「で、あなたはどう思うの?」で子どもの意志を尊重する | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

僕には子どもがおらんのです。

 

子育て経験なんてありません。

 

 

 

それでも、子どものことがある程度分かるのは、子どもの気持ちや、子どもの特性とかをずっと考え続けているから。

 

親も、子どものことは考えていると思うんです。

 

 

 

でも、親の場合は、特に意識をしていない場合や、ちゃんとトレーニングしていない場合は、基本的には、

 

『親フィルター』

 

を通して、子どもを見ます。

 

 

 

自分にも子どもがいる保育士さんがよく言う、

 

「よその子には上手く関われるのに、我が子には上手く関われない」

 

っていうのも『親フィルター』のせいです。

 

 

 

『親フィルター』を通して子どもを見るのから、実際に親が見ているのは、親自身が掲げる子どもの理想像です。

 

「こんな子どもだったらいいな」

 

っていう理想像を通して、子どもを見ます。

 

 

 

ということは、親の目に映っているのは、

 

「理想像 - 実像」

 

っていう引き算の結果を見ています。

 

 

 

だから、ここもできていない、あれもできない、なんでできないのー!!って、子どものできないところばかりが目につきます。

 

それって、言い換えれば、

 

「子どもを子どもとして見ていない」

 

とも言えます。

 

 

 

アドラーの考えによれば、

 

「子どもを一人の人間として接する」

 

っていう考え方があります。

 

 

 

この考え方って、ちょっと誤解しやすくって、

 

「自分と同じように接する」

 

っていうのと混同しやすいです。

 

 

 

親からしたら、自分も大人だから、子どもを一人の人間として接しているんだけど、その関わり方がどことなく、子どもを突き放したような、冷たい接し方になっていることがあります。

 

例えば、子どもが、

 

「おかあさーん、これとこれ、どっちがいいと思う?」

 

って聞いてきた時に、

 

「それはあなたの自由にしていいんだから、あなたが決めていいんだよ」

 

っていうと、なんだか冷たいように感じる子どももいます。

 

 

 

この対応、きっと

 

「何がまずいの!?」

 

「どこに冷たさがあるの?」

 

って思うかもしれません。

 

 

 

よーーーーーく、考えてみてほしいんです。

 

子どもは、なんで親に

 

「これとこれ、どっちがいいと思う?」

 

って聞いてきたんでしょうか。

 

 

 

おそらく、この親は、

 

「子どもは親に許可を求めてきている!」

 

「でも、子どもには自分で考えて、自分で判断できる大人になってほしい!」

 

っていう『親フィルター』があるから、

 

「自分で決めていいんだよ」

 

っていう返し方をしたんだと思います。

 

 

 

でも、子どもが親に

 

「これとこれ、どっちがいいと思う?」

 

って聞いてきた、っていうことは、

 

「親の意見を聞きたかった」

 

っていうことなんです。

 

 

 

親の顔色をうかがいたいわけじゃない。

 

自分で判断ができないわけじゃない。

 

一応、参考意見として、親の意見を聞いておきたいんです。

 

 

 

自分には、それほどこだわりが無いのか、自分の好きなのを選ぶんだけど、どうせなら、親も喜ぶようなものの方がいい、って考えたのかもしれません。

 

子どもが親に意見を求めてくる時には、子どもなりの考えがあります。

 

 

 

もちろん、子どもが自分で判断できないから、親の許可を得に来た場合もあります。

 

この親が避けたいと思っている子どもの行動ですね。

 

 

 

この子どもの行動で意識したいのは、

 

「子どもが親に意見を求めに来た以上、必ず何かの理由がある」

 

っていうこと。

 

 

 

だから、オススメの関わり方は、

 

「どうしたの?」

 

です。

 

 

 

「どないしたん?自分でどっちがいいか、好きな方を決めたらええんやで?」

 

って子どもに一応、事情を尋ねてみます。

 

 

 

 

 

子どもが話しかけてくれたんだから、こっちも子どもとコミュニケーションを取りたいんです。

 

「これとこれ、どっちがいいと思う?」

 

って聞かれて、

 

「自分で決めていいんだよ」

 

なんて言われると、子どもとのコミュニケーションをたった1往復で終わらせてしまうことになります。

 

 

 

子どもが親に意見か何かを求めて、尋ねてきてくれています。

 

そもそも、自分で決められるんなら、わざわざ

 

「自分で決めていいんだよ」

 

なんて言われなくても、とっくに決めているよね、っていう見方もできます。

 

 

 

子どもの方に何か、自分では判断がつかない理由があったのかもしれない。

 

だから、聞いてきてくれた。

 

 

 

それなのに、

 

「自分で決めていいんだよ」

 

とか、

 

「自分で決めなさい」

 

みたいに言われるのは、ちょっと冷たく感じちゃったりする子もいるかなぁ、なんて思います。

 

