おせっかいな蟲師。映画「悼む人」 | 忍之閻魔帳

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映画 悼む人 高良健吾 石田ゆり子 大竹しのぶ


▼おせっかいな蟲師。映画「悼む人」

バレンタインデーにはおよそ似つかわしくない
ひじょうに重い作品が今週末より公開される。
天童荒太の直木賞受賞作「悼む人」を映画化したのは「SPEC」「TRICK」の堤幸彦。
天童荒太の映画化を手掛けるのは、2007年の「包帯クラブ」以来2作目。
主演は「横道世之介」の高良健吾。
共演は石田ゆり子、井浦新、貫地谷しほり、椎名桔平、大竹しのぶ。
脚本は「風が強く吹いている」「アゲイン 28年目の甲子園」の大森寿美男。
2012年10月には同じ大森脚本&堤演出で舞台化もされていて、
主演を向井理、共演は小西真奈美、伊藤蘭など。



原作者の天童荒太が「悼む人」を書いたきっかけは
阪神淡路大震災や同時多発テロだったという。
不幸にしてこの世を去った人々に対し、無力な自分は何もできないけれど、
一人一人が生きるに値する人、この世界に対して存在する意義を持っていた人なのだと
悼む人がいるだけで、この世界に光を灯すことができるのではないか。
そんなところから、全国を悼んで回る青年・坂築静人は生まれたらしい。

祖父の死をきっかけに人の死に敏感になった静人は
新聞記事で訃報を見つけては現地に赴き、故人を知る人々のもとを訪ねて回って
「あなたがこの世に生きていたことを、私は覚えておきます」と告げる。
行く先々で静人を待っているのは歓迎ばかりではない。
どころか、物見遊山で不幸ネタを集めているのだろうと
不快に思う人の方が多いぐらいで、警察から聴取を受けることもしばしば。
母親は静人がそうなった理由を知って敢えて静観し続けるが、
身重の妹は度々警察の世話になる兄を変人と恥じ、父は何も語らない。




私は原作未読のため、映画版がどの程度の再現度なのはか分からない。
直木賞を受賞するぐらいなのだから、原作ではもっと複雑な人間関係が展開し、
主人公や家族の葛藤まで描かれているのだろうが、映画だけを見ると、
静人の行動は多くの人が揶揄する『自分探し』の域を出ていないと思う。
普通の生活を送っていて、偶然すれ違った不幸話に耳を傾けるだけでは
何故ダメなのか、その説明が全く足りていないように思う。

堤監督は原作の大ファンで、舞台版の演出まで手掛けているのだから
原作の意図するところは100%理解しているに違いない。
2時間20分にまとめるため原作の旨味を凝縮したはずが
原作未読の映画ファンにとってはただの説明不足にしか映らず
静人がただの「痛い子」になってしまったのではないか。

感受性豊かなのは結構だが、死の匂いを嗅ぎ付けては押し掛けて
念仏のように「覚えておきます」「この胸に刻みます」と唱えるのは
故人に対してかえって不誠実に思える。
それで救われる遺族もいるのだろうが、少なくとも私はご免だ。
第一、日々そんなことをしながら全国を回っている青年が
悼んだ人々の全てを覚えていられるとは到底思えない。
貯蓄を食い潰しながら全国を巡っているとのことだが
では貯金が尽きたらどうするつもりなのか。

被災地に行こうものなら、新聞など見なくとも辺り一面に「不幸な死」が溢れている。
遺族全員から話を聞き、ひとりずつ悼み、全てを覚えていられるのだろうか。
不躾に故人の思い出話を聞かせてくれと頼む静人と、
「相手が出てくるまで鳴らし続けるんだよ」と
インタホンを押しまくる記者・蒔野抗太郎(椎名桔平)の取材方法は
生真面目な好青年に見える高良健吾と、
見るからにヤクザな風貌の椎名桔平というルックスの違いはあれど
中身は同じタイプの無神経さである。やっていることはほぼ同じなのだ。
母親が末期癌でもう持たないというのに一向に焦る気配を見せず
「僕なりに旅を続けるだけです」と言い放つに至っては
「他人の死を悼む前に己の家族を大事にせんかい、この馬鹿者が!」と
カミナリ親父よろしく説教をしたくなった。

劇中で描かれるエピソードも皆バラバラなままで
ザッピング程度にしか言及されないのも残念。
例えば、センセーショナルな記事ばかり書く蒔野が
沼田夫妻(麻生祐未・山崎一)の子の記事も書いていたとか、
エピソードごとのリンクでもあれば物語の厚みはかなり違っていたろうに。
近いところで各エピソードを動かしていながら
悪い意味で絶妙に絡み合わない脚本は大森寿美男の仕事とは思えない。
田舎で出会った女医がたまたま「悼む人」のHPの存在を知っていたり、
御都合主義的な展開も多く、唯一目を引くのが井浦新の狂人ぶりでは
堤監督は「恋愛寫眞」の頃から何も進歩していないなと思われても仕方あるまい。
読者(観客)の分身とも言える奈義倖世(石田ゆり子)も
最後までおろおろしているだけで、しかも二人の関係も中途半端なまま終わってしまい
一体何が言いたかったんだこの映画はと疑問符がダース単位で浮かんでしまった。

「くちづけ」といい本作といい、堤幸彦にシリアスはやはり無理だ。
「TRICK」も「SPEC」も終わらせた今となっては、
映画賞のひとつでも穫って巨匠への道を目指すしか無いのだろうが、
生涯コメディの得意な監督でもいいじゃないか。

「悼む人」は、頼まれてもいないのに「困っている人」を探しまわり
勝手に払って去っていくギンコのようだ。
坂築静人とは「おせっかいな蟲師」である。

おせっかいで救われる人もいるだろうし
それを疎ましく思ったり、偽善だと感じてしまう人もいる。
私はたまたま後者だっただけで、彼の生き方に何らかの感銘を受ける人がいても良いし、
高良健吾は共感を得られにくい静人の理解者であろうと
可能な限り役に寄り添って生きているように見えた。
彼の誠実さが、この映画の唯一の拠り所になっている。

映画「悼む人」は2月14日より公開。


発売中■CD:「PROCEED(「旅路」収録) / 熊谷育美」
配信中■iTMS:「旅路 / 熊谷育美」
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鬼束ちひろの後釜として「TRICK」に起用された熊谷育美は
これで堤作品で4回目の主題歌に起用。
しかし今作はAメロからサビからブリッジまで見事なぐらいに鬼束のコピーで
なら鬼束に頼むのが筋だろうと思わなくもない。
曲自体はいいが、鬼束の影が強過ぎる。




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原作本は驚異的な高評価。
やはり原作を読んでみなくては作品の意図は充分理解できないのかもしれない。
「自虐の詩」をただのギャグマンガ風映画にしてしまった
堤幸彦に期待したのが間違いだったか。