親から相談される時に、よく聞くのが、
「子どもが楽な方へ楽な方へと流れていかないか心配」
「嫌なことがあればすぐに逃げる子どもにならないか心配」
っていう話。
そう思うのもごもっともです。
この心配を持つ時に、一つチェックしたいのが、
「楽な方へ流れていってはいけない。苦労しなければならない」
って自分が考えていないかどうかを確かめておきたい。
親が、自分や、子どもに対して、
「幸せになるためには、苦しみを乗り越えなければならない」
みたいに考えていると、
「幸せの前には、苦痛がある」
っていうことになります。
つまり、
「ただ純粋に幸せになることは許されない」
っていう発想です。
「幸せになるためには、努力して、苦労して、苦しまなければならない」
「世の中そんなに甘くはない」
「苦労は買ってでもしろ」
っていう信念を持っていると、親の、
「子どもが楽な方へ楽な方へと流れていかないか心配」
「嫌なことがあればすぐに逃げる子どもにならないか心配」
っていう気持ちは、子どもには、
「もっと苦しめ!!」
っていうメッセージで伝わります。
「お前には、まだまだ苦しみが足りないんだぞ」
っていうメッセージになります。
ここの論理、伝わるかな。
「幸せになるためには、その前に苦しまなければならない」
↓
「子どもが楽な方へと流れていかないか心配」
↓
「子どもには、幸せになるためには、もっと苦しんでほしい」
↓
「幸せになるのはもっと先なんだから、今はたくさん苦しめ」
みたいな感じです。
この論理をまとめると、親は、子どものことを心配しているようで、実は、
「もっと苦しめ」
「苦しみが足りない」
って言っているのと同義なんです。
それで、子どものストレス耐性が高く、苦しみに耐えられるなら踏ん張ってがんばるし、ストレス耐性が低いならば、心がくじけて、不登校になったり、がんばれなくなります。
もう精神力が底を尽きた感じ。
「子どもが楽な方へ楽な方へと流れていかないか心配」
「嫌なことがあればすぐに逃げる子どもにならないか心配」
っていう心配をすることは、何も問題は無いです。
この心配と、
「幸せになるためには、楽をしてはいけない」
っていう信念が合わさると、子どもには、
「もっと苦しめ!」
っていうメッセージになります。
つまり、この親は、
「楽な方へ流れていくと、不幸が待ち受けている」
っていうことを信じているわけね。
でも、実際は、楽な方へ流れていかないなら、辛い方へ流れていくことを選択するわけさ。
ってことは、辛い方を選択したら、そりゃ辛いし、楽な方へ流れていっても不幸だ、ってことになるじゃない?
つまり、
「楽な方へ流れていってはいけない」
「幸せになるためには、楽をしてはいけない」
っていう考え方は、楽をしなくても、がんばっても、どちらにしても、人生ハードモードになるわけさ。
そりゃ、生きるのも嫌になるし、希望も失っていくよね。
むしろ、その親は、よくがんばってきたな、って思う。
でね。
ここで考えたいのは、
「本当に、楽な方へ流れていくと、不幸になるの?幸せにはなれないの?」
っていうことと、
「本当に、幸せになるためには、楽なことをしてはいけないの?」
っていうこと。
ほんま?
これを考える時に大事なのは、自分の思い込みを考え直す時は、必ず
『エピソード』
を出します。
たとえ話じゃなくて、具体的な体験談です。
「実際に、楽な方を選択して失敗した話」
と、
「実際に、辛い方を選択して上手くいった話」
を見つけます。
「楽な方を選択すると、不幸になる」
っていうことが真実であれば、自分の体験に、それを証明する出来事があるはず。
ほんで、次に、その逆の体験談を思い出してみます。
「実際に、楽な方を選択して上手くいった話」
と、
「実際に、辛い方を選択して失敗した話」
です。
もし、
「実際に、楽な方を選択して失敗した話」
が5個見つかって、
「実際に、楽な方を選択して上手くいった話」
が10個見つかったら、どっちを信じる?
また、
「実際に、楽な方を選択して失敗した話」
が10個見つかって、
「実際に、楽な方を選択して上手くいった話」
が5個見つかったら、どっちを信じる?
