「不登校を問題視する」のをやめるには、この2つのことを意識するといいよ | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが不登校になったら、まず親がやるといいこと

 
昨日の記事の続き。
 
 
 
 
不登校は、問題じゃない。
 
不登校は、子どもが学校に行かないだけ。
 
それ以上でも、それ以下でもない。
 
 
 
仮に、不登校が問題だとするよね。
 
不登校が問題だとするならば、それはすなわち、
 
「学校に行かないことで、子どもがちゃんと育たない」
 
とか、
 
「学校に行かないことで、子どもが将来、まともに働けない」
 
とか、っていうわけよね。
 
 
 
これを裏返せば、
 
「学校以外(家庭含む)では、子どもはまともに育たない」
 
って言ってるわけよね。
 
「まともに」の中身はさておきね。
 
 
 
しかも、これを親が言ってる、ってことは、こう思う親の中には、
 
「私は、子どもをちゃんと育てられない」
 
という『親の自己否定』か、
 
「学校以外には、子どもをまともに育てられない」
 
という『他者不信』があることになる。
 
 
 
つまり、裏を返せば、
 
「『親の自己否定』か、『他者不信』があれば、親は子どもの不登校を問題視する」
 
ってことになるわけだ。
 
 
 
もちろん、それは親が子どもを思っていればこその、そして、
 
「子どもには、将来に渡って、より良く幸せな人生を送ってほしい」
 
という願いからくる気持ちだと思うのね。
 
その願いが崩れそうになるからこそ、不登校を問題視して、気持ちが揺らぐわけだよね。
 
 
 
 
ここにも少し書いたんだけど、実際、先生が生徒1人当たりにかけられる時間は、計算してみれば1日20分にもなりません。
 
 
 
「だから、学校ではまともに子どもが育たない」
 
なんて学校をdisるつもりはありませんが、現実問題、
 
「学校だけで子どもを育てていくのは、かなり厳しい」
 
と思います。
 
 
 
僕は、
 
「子どものことを信頼しよう」
 
と言いつつ、
 
「野放しや放置してれば、勝手に育つ」
 
とも思ってはいなくて、
 
「子どもには、その成長を見守る”子どもが信頼を寄せる大人”の存在が欠かせない」
 
と思っています。
 
 
 
その存在に、先生がなり得ることも大いにある。
 
けれど、先生自身が直接関われる時間がそもそも少ないから、どうしてもその存在は親の方に偏る。
 
 
 
「子どもは親だけで育てていかなければならない」
 
というわけではなくて、
 
「子どもの成長には、親の関わりの影響がかなり強く出る」
 
ということです。
 
 
 
そして、実際、昨日の記事で書いたようなことを調べてもらえれば、
 
「学校に行ってなくても、行ってても、子どもにまともに育つし、そうじゃないこともある」
 
「子どもが社会的に真っ当な生き方をするかどうかは、不登校経験のある無しに関係無い」
 
ってことは、すぐに分かると思います。
 
 
 
つまり、
 
「社会的に認められるような生き方をするかどうかは、不登校経験とは別の要因が絡んでいる」
 
ってことです。
 
 
 
ってことは、
 
「子どもが不登校になることは、さして問題ではない」
 
ってことが事実だと思うのね。
 
 
 
そうなってくると、冒頭に書いた
 
「仮に、不登校が問題だとすると」
 
の結論部分、
 
「親が不登校を問題視している場合、
 
『親の自己否定』
 
『他者不信』
 
がある」
 
ってことが重要な課題になってくる。
 
 
 
つまり、
 
「(そもそも問題ではない)不登校の問題視をやめるためには、
 
『親の自己受容』
 
『他者信頼』
 
が課題になる」
 
ということです。
 
 
 
『親の自己受容』
 
ってのは、
 
「この子は、私の子どもだから大丈夫」
 
「私がちゃんと育ってんだから、学校行ってなくても、この子はちゃんと育つ」
 
っていう話です。
 
 
 
これが理解できるようになれば、
 
「私、オッケー」
 
からの
 
「だから、私の、私たちの子どもである、この子もオッケー」
(親の自己受容、夫婦間の信頼関係)
 
ってなる。
 
 
 
「頭では理解できる」
 
じゃなくて、
 
「ちゃんと腑に落ちてる」
 
ってことね。
 
 
 
 
 
『他者信頼』
 
ってのは、
 
「この子は、親以外の影響も受けてて、その人たちのことを信頼できる」
 
「この子は、親以外の影響も受けてて、信頼できる人と関わっている」
 
っていうのと、
 
「自分たち以外にも、子どもを任せられる」
 
っていうのです。
 
 
 
「親以外からも良い影響を受けてる」
 
「自分たちだけで育てようとしない(=信頼できる人に子どもを任せられる)」
 
ってことです。
 
 
 
この
 
『親の自己受容』
 
 
『他者信頼』
 
の生き方を親がやり始めた時、
 
「不登校の問題視をやめられる」
 
ってことです。
 
 
 
裏を返せば、
 
『親が自己否定してる』
 
『他者不信』(=子どもは私だけで何とかしなきゃ』
 
ってのを持ちながら、いくら、
 
「不登校の問題視をやめなきゃ!」
 
って思っても、問題視はやめられない、ってことです。
 
 
 
なぜなら、
 
「不登校を問題視することもまた、問題ではないから」
 
です。
 
 
 
問題じゃないことには、いくら取り組んでも解決なんてできんのです。
 
問題じゃないんだから。
 
 
 
不登校も問題ではないし、
 
不登校を問題視していることも問題じゃない。
 
 
 
親が取り組む課題は、そこじゃない。
 
子どもが自分で自分を認め、そして、社会的に認められるような生き方ができるようになるには、
 
『親の自己受容』
 
『他者信頼』
 
が大事だよ、ってことです。
 
 

 

 

 

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