「ダメな自分でもいいんだよ」の本当の意味 | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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「ダメな自分を認める」

 

って、

 

「素晴らしい自分を認める」

 

とセットではじめて、

 

「自己受容」

 

になる。

 

 

 

「ダメな自分でもいい」

 

だけだと、これは自己受容じゃないんだよね。

 

 

 

「ダメな自分でいい」

 

って言ってるんだから、

 

「ダメな自分の他に、どんな自分ならいいの?」

 

っていう疑問が生まれるやんか。

 

 

 

似てるけど、

 

「ダメな自分いい」

 

だったら、また少し意味が違う。

 

 

 

例えば、

 

「夜ご飯は何が食べたい?」

 

って聞いて、

 

「じゃあ、そばでいいよ」

 

って答えられる感じ。

 

 

 

「そばいい」

 

じゃなくて、

 

「そばいい」

 

って返される。

 

 

 

自分の意志じゃなく、仕方がなく、妥協して、

 

「そばいい」

 

って言ってる。

 

 

 

「・・・いや、そうじゃなくて、何が食べたいか聞いてるんやけど」

 

ってなるやんか。

 

 

 

自分では選ぶ意志が無くて、でも、聴かれたからしゃーなしで答えている感じ。

 

それなら、まだ

 

「今は、特に食べたいものは無いかな」

 

って言ってくれた方がいい。

 

 

 

・・・って何の話をしてるんか分からへんけど、

 

「ダメな自分でもいい」

 

と、

 

「ダメな自分いい」

 

は意味が丸っきり違う。

 

 

 

「ダメな自分でもいい」

 

は、ダメな自分以外にも、認めている自分がいる。

 

 

 

「ダメな自分いい」

 

は、自分はダメなやつで、そうと以外には思えていない。

 

 

 

「ダメな自分でもいい」

 

って言葉の真意は、

 

「ダメな自分でもいい。

素晴らしい自分でもいい」

 

です。

 

 

 

価値ある自分

 

すごい自分

 

表現は何でもいいんだけど、要するに、

 

自分のダメなところと、良いところを両方とも認めているよ

 

っていうことです。

 

 

 

これが

 

「自己受容」

 

です。

 

 

 

ダメな自分を認めるだけだと、自己受容じゃない。

 

それは、ダメな自分だけを認めてるんだから、自己否定しているのと同じ。

 

 

 

自分の良いところだけを認めるだけなのも、自己受容じゃない。

 

それは、暗に、ダメな自分を認めていないんだから、やっぱり自己否定しているのと同じ。

 

 

 

自己受容ってのは、

 

「どんな自分でもいいんだよ」

 

です。

 

 

 

ダメな自分だけがOKなわけでも、NGなわけでもない。

 

自分の良いところだけがOKなわけでも、NGなわけでもない。

 

自分の良いところも、ダメなところも、どっちもOKなのだ。

 

 

 

例えば、

 

「もっとがんばらなきゃ」

 

「もっとしっかりしなきゃ」

 

っていう思考のクセがある人が自己受容を学ぶと、

 

「そっか、ダメな自分でもいいんだ」

 

って自分のダメなところだけを受容しがち。

 

 

 

でも、自分のダメなところだけを認めようとすると、それは、

 

「自分には良いところが無い」

 

「自分の良いところは認めちゃいけない」

 

ってなりがち。

 

 

 

「もっとがんらないと、自分は認めてもらえない」

 

って思うからがんばるわけですけど、それで苦しくて潰れてしまう。

 

 

 

だから、

 

「そっか、ダメな自分でもいいんだ」

 

って思って、がんばるのをやめて、自分を大事にし始める。

 

 

 

そして、ここからが重要なんだけど、

 

「そっか、ダメな自分でもいいんだ」

 

って思うと同時に、

 

「無理してがんばらなくても、自分には素敵なところがいっぱいあったんだ」

 

とか、

 

「自分には他にもできているところがいっぱいあったんだ」

 

とかっていうところも認めたい。

 

 

 

ダメな自分と、優れている自分の両方を発見して、認めて、はじめて、

 

「自己受容」

 

なのよ。

 

 

 

自分には、できていることがいっぱいある。

 

日本語が喋れる

 

車に乗れる

 

自転車に乗れる

 

辛いものが食べられる

 

ピーマンが食べられる

 

海外旅行に行ける

 

ゲームができる

 

パソコンの操作ができる

 

文章が書ける

 

文字が書ける

 

掃除や洗濯ができる

 

作れる料理がいくつもある

 

歩くことができる

 

走ることもできる

 

ボールを投げることもできる

 

などなど・・・

 

 

 

できることはいっぱいある。

 

逆に、自分ができることができない人もいる。

 

 

 

できない人のために、自分のできることを使ってお手伝いする。

 

逆に、自分のできないところは、できる人に頼る。

 

 

 

できるところは素晴らしいし、できないところがあっても別にダメなわけじゃない。

 

だから、

 

「ダメな自分でもいいし、優れている自分でもいい」

 

って自己受容したっていいんだ。

 

 

 

そして、自己受容ができたら、ぜひ、子どものことも

 

「できないことがあってもいいし、できるところもたくさんあって素晴らしいよ!」

 

って両方とも認めてあげてほしい。

 

 

 

 

 

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