 

 

僕が子どもなら、ちょっとしょんぼりしちゃう(笑)

 

 

 

「どうしたの?」

 

って聞いてほしいし、

 

「こっちの方がいいんじゃない?」

 

「なんで?」

 

「それはね・・・」

 

って対話をしたいし、

 

「あなたはどっちがいいと思うの?」

 

って聞いてほしい。

 

 

 

ぜひ、子どもとのコミュニケーションを怖がらずに、めんどくさがらずに取ってほしいなぁ、って思います。

 

子どもとどれだけコミュニケーションを取ったかで、子どもがどれだけ物事を考えたか、っていうことに影響してきます。

 

 

 

子どもが物事を考えた量によって、いざ勉強に取り掛かった時に、考えることを億劫には思いづらくなります。

 

子どもは基本的には、考えることが大好きですからね。

 

 

 

 

 

アドラー心理学では、

 

『課題の分離』

 

とか、

 

『主体性』

 

とか、

 

『自己決定性』

 

なんて言葉を使います。

 

 

 

でも、それって、

 

「親の意見を言ってはいけない」

 

っていうわけではないんです。

 

 

 

あくまでも、

 

「子どもの課題において、最終決定権は子ども自身にある」

 

っていうだけなんです。

 

 

 

つまり、

 

「親が意見をいっぱい言っても、親の意見を採用するかどうかも、子どもが決められる」

 

っていうこと。

 

 

 

言い換えれば、親が自分の意見を子どもに伝えることを避けている、っていうことは、

 

「この子は、自分で物事を決められない」

 

「この子は、簡単に人の意見に左右されるほど、自分の意志が弱い」 

 

っていう風に、子どもをみなしている、っていうこと。

 

 

 

親が子どもに意見を伝える時に、親が意見を伝えても、子どもの意志を尊重するコツがあります。

 

それは、

 

「で、あなたはどう思う?」

 

って最後に付け加えてあげることです。

 

 

 

例えば、子どもが、

 

「AとB、どっちがいいと思う?」

 

って聞いてきた時には、

 

「お母さんは、Aの方がいいかな。

 

なんでかっていうとね、・・・」

 

ってあれこれ理由も添えて伝えた最後に、

 

「ってお母さんは思うんだよね。

 

それで、あなたはどう思ったの?」

 

って付け加えてあげる。

 

 

 

最後を問いかけで終わらせることで、

 

「ここまでの話は、あくまでも、親の個人的な意見ですよ」

 

っていうことを伝えられる。

 

 

 

「で、どう思う?」

 

っていうのは、言外にそういうニュアンスを含むんです。

 

 

 

こういう関わり方をすると、親がたとえ『親フィルター』を通して子どもを見ていたとしても、

 

「これは『親フィルター』を通していますよー」

 

って子どもに伝えられます。

 

 

 

子どもに、

 

「これは『親フィルター』ですよー」

 

って伝えられたら、

 

「親の意見を採用するか否か」

 

っていう選択肢が生まれます。

 

 

 

つまり、親は

 

「『親フィルター』を通して見ないようにする」

 

っていうことが大事なのではなくて、

 

「自分が『親フィルター』を通して見ていることに自覚的でいること」

 

「子どもに『親フィルター』を押し付けないこと」

 

の2つが大事なんです。

 

 

 

最終的にどうするのかを子どもが選択できている状態であれば、それまでの過程はなんだっていいんです。

 

親が『親フィルター』を通していようと、心理学的なトレーニングを受けて、『親フィルター』を通さずに見れるようになっていようと、どっちでもいい。

 

 

 

それより大事なのは、

 

「自分が『親フィルター』を通して見ていることに自覚的でいること」

 

「子どもに『親フィルター』を押し付けないこと」

 

っていう2つです。

 

 

 

この2つを意識できるようになってくると、19日のメルマガにも書いた『ダイバーシティ(多様性)』にも繋がります。

 

ダイバーシティって言い換えれば、人それぞれのフィルターで見ていることを認めましょ、っていう話でもあります。

 

 

 

親には、『親フィルター』があっていい。

 

子どもにも、『子どもフィルター』がある。

 

 

 

だから、親が『親フィルター』を持つことだって、認められていいはず。

 

何度も書くけど、大事なことは、自分が『親フィルター』を通して見ていることに気付いていることと、『親フィルター』を押し付けないことです。

 

 

 

『親フィルター』を子どもに伝えてはいけない、っていうわけではありません。

 

『親フィルター』を子どもに伝えてもいいんだけど、ちゃんと子どもにも選択権があることは、明確にして伝えてあげましょ、っていうことです。

 

 

 

それが、

 

「で、あなたはどう思うの?」

 

っていう問い掛けです。

 

 

 

『親フィルター』を採用するもしないも、子どもの自由。

 

その自由を尊重してあげたい。

 

 

 

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