親に愛情が不足しているわけじゃない! | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

水曜日は、お茶会で、おかげさまで満席でした。

 

そこで「愛情不足なんて無い!!」ってことを熱弁させていただきました。

 

最近、メルマガを読み始めた方もいらっしゃるので、今一度しっかりと明記しておきたいと思います。

 

 

 

「私は、愛情不足で、親として失格なのかしら・・・」

 

「医師や、学校の先生や、友人に、『愛情不足なのでは?』って言われた・・・」

 

なんて傷ついている親も少なからずいるようです。

 

 

 

でもね。

 

 

 

愛情、本当にありませんか?

 

愛情、本当に足りていませんか?

 

 

 

言い換えます。

 

 

 

子ども、嫌いですか?

 

子どものこと、心の底から嫌いで、何の関心もなくて、怒りもしないし、心配もしないし、嬉しくも、愛しくも、何の感情も動きませんか?

 

 

 

こういうことを『愛情不足』って言うんです。

 

どれだけ子どもとの関係が上手くいっていなかったり、子どもにイライラしたり、辛くあたったり、関わり方がそっけなかったりしても、それは愛情不足からくる行動ではありません。

 

 

 

子どもが、飲み物やスープをこぼしてみたり、食器を割ってみたり。

 

子どもが、学校であれこれ問題を起こして、学校から電話があったり。

 

子どもが、さっさとやってくれないから、イライラして、子どもに辛く当たってみたり。

 

子どもの近くにいると、話が長いし、支離滅裂だし、全く興味が持てない分野だから、憂鬱だったり。

 

 

 

それで、「私は、愛情不足なのかしら・・・」って思っちゃう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は、子どものことが大好きなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

です。

 

子どものことが本当は大好きなのに、その気持ちとは真逆のことをしちゃう。

 

それが実態じゃないかなぁ、って思います。

 

だから、親自身に愛情が足りていないんじゃなくて、愛情はもう十分すぎるほどあるんだけど、その表現方法や、伝達方法が間違っているだけ、です。

 

「親失格かも・・・」

 

なんて思っていても、関わり方は下手くそかもしれないけれど、素質は十分なんです。

 

 

 

例えば、「子どもにイライラしちゃう」っていう場合、それは子どもとの距離が近すぎるだけかもしれません。

 

「子どもが全然言うことを聞いてくれない」っていう場合、それは相手を傷付けず、相手を大切にする伝え方を知らないだけかもしれません。

 

「子どもについついあれこれ口出ししちゃう」っていう場合、それはあなた自身の気持ちが、しっかりと受け止められてこなかったから、かもしれません。

 

 

 

親失格な人なんていません。

 

また、親合格な人なんていません。

 

 

 

親は資格制度ではないんです。

 

子どもがいるんなら、もう誰だって親なんです。

 

親失格になったから、退場したり、資格をはく奪される、みたいなことはありません。

 

「できるもんなら、資格をはく奪してほしいわ」って思う人はいるかもしれませんが(笑)

 

 

 

 

 

親には、巨大な愛情用のタンクがあると想像してみてください。

 

そのタンクには『愛情』と呼ばれる液体が満杯だとします。

 

子どもは、小さなコップを持っているとします。

 

 

 

この時に、大きなパイプを繋いで、何の減速もなく、思いっきり愛情を注いだら、どうなりますか?

 

水圧によっては、コップから溢れるだけでなく、コップ自体が吹き飛ばされたり、割れてしまったりすることもあります。

 

 

 

逆に、細い注射針みたいなパイプを繋いで、本当にちょっとずつ丁寧に愛情を注いだとします。

 

注いだ、というか、雫を垂らす感じですね。

 

コップから溢れたり、吹き飛ばされたりすることはありませんが、これはこれで全然溜まりませんよね。

 

 

 

また、コップに愛情を注ごうとするんですけど、命中率が低くって、コップを外してしまって、床にドボドボ・・・

 

なんてこともあるかもしれません。

 

 

 

逆に、子どもの器が大きすぎる場合もあります。

 

その場合は、大きなパイプを繋いで、愛情を注いであげることも必要になってきます。

 

 

 

 

 

愛情を注ぐ上で大切なのは、

 

1.子どもが持っている器の大きさに合わせて注ぐ

 

2.子どもの器に注げる形で注ぐ

 

っていうことが大切です。

 

 

 

キャッチボールをしていて、子どもが野球のボールを期待しているのに、ボーリングの球を投げてみたり、子どもが取れないような剛速球を投げてみたり。

 

受け取りたいもの、受け取れるものかどうかを一度考えてみるのもいいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

でね。

 

 

 

 

 

もしかしたら、「子どもの器って、見えないよね?」って思うかもしれません。

 

そういう場合、子どもとのコミュニケーションで決定的に不足しているものがあります。

 

それは、

 

「子ども本人に聞いてみる」

 

っていうことです。

 

 

 

子どもが何を求めているのか。

 

そこを確認せずに、独断で愛情を注ぐから、外れたり、注ぎ過ぎたり、逆に足りなくなったりします。

 

何をどれくらい求めているのか。

 

それを細かく確認してあげるんです。

 

 

 

できるだけ細かく細かく、気分は毎日変わるから、何度も何度もその都度、繰り返し確認してあげます。

 

で、子どもが求めている関わり方をしてあげると、子どもは喜んでくれることが増えてくるんです。

 

 

 

子どもの気持ちや、子どもの求めていることは、日頃近くにいる人ほど、誤解しやすくなります。

 

なぜ、誤解するかと言えば、子どもも演技する技術くらい持っているから、です。

 

子どもは、親を悲しませたくないがために、親が注いでくれる愛情が、自分の求めていないものであっても、ニコニコしたりするんです。

 

そうしたら、最も近くにいる人ほど、「あ、これを求めているんだな」と、"心の中で"確信するんです。

 

 

 

でも、それじゃあ、どれだけやっても、ミスコミュニケーションが改善されず、溝は深まっていくばかりです。

 

どれだけ細かいことでも、子どものことは、子ども本人に聞いてみるんです。

 

そして、子どもが求めていることを、親ができる範囲で注いでみる。

 

そうしたら、子どもが求めているものを与え、自分が与えられるものを与えているんだから、簡単に相思相愛になれるのはイメージできるでしょうか。

 

 

 

親子なんです。

 

今までどれだけやらかしてきていても、

 

1.子どもに何を求めているのか、何をしてほしいのか、っていうのを確認する

 

2.自分ができる範囲で、求めていることに応えてみる

 

3.それを習慣化する

 

っていうのをやり続けていれば、比較的、時間をかけずに、関係は修復できます。

 

 

 

1と、2は、どちらも大切です。

 

2を大切にしないと、それは自己犠牲であり、子どもが見たくない、親が自己犠牲で苦しんでいる姿を見せることになります。

 

どうせ苦しんでいる姿を見せるんなら、自己犠牲ではなく、自分の夢に真正面から向かっていく姿を見せたいものです。

 

 

 

 

 

 

長くなりましたが、まとめると、

 

「愛情不足な親はいない」

 

「愛情の注ぎ方が、子どもの求めているものと違う」

 

っていうだけの話です。

 

だから、子どもが何を求めているのかを確認して、それに合わせた愛情の注ぎ方をすればいいんです。

 

 

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