ヘミングウェイのCat in the Rainを読みましたー。んでレポートまた公開してます。なんでかっていったら前もいったけどもったいないからです。笑
でもかなりおもしろかったですねー、こんな解釈できるんだー、みたいな。
ほとんど参考文献のまんまですけど。、
短いんでほんと読んでほしいです。
Cat in the Rain 日本語訳
Cat in the Rain 原文
私はこの期末レポートの題材としてヘミングウェイの”Cat in the Rain”を選択した。その理由は、解釈が必要とされる箇所の多さである。たしかにヘミングウェイの”Cat in the Rain”は130行程度の短い作品であり、あっさりと読んでしまえば、「雨の日の夫婦のけだるい倦怠を描いた小説」と一言で言ってしまうのも可能であり、世の大作のように、物語の展開にさまざまな起伏がみられるような、壮大なストーリーではない。しかし、この作品にはその、わずか130行程度のストーリーの間に、ヘミングウェイがちりばめた、どうしても自分の頭で考えて、解釈して、読む必要のある箇所が多数出てくるのである。またそれには、ヘミングウェイのぎりぎりまで切り詰められた文体の技法のもつ重みが感じられてくるのである。今回このレポートにおいて、私は、この作品を読んで、疑問に思った箇所とその解釈を示していきたい。
まずはじめにこの作品のタイトルである”Cat in the Rain”について考察していきたい。ヘミングウェイはこのタイトルにある、”Cat”に対して、不定冠詞も定冠詞も付けなかった。つまり、”A Cat in the Rain”や”The Cat in the Rain”というようなタイトルにあえてしなかった、ということである。
物語には、猫が二回登場してくる。初めて登場するのは、アメリカ人の妻がホテルの窓から雨に濡れまいとからだを縮めている猫を見下ろす場面である。
-The American wife stood at the window looking out. Outside right under their window a cat was crouched under one of the dripping green tables. The cat was trying to make herself so compact that she would not be dripped on. (l.20-25)
この猫をみて、妻は下に降りて、猫を連れてくることを決心する。ちなみにここで、猫の代名詞が”herself”や”she”と表現されていることについてはまた後述していく。
二度目の登場は物語最後の場面である。
-Someone knocked at the door. ‘Avanti,’ George said. He looked up from his book. In the doorway stood the maid. She held a big tortoiseshell cat pressed tight against her and swung down against her body. ’Excuse me,’ she said, ‘the padrone asked me to bring this for the Signora.’ (l.125-130)
ホテルの主人に頼まれて、メイドが妻の部屋に猫を連れてくるのである。
問題なのは、この二匹の猫がはたして、同一なのかどうか、ということである。しかし、文章中でははっきりとそのことは示さない。そこでこのヘミングウェイがつけた”Cat in the Rain”の「冠詞無きCat」なのである。もし、”A Cat”ならば、この二匹の猫は異なるものだということが、そして、”The Cat”ならば、同一の猫ということが、タイトルから明らかになってしまうのである。そこでヘミングウェイは冠詞を付けずに”Cat”と表現することによって、二匹の猫が同一なのかどうかを、読者の解釈に任せたのである。この技法は、オープンエンディングと呼ばれ、「見た人それぞれが自由に解釈することができる終わり方」のことであり、「解釈がすでに制作側から定められている」クローズエンディングと対極の位置にある。
さてそこで、この二匹の猫が同一の猫だと解釈すれば、この物語はハッピーエンドであろう。妻が探し求めたかわいそうな猫、一時は姿を失うが、好意を持つホテルの主人のはからいでもう一度再会することができたのである。しかしながら、細部をしっかり読んでいくと、ヘミングウェイはこの二匹の猫を異なるものと意図していたのではないかと考えられてくる。その理由は、後者の猫だけ異様に、注意深い描写がされていることにある。メイドが連れてきた猫はメイドの身体からぶらぶらとぶら下がるほどの大きな猫であり、アメリカ人の妻がみた、「子猫」とはかけ離れた描写がされている。もちろん妻は、
-‘I want to have a kitty to sit on my lap and purr when I stroke her’ (l.104-106)
とあるように、膝の上にのって甘える子猫を望んでいたのである。メイドが主人に頼まれて持ってきた大きな猫とは違うのである。ただし、メイドが部屋に入ってきたときには、視点は夫にあり、妻は窓から外をみている。このときに、妻に視点があり、妻の反応を描けば、ヘミングウェイの意図した「あいまいさ」がまた損なわれることになるだろう。妻の猫をみた反応というのもまた、ヘミングウェイが読者に託した解釈部分であろう。
つぎに、この物語は、登場人物の関係からも深く読んでいくことができる。
物語の冒頭文で、二人のアメリカ人の紹介をしている。ホテルに泊まっているアメリカ人は二人だけということから、どうやらこの二人は、別の国に旅行し、その国のホテルに宿泊しているということが読み取れる。周りには誰一人知り合いはいないようである。その二人は夫婦であり、その後の描写からすると、あまり仲が良いとは言えない状態である。夫は一日中ベッドの上で本を読み、妻が猫を連れに帰るために下に降りるといったときに「代わりに行こう」と言うも、それは口先だけのことで、妻が行くとなればすぐさま目線を本に移している。妻が帰ってきて、猫がいなくなったことを聞いても、反応は薄く、同情は読み取れない。妻がベッドに腰掛け、夫のそばに来ようとも、何の言動も行動もとろうとしない。そしてまた本を読み始める。その間に、妻の言動はどんどんエスカレートしていく。
-‘I wanted it so much,’ she said, ‘I don’t know why I wanted it so much. (l.83,84)
