしたくない子どもが、『勉強をしよう』と思えるような関わりをする」

 

この2つの違いは、

 

「子どもの基本的人権」

 

の話とかになってくるけど、それはまた別の機会に説明するわ。

 

 

 

とにかく今は、

 

「勉強をしたくない子どもに、無理やり勉強をさせようとする」

 

っていう関わりはかなりヤバいから、

 

「勉強をしたくない子どもが、『勉強をしよう』と思えるような関わりをする」

 

っていう関わりをしよう、ってことが分かってもらえたらいい。

 

 

 

 

 

 

 

で、僕ら親が考えたいのは、

 

「そもそも、何のために勉強をするんやっけ?」

 

ってこと。

 

 

 

僕ら親ですら、子どもの頃に、

 

「何のために勉強をするのか?」

 

ってのはほとんどの人が教えられてこなかったと思う。

 

 

 

なんでかっていうと、

 

「誰も教えられなかったから」

 

よね。

 

 

 

自分の周りの大人たちも、

 

「勉強をするのは当たり前なことだ」

 

くらいに思ってたから。

 

 

 

勉強をするのが当たり前なら、僕ら人間が誕生してから、親が何の関わりもせずに、見守り続けたら、自然と勉強を始めるはずなんよ。

 

「しばらくしたらハイハイし始めて、しばらくしたら立ち上がる」

 

くらいには自然に、

 

「勉強をする」

 

のよ。

 

 

 

でもねー、ほんとは、ちょっと表現を変えるけど、

 

「子どもはほっといても学習をし始める」

 

っていうのは、間違ってないと思うんよな。

 

 

 

赤ちゃんが何でも口に入れようとするのは、赤ちゃんの学習の仕方が、

 

「触って確かめる」

 

「なめたり、口に入れて確かめる」

 

だから、口に入れてみて、

 

「これは食べたらあかんやつや!」

 

「これは食べたら美味しいやつや!」

 

って学習してってる。

 

 

 

赤ちゃんが身体の使い方を覚えるたびに、学習できることが増えていく。

 

自分で考えて、

 

自分で決めて、

 

自分で行動して、

 

自分で責任を取る、

 

っていう体験学習を

 

「自律学習」

 

って言ってるんやけど、それはまさに赤ちゃんがやってるような学習方法。

 

 

 

「自分がしたことがどんな結果になるのか」

 

を体験を通して、学習してる。

 

 

 

子どもはほっといても何かかんか「自律学習」はしてる。

 

でも、親が思うような「勉強」は、

 

「何のために勉強をするのか?」

 

の説明は必要だよね。

 

 

 

子どもに勉強をしてほしいなら、

 

「子どもが学習をしたいことを中断させて、勉強をさせる」

 

ってなるんだから、何の説明もなく、自分が納得しないまま、

 

「勉強させられようとする」

 

ってのは、子どもからしたら耐え難い苦痛なんだよね。

 

 

 

でも、親の「勉強をさせようとする関わり」をし続けると、子どももそのうち

 

「勉強をした方がいいんじゃないか」

 

って思うようになっていく。

 

 

 

やってないのに、自白を強要されたら、

 

「やりました、って言った方がいいんじゃないか」

 

って思うようになる心理みたいな感じ。

 

 

 

勉強をしたくもないし、する理由も分からんのに、

 

「勉強をした方がいいんじゃないか」

 

って思うようになっちゃう。

 

 

 

「勉強をしたくないけど、勉強をした方がいいんじゃないか」

 

って思いながらする勉強に身が入るわけないよね。

 

自分の思ってること(勉強したくない)と、やってること(勉強)がズレてるんだから。

 

 

 

親にできることは、

 

家庭を子どもの安全基地にした上で、

 

「何のために勉強をするのかを説明する」

 

ってこと。

 

 

 

分からんかったら、無理に説明しなくてもいい。

 

考えてみることは素晴らしいことだと思う。

 

無理に説明して、「納得してもらって、何とかしても勉強をしてもらいたい」って、

 

「勉強をさせたい」

 

だよね。

 

 

 

子どもは勉強をしても勉強をしなくてもいい。

 

それが大前提で、その上で、

 

「何のために勉強をするのか?」

 

ってのを子どもと話す。

 

 

 

そして、子どもに

 

「勉強をする目的」

 

を話すんだから、当然、同じ目的で親も勉強してんでしょうね?ってことも当然、問われる。

 

 

 

子どもが自分から勉強を始める関わりの順番としては、

 

1.家庭を子どもの安全基地にする(どんな子どもでもOK)

 

2.親も目的を持って勉強をしている

 

3.子どもに「何のために勉強をするのか?」を話す(説得するんじゃないよ、子どもの意見も聞く)

 

って感じ。

 

 

 

それでいて、3番までやった後でも、

 

「子どもが勉強を始めるかどうか」

は期待しない。

 

結果は手放しておく。

 

 

 

親は「自分の目的のために勉強をしている」ってだけで、その目的を子どもにシェアしたに過ぎない。

 

子どもに親の目的を押し付けて、勉強をさせたいわけじゃない。

 

 

 

親が持っている目的をシェアして、子どもに何か感じてもらったり、考えるキッカケにしてほしいだけ。

 

親の言葉と想いと行動が一致してたら、子どもは少しずつそこに影響を受けていく。

 

 

 

親は、無理やり子どもを動かそうとするんじゃなくて、親のあり方、関わり方で子どもに影響を与えていくだけ。

 

それで子どもがどうするのかは、子どもが決めることです。

 

 

 

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子どもが「何のために勉強をするのか」を考えると、もっと勉強を楽しむ子どもが増えるだろうな、って思う。

 

 

 

 

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