はたまた、
「実際に、楽な方を選択して失敗した話」
が10個見つかって、
「実際に、楽な方を選択して上手くいった話」
が1つも見つからなかったら、どっちを信じる?
この時、大事な考え方は、
「どちらの体験談が多いとしても、どちらの信念も正しいわけではない」
っていうこと。
『信念』=『思い込み』
は、
『真実』
とは異なります。
むしろ、僕ら人間が、どうして、
「楽な方へ流れていくと、100%不幸になる」
って言い切れるのか、って話なんです。
いつから、僕らは神になったの?
いつ、僕らは人間をやめてしまったんだろう・・・
もし、僕らが人間であれば、
「楽な方へ流れていくと、100%不幸になる」
っていうのは、言葉にはできるけれど、真実としては語ることはできません。
だから、どれだけ
「楽な方へ流れていって、失敗した体験」
をたくさんしていたとしても、それは『真実』ではなく、『思い込み』です。
「楽な方へ流れていくと、きっと失敗するはずだ」
って『信じている』だけなんです。
ほんまかどうかは分からない。
それで、僕らは、自分の信じていることを証明するために、子どもが楽な方を選択すると、
「失敗しろ~」
「楽な方を選んだんだから、失敗するはずだ」
「上手くいったら困る~」
なんていう『期待』というか、『呪い』をかけるのね(笑)
これをさっき、
「『もっと苦しめ!』っていうメッセージを伝えているんだよ」
っていう書き方をしたんです。
自分が、
「楽な方へ流れていくと、失敗する」
って信じているんだから、子どもに
「楽な方へ流れていって、上手くいった」
っていうことをしてほしくないんです。
自分が間違えていることになるから。
まるで自分自身を否定されたように感じるから。
ただ子どもは楽な方を選択して、上手くいっただけなのにね(笑)
でね、ここでもまた考えたいんですよ。
「楽な方を選択したら、不幸になる」
もしくは、
「楽な方を選択したら、幸せになる」
っていうんだったら、どっちを信じたい?
僕らは、常に自分の信念を証明しようとするので、先に何を信じるのかを決めてしまえば、その信念を証明しようとし始めます。
つまり、その信念を証明するための出来事を起こしやすくなる、っていうことね。
「楽な方を選択したら、不幸になる」
って信じている人にとって、
「楽な方を選択して、幸せになる」
っていうのは、できるだけ避けたいこと。
「楽な方を選択して、幸せになる」
って信じている人にとって、楽な方を選択して幸せを感じると、
「だよね!!」
ってなる。
どちらを信じたとしても、僕らには出来事を100%コントロールする術は無いので、
「楽な方を選択して、幸せになる」
って信じていても、辛いことが起こることもあります。
しかし、僕らは何の信念を持っているかによって、
『嗅覚』
が鋭くなります。
「楽な方を選択したら、幸せになる」
って信じている人は、
「より楽で、より幸せになりそうな選択肢」
を選び取る『嗅覚』が優れてきます。
経験を積んでくると、何となく分かってくるんですね。
「こっちの方が、より楽で、より幸せになりそうだぞ、経験上」
って。
逆を言えば、
「楽な方を選択したら、不幸になる」
って信じている人は、
「より辛くて、より不幸になりそうな選択肢」
を選び取る『嗅覚』が優れてきます。
出来事を100%コントロールすることはできないけれど、信念に基づいた出来事が起こる確率は上がります。
だから、過去の体験を思い出す時に、自分の信じていることに合致している出来事の方が思い出しやすいんです。
自分が今まで、無意識的に、自分の信念をより強くするための出来事を選んできているからね。
そりゃ、体験の数も多くなります。
そうやって、僕らは、自分の信じていることを証明できるような選択をするんです。
ここで終わらせようと思ったけれど、あと1つだけ書きます。
こんなことやってるから、メルマガが長くなっていくんです(笑)
でも、良かったらお付き合いください。
すごく大事なことです。
ここまでの話は、
「信念によって、これから先に起こることの予測が変わる」
っていう話をしていました。
そして、未来のことなんだから、どんなことでも起こり得るし、僕らの『嗅覚』を育てていくことで、より幸せな方を選択できるようになる、っていう話でした。