-I want to pull my hair back tight smooth… (l.103)
-I want to have a kitty to sit on my lap and purr when I stroke her. (l.105)
-And I want to eat at a table with my own silver and I want candles. And I want it to be spring and I want to brush my hair out in front of a mirror and I want a kitty and I want some new clothes. (l.108-111)
-Anyway, I want a cat. I want a cat. I want a cat now. If I can’t have a long hair or any fun, I can have a cat. (l.117-119)
このように、”want”が連続する発言が続く。妻の欲求、不満をあれやこれや述べ、特に猫への思いが強く示されている。同じ言葉が続き、こういった発言から、妻の精神的な幼稚さがうかがえる。この妻に対しての夫の対応というと、
-Yeah? (l.108)
-Oh, shut up and get something to read. (l.112)
このように、妻の言葉に対して、まともな返答をしておらず、しまいには、会話を拒否し、無視にまで至る。
夫婦であり、付き合いたてのカップルではないことから、夫は妻の精神的な幼稚さを熟知しているはずである。しかしながら、その慣れが妻の秘める感情に対する、鈍感へとつながっている。夫からは「またはじまった」程度にしか思っておらず、いつも適当にあしらわれてきた妻には、積年の思いというのが、この異国の知りあいのいない地で、孤独感となって強く表れていると感じられる。その孤独感は、冒頭の猫をみつけた場面で猫の代名詞を”herself” ,”she”と表現していることからも見受けられる。当然、ホテルの窓から、真下の猫を見下ろしているのであるから、その猫がオスなのかメスなのかは判断ができないにもかかわらず、妻は猫を
- The cat was trying to make herself so compact that she would not be dripped on. (l.25)
という文からわかるように、メスだと思い込んで発言している。この表現が示すところには、妻の猫に対する無意識的な自己投影が読み取れる。雨の中、濡れないように、テーブルの下で、縮こまっているかわいそうな猫をみたときに、孤独感というものを通して、自分と猫を重ねたのだろう。その後の妻と夫の会話における猫の代名詞は”it”となるが、その”it”は一般的な子猫を指しているのであり、具体的な状況にあるあの猫にまさに感情移入したということから、代名詞に違いを出していると考えられる。しかしながら、猫に思い入れのない人物からすると、猫の代名詞はまた違ったものになるようである。
-’Excuse me,’ she said, ‘the padrone asked me to bring this for the Signora.’ (l.130)
これは、メイドが夫婦の部屋を訪れて、主人に頼まれた通りに猫を届ける、最後の場面である。メイドは猫を”this”と呼ぶ。「主人がこれを奥様にお持ちするように頼まれましたので」というように、まるで猫を物のように扱っているように見受けられる。これは、妻の猫に対する感情移入とはまるで対照的で、猫に対する愛情、さらには、猫を届けるという仕事を果たす上での誠意も感じられない。それは、妻が雨の中猫を探しに行ったときと同様である。
-‘A cat?’ the maid laughed. ‘A cat in the rain?’ (l.63)
これは、メイドが妻に対して何を探しているのか問うたところに、猫を探しているという返答が返ってきたときのメイドの反応である。メイドの視点に立ってみると、大雨の中、傘もささずにある女性が、ホテルの外に出て、なにやらかがんであたりを見回している。明らかに、なにか大事なものでもなくさないとできない行動である。そこで、主人から傘を渡すように言われ、女性に近づき、何を探しているのか尋ねたところに、あの返答である。メイドは意表を突かれたであろう。その後すぐ、メイドは女性に対して、「もう中に入りましょう」と退却をうながすのだが、ここには「何を猫ごときでそんなに必死になっているのか」という、女性の行動にかなりの違和感を持っていると考えられる。
では、今度は主人と妻との関係について考えていきたい。
-The wife liked him. She liked the deadly serious way he received any complaints. She liked his dignity. She liked the way he wanted to serve her. She liked the way he felt about being a hotel-keeper. She liked his old, heavy face and big hands. (l.40-45)
このように、夫に対する”want”の連続と同様に”like”をここでは多用している。妻の精神的稚拙さをここでもまた印象付けているが、同時に夫と主人の対比もここからうかがえるだろう。主人の客の尊厳を尊重するような態度は、ベッドに一日中いて、妻にかまわず、本を読んでいる夫には欠落している部分である。夫と主人の対比はこの短い一節で7回も現れる”like”の表現がより明確にしている。しかし、そんな主人と妻との関係をメイドはあまり快く思っていない。主人から傘を渡すように言われ近づいてみれば、メイドにとっては全くどうでもいい事情であり、さらには、わけもわからず、重たい猫を腕にぶらさげながら、アメリカ夫婦の部屋を訪れなくてはならないのである。そういう観点からすると、メイドの仕事に対する誠意が薄いようにみえるのもうなずける話である。
要するに、”Cat in the Rain”では、130行という短い話であるにもかかわらず、登場人物全員が実際にはうまい具合に絡み合い、それぞれの心情を相乗効果で示すことに成功しており、また、タイトルの「冠詞無きCat」をはじめとする、ヘミングウェイの巧みな文体により、文量以上の濃いストーリーを読者の頭に展開させている、すばらしい文学作品なのである。