講話集
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この子はぜひに助けたいと思うようなのは、かえって死ぬ。こんな人間は邪魔者だから、どうでもいいと思うと、かえって死なないのです。これは、生の執着が邪魔するんで、治療する場合に、特にこういうことが多い。子なら子を治療する場合、観音力の霊光注射すると、そういう場合なかなか清まらぬ。親が無関心でいるとよく清まる。親が助けたい助けたいと思っていると、親の霊が子の霊体へ入って行く。そういう子の病気などは、親の霊が曇っているから、せっかく観音力で浄めていても、親の想念のために曇る。諦めると親の想念が除れるから治って行く。ですから、少し危ないときは諦めなさいと反対に言いきったほうが、助かる場合が多い。病人自身でも、生の執着をとった病人は治りいい。死を覚悟した病人は助かる。重い病人でも助かるが、諦めるほうが早く治る。諦めると霊体のほうが開放されるようになって、観音光がよく入るんで、助かろう、助かろうというときは、その人の霊身は固くなる。ですから、なるべく重病人は諦めさせることが肝腎です。
この子はぜひに助けたいと思うようなのは、かえって死ぬ。こんな人間は邪魔者だから、どうでもいいと思うと、かえって死なないのです。これは、生の執着が邪魔するんで、治療する場合に、特にこういうことが多い。子なら子を治療する場合、観音力の霊光注射すると、そういう場合なかなか清まらぬ。親が無関心でいるとよく清まる。親が助けたい助けたいと思っていると、親の霊が子の霊体へ入って行く。そういう子の病気などは、親の霊が曇っているから、せっかく観音力で浄めていても、親の想念のために曇る。諦めると親の想念が除れるから治って行く。ですから、少し危ないときは諦めなさいと反対に言いきったほうが、助かる場合が多い。病人自身でも、生の執着をとった病人は治りいい。死を覚悟した病人は助かる。重い病人でも助かるが、諦めるほうが早く治る。諦めると霊体のほうが開放されるようになって、観音光がよく入るんで、助かろう、助かろうというときは、その人の霊身は固くなる。ですから、なるべく重病人は諦めさせることが肝腎です。
講話集
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いま米沢さんの話中、観音信仰は真のことの願いならば、御利益があるという話でしたが、どういうわけでそうなるかを説明しますと、観音様は一番御位が高い。八百万の神仏中一番高い御位ですから、観音様を拝めば、その人の魂の位が高くなる。譬えてみれば、三段ありとし、いま一般の人は、たいてい地獄で、上等の人で中界で、たいした善いことも悪いこともしない、平々凡々で生きてる方で、これでも上等のほうですが、観音様は最高の神仏ですから、拝んでるとだんだんその魂は昇り、天国状態に入ったときは、その人には悪いことが来ない。地獄にいるときは、どんな工夫しようと善いことしようと、相応の理ですから、悪いことばかり来る。いままでの信仰は中有界で、ごく上等ので天国のごく下のほうですから、それを拝んでもやっと中有界くらいまで昇る。中には稲荷とか天狗とか、拝む神そのものが地獄にいるのがある。それですから、それを信仰しても悪いことばかり起る。また中有界にいる人でも地獄へ落ちる。それは拝んでる神が地獄にいる関係で、観音様を拝んでいると、すぐにいいことが来ると思うと、そうではない。ある程度きれいにならなければならない。
いま米沢さんの話中、観音信仰は真のことの願いならば、御利益があるという話でしたが、どういうわけでそうなるかを説明しますと、観音様は一番御位が高い。八百万の神仏中一番高い御位ですから、観音様を拝めば、その人の魂の位が高くなる。譬えてみれば、三段ありとし、いま一般の人は、たいてい地獄で、上等の人で中界で、たいした善いことも悪いこともしない、平々凡々で生きてる方で、これでも上等のほうですが、観音様は最高の神仏ですから、拝んでるとだんだんその魂は昇り、天国状態に入ったときは、その人には悪いことが来ない。地獄にいるときは、どんな工夫しようと善いことしようと、相応の理ですから、悪いことばかり来る。いままでの信仰は中有界で、ごく上等ので天国のごく下のほうですから、それを拝んでもやっと中有界くらいまで昇る。中には稲荷とか天狗とか、拝む神そのものが地獄にいるのがある。それですから、それを信仰しても悪いことばかり起る。また中有界にいる人でも地獄へ落ちる。それは拝んでる神が地獄にいる関係で、観音様を拝んでいると、すぐにいいことが来ると思うと、そうではない。ある程度きれいにならなければならない。
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また、五月五日ということはたいへん観音様にとって意味があり、私が前に神界すなわち神様のほうの世界の経綸にかかったとき、桃太郎として初めて仕事のため出た日もやはり五月五日でありました。今度の五月五日もやはり桃太郎の仕事をすることになります。五月五日の鯉幟は今度の観音会のことの謎であったんであります。
鯉というものは出世魚と言って一番出世するものの意であります。鯉は魚の観音様で、真鯉は鱗が三十三枚あるんで、三十三枚ないのは真鯉ではない。先に勘定してみたことがありますが、たしかに三十三枚あります。
また、五月五日ということはたいへん観音様にとって意味があり、私が前に神界すなわち神様のほうの世界の経綸にかかったとき、桃太郎として初めて仕事のため出た日もやはり五月五日でありました。今度の五月五日もやはり桃太郎の仕事をすることになります。五月五日の鯉幟は今度の観音会のことの謎であったんであります。
鯉というものは出世魚と言って一番出世するものの意であります。鯉は魚の観音様で、真鯉は鱗が三十三枚あるんで、三十三枚ないのは真鯉ではない。先に勘定してみたことがありますが、たしかに三十三枚あります。