子どものチャレンジ、途中で飽きることがよくあります。
習い事をさせたのに1ヶ月もせずに飽きる。
新しいオモチャを買ったのに、ほとんど遊ばずに飽きる。
行きたいと熱烈に言っていたのに、直前になって行きたくない。
こういうことはよくありますよね~。
こういう時に、僕は、ぜひ、子どもの声に従ってみてほしい、って思っています。
「せっかく習い始めたんだから」
っていう発想は、過去の子どものモチベーションを基準にした発想と言えましょう。
子どもはもうその時の子どもとは別人になっているのに、親が過去の子どもを相手にしているんです。
筋は通っています。
どちらを大切にするのかは、正解はありません。
子どもの声に従ってほしい、というのは、あくまで僕の価値観です。
お金をかけたことが気になっていても、それはまた入ってきますよね。
しかし、子どもに嫌々通わせ続けたり、嫌な気持ちを味あわせ続けた時間は、もう二度と返ってきません。
子どもが1ヶ月しか通っていない、自分から行きたいと言い出した習い事を「やめたい」とか、「行きたくない」って言いだした場合、それでもなお、親の強権を持って行かせると、その期間は子どもにとって苦痛の期間になります。
もしかしたら、行ったら楽しかった、っていうのはあるかもしれませんけど、子どもは自分の主張が受け入れられなかった体験はします。
もしかしたら、そこで背中を押してくれたから、続けられた、ってことはあるかもしれません。
子どもの背中を押してみて、「あなたが行くって言ったんでしょ」とか言いながら、行かせるのは、嫌な気持ちを感じて終わるのか、嫌な気持ちを乗り越えて継続するのかは分かりません。
僕がどうして、子どもがやめたいって言ったら、やめさせてあげればいいじゃん、って考えているかと言えば、「チャンスの神様は前髪しかない」と言われるけど、その数は余りあるほど、たくさんいるんだろう、って思っているからです。
例えば、サッカーが途中で嫌になりました。
子どもが本気で行きたくないと言い始め、飽きたといいます。
それでサッカーをやめても、世の中には他にも楽しいことはたくさんあります。
エジソンの発想と同じで、「子どもがハマらない一つのものを見つけた」っていう発想です。
いつまでも、そのハマらないものにこだわらずに、さくっと次のことに言ってもいいんじゃないか、って思っています。
繰り返しますが、この考え方に正解はないと思います。
ミセス・パンプキンとムーギー・キムによる『一流の育て方―――ビジネスでも勉強でもズバ抜けて活躍できる子を育てる』という著書の中では、子どもが「やめたい」と言って、そのままやめさせて上手くいったケースと、そのままやめさせずに続けさせて上手くいったケースの両方が書かれています。
どっちに転ぶかは、やってみないと分からない、ということのようです。
そうであれば、僕は子どもの言葉を信じてみよう、って思うんです。
子どもの言葉を信じて、決断を下していくと、きっとどこかで子どもが本当にやりたいことにぶち当たるはずです。
この場合、本当にやりたいことを掘り当てたのは、親の導きではなく、自分の判断によって、ですよね。
だとすれば、子どもの中に、「自分は好きなものを自分で選択できる」という実感も伴っているはずです。
現に、自分でやりたいことと、やりたくないことを選んできているんですから。
「やりたいことを選び取る力」
この力って、めっちゃくちゃ貴重です。
子どもの頃から鍛えていなくて、大人になってから鍛えようとすると、めーーーーっちゃ苦労します。
これはガチで。
「やりたい・・・って何?」
っていうところから始まり、
「自分は、好きなことをしてはいけない」
っていう呪縛が見えてきて、
「やりたいことが見つからなくて、焦ってる」
っていうよく分からないプレッシャーも感じて、
「時間だけがただ過ぎていくような・・・」
っていうある種、悟りにも近いような、諦めも出てきたりします。
しかし、「やりたいことを自分の心に問い掛けて、動く」ということをやってこなかったら、大人になってから苦労します。
いや、さっきの「チャンスの神様は山ほどいる」理論を採用すれば、大人になってから探したって、全然遅くはないんです。
それはそれで構わないんですが、もう大人になってしまった僕らはその時間は戻ってこないけれど、今の子どもたちなら、全然何とでもなるんです。
やりたいこと迷子や、呪縛、プレッシャー、諦めなどのことを体験させない、というルートもまだ残っているんです。
子どもをそのどっちに進ませるのかは、親次第、だと思います。
なぜなら、お金は親が持っているから、です。
お金を持っているから、子どもに選択肢を増やしてあげることができます。
『お金』って言っても、大金である、って言う意味ではなくて、自分たちで稼いでこれている、という意味です。
子どもをどの環境に置くか、という選択肢の多くは親が握っている、と言っても過言ではありません。
それを親が握ったまま、子どもを親がコントロールしてもOKですし、子どもに選択権を与えて、親はお財布の役割に徹するのもOKです。
また、選択しながら、一緒にお金の計算をするのもOKです。
色々書きましたが、「チャンスの神様は山ほどいる」理論は、めっちゃ強くって、コントロールしても、しなくても、何の役割に徹しても、その子どもにとって、必要な学びが遅かれ早かれやってくる、っていうことには変わりはないと思います。
僕の個人的な価値観では、子どもに社会の甘さを教えてあげて、「世の中なんてちょろいぜ!」って思わせていてもいいんじゃないか、って思うんです。
そうしたら、やる前から諦めずに、ちょろいって思っているんだから、取り組みやすくもなるし、自分に自信だって持ちますよね。
なので、子どもの好きにやらせてあげても全然問題はないんじゃないか、って思います。
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