でね、僕らは常々、子どもにとっての
『預言者』
になることがあります。
全知全能の神から、未来の啓示を受け取って、子どもにそれを伝えるんです。
「楽な方を選択していると、不幸が訪れるぞ」
ってね。
「いつから神になったんや!」
ってツッコミを入れないといけないところです(笑)
子どもに自分で生きる力を身に付けてほしいならば、親は、神になることをやめないといけない。
親が、神からの啓示を預かる預言者だったり、神になったりして、
「お前の未来は見える」
と言わんばかりに、子どもの未来を予言するんです。
「~したら、××になるぞ」
って。
この言葉の威力って、なかなか大きくって、親の信念の通りに子どもを育てていくことになります。
しかも、それがちゃんと子どもが幸せを感じられる信念ならいいんだけど、
「楽な方を選択すると、不幸になるぞ」
とか言われたら、子どもはもう不幸になるか、辛い方を選ぶしかないんですよ。
どちらに転んでも、人生ハードモードなんです。
つまり、とても乱暴な言い方をすれば、
「子どもの人生をハードモードにしているのは親」
だったりするわけです。
だから、自分の信念(=「~べき」「~になるはずだ」っていう考え)に気付いたら、まずはそこを疑ってみる。
「ほんまに、楽な方を選択したら、不幸になるの?」
ってね。
そして、僕らは、子どもに対して、
「未来を予言する」
っていうことをやめて、
「結果から学習する」
っていうことをやりたい。
「楽なことばっかりしてたら、不幸になるぞ!」
って予言をするのではなく、
「こういうことが起こったのは、なんでやと思う?」
って起こった出来事から、何が原因で、本来の目的通りに生きるためには何が大事なのかを考えていきます。
これが『自律学習』です。
未来を予測できるようになるのは、それまでにたくさんの結果を体験して、その体験から学習したから、です。
例えば、占い師っていう職業、ありますよね。
彼らにとって、一番大事なことは何だと思いますか。
それは
『実体験』
です。
占いの結果は、あくまでも、統計的データであり、理論です。
その個人に当てはまるかどうかは、確率的に正しい。
でも、100%正確とは言えない。
だから、実体験や、人の体験をたくさん集めて、
「しし座の人は、こうやりがち」
みたいなイメージを作っていくんです。
実体験が多ければ多いほど、そのイメージは、より正確なものに近づく。
100人の体験よりも、1000人の体験の方がより正確。
1000人の体験よりも、10000人の体験の方がより正確。
地球上全ての人間のデータを集められたとしても、それはこれから生まれてくる子どもに当てはまるのかどうかは分かりません。
でも、とても精度の良いデータは出来上がると思います。
そういう意味で、占いっていうのは、
「より良い人生を生きるための理論と方法論」
とも言えるわけですね。
子どもも、実体験が少なければ少ないほど、実社会や自然界に対する理解が浅いままになるから、生きづらくなっていきます。
だから、親が予言者となり、
「~したら、××になるよ!」
って言い続けると、子どもの実社会や自然界に対する適応能力は低いままで推移します。
場数の割に、親からの「~したら、××になるよ!」っていう『呪い』が大きい領域を占めるから、実社会や、自然界に対する適応能力よりも、恐怖心の方が勝ったりするんです。
だから、親が予言者になれば、子どもは生きづらくなりがち、っていうことです。
子どもから実体験を奪わないようにしたい。
子どもが「楽な方へ流れてんな」って思っても、その結末を子どもに体験させてあげてほしいのね。
その体験が親の想像通りだったとしても、
「ほら、言った通りじゃない!」
なんて言わない。
また「いつから予言者になったんや」ってツッコミが入ります。
僕から(笑)
あくまでも、何がどうなったから、今の状況になったのかは、子ども自身が考えることです。
親は、子どもに、ぜひ、
「今、○○っていう状況だよね。
なんで○○になったと思う?
どうしたら、◎◎になってたと思う?」
みたいなことを聞いてみてください。
その過程での子どもが考えたことが、実社会や、自然界への理解に繋がります。
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