では、愛知学院大学准教授広中一成 著『七三一部隊の日中戦争:敵も味方も苦しめた細菌戦』(PHP新書;1436),PHP研究所2025年7月を批判します。
「まえがき」で「これまでの研究は日本陸軍全体からの視点、日中戦争における日本陸軍の作戦史の視点から細菌戦について分析できていなかったのだ」(4頁)と指摘します。これは、彼の結論を考察する時に重要でしょう。
さらに「まえがき」で、「なお、本書では今日差別的と見なされたり、戦争を肯定的に捉えたりするような表現は、固有名詞や引用文を除き使用を控えた。」(8頁)という意味不明の説明が出てきます。この文言は『後期日中戦争』(2冊、詳細略)にも用いられております。『傀儡政権:日中戦争、対日協力政権史』(K296),KADOKAWA2019年12月、には若干の説明がありますので、引用します。
「『支那(しな)』や『大東亜戦争(だいとうあせんそう)』など、今日差別的とみなされたり、使用が控えられたりしている用語については、一部固有名詞のみそのままとします。」(『傀儡政権』8頁)とあります。これで「今日差別的と見なされたり」は分かります。しかし「戦争を肯定的に捉えたりするような表現」は依然として分かりません。
一般に
1. 「支那」という用語は、聯合国占領下に禁止の通達が出て おります。
2. 「大東亜戦争」は侵略者がつけた侵略用語です。客観的用語でありません。
本文は、「細菌戦の口実を与えたドーリットル空襲」(154頁)や「中国軍による細菌戦」(216頁)という見出しが使われております。あたかも細菌戦を行わせたのはアメリカ軍である、また中国軍が細菌戦を行っていたと予断させますす。
ドゥーリルル(Doolittle)空爆とは、1942年4月18日に、アメリカ軍B25爆撃機が各都市に行った空爆です。一機が江西省南昌に不時着し、その俘虜を尋問して浙江省の中国飛行場に着陸する証言を得たのです。この俘虜の生死は不明です。
アメリカとの開戦4ヶ月で本土を爆撃された日本参謀本部のショックは相当なもので「浙江作戦案」が作成されます。
華中駐屯軍(「支那」派遣軍)総司令部は、これを淅贛(せっかん)作戦に変更し、杭州から南西に向かい、江西省を侵略する作戦を行おうと考えます。浙は浙江省の一字略称、贛は江西省の一字略称です。
5月14日から侵略作戦を開始します。第15師団(豊橋/京都)・第70師団(広島)が主力でした。
浙江省衢州(くしゅう)まで侵略した時、日本兵がコレラを発症し1700人以上が死亡しました。7月に七三一部隊が、ペスト菌・チフス菌・コレラ菌を空から散布したからです。
8月1日石井四郎は七三一部隊長を更迭されます。(ただし1945年3月に復職)。今一人の細菌戦当事者の「支那」派遣軍参謀井本熊男はうまくとりつくろいました。
広中の結論は、この1942年の淅贛作戦での細菌戦の意義を七三一部隊の意義とします。
「中国戦線の兵力が縮小したら、国民政府を屈服させることはさらに難しくなる。いかにして戦線を維持するか。そこで考え出されたのが細菌戦だ。実戦で細菌戦を用いれば、兵力が少なくても国民革命軍に対峙することができる。」(278頁)とします。
自軍の将兵1700人以上までを殺した細菌戦の意義を「細菌戦を用いれば、兵力が少なくても国民革命軍に対峙することができる」といいます。ここに異議を見い出すとは、石井四郎と同じ論理です。石井と共に倫理観のなさを広中に見い出します。
「窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」が制定されたのは、第一次世界大戦での悲惨な犠牲を出さないためでした。 細菌戦は、散布された住民ばかりでなく、日本軍の兵士まで殺された無差別戦争だからいけないのです。今までの研究者が、戦争中の意義を考えなかったのは、何も忘れていた訳ではありません。今までの研究者は、細菌戦そのものが否定されるべきと考えています。
以下は、「ソ連、中国軍、八路軍も細菌戦を行っていた」という恐るべき言質が有りますので批判します。
1. 広中は、「日中戦争を前にこのとき満洲では、ソ連による細菌戦が始まっていたのだ」(48頁)と断定しています。彼が引用した常石敬一『標的•イシイ』にそのような文章はありません。広中の断定です。恐ろしいことです。
2. 広中は、「中国軍の一部が上海の戦場から撤退する際、コレラ菌をいくつかの井戸に投げ入れ、住民を巻き込んで感染を広げたという(支那派遣軍化学戦教育隊「敵軍毒瓦斯(細菌ヲ含ム)使用調査」『十五年戦争極秘資料集 補巻一、毒ガス戦教育関係資料』所収)。これが事実であれば、中国軍も細菌を兵器として兵器として使用しており、その攻撃によって日本兵は上海の戦線で苦しめられていたことになる。」(61頁)としています。
歴史修正主義者=歴史改竄主義者=歴史否定者は、日本以外に細菌戦を中国軍もやっていたのか? と疑問を持たせれば、なかば成功です。巧みに仮定の話しとしていますが、断定に近い文章です。
3. 小節見出しを「中国軍による細菌戦」として広中は、「中国軍の細菌戦と思しき事例がいくつか示されている」と再び「敵軍毒瓦斯(細菌ヲ含ム)使用調査」(『十五年戦争極秘資料集 補巻一)を用い、1938年7月14日の河南省開封、1938年8月6日河北省石家荘をあげています。(219頁、220頁)
しかし、開封は6月6日に日本軍第14師団(宇都宮)が占領し、6月15日に偽開封市維持会が成立しています。石家荘は既に1937年10月に偽臨時政府に占領されています。中国軍が入ることはできません。
つまり歴史修正主義者=歴史改竄主義者=歴史否定者は、何度も虚偽を繰り返すことによって、偽りを事実と思わせるのです。恐ろしい行為です。
4. 広中は、「ちなみに四一年七月二十一日の『朝日新聞』が報じたところによると、同月十日、山東省で八路軍が、敵対していた国民革命軍第七路軍八〇〇人に向けて細菌戦を仕掛け、約半数を罹患させたという。この記事の内容が事実かどうかは、裏づける史料や証言が乏しく不明だ。また、八路軍が戦時中に細菌戦を実行したのかということも、これまで学術的に検討されたことがなく、日中戦争史における今後の新たな研究課題となろう。」(241頁)としています。事実が分からないにもかかわらず、このような事をいうのは歴史研究者の態度ではありません。
この七路軍は存在しません。胡博、王戡編编著『抗日戦争時期国民党陸軍通覧』、北京:中国文史出版社,2019年12月。は、49頁で「陸軍第7路軍,番号欠番」(原文中文)と記載しております。新聞記事が虚偽を書いているのです。歴史研究者が事実の確認もしないまま、多くの人の読む図書を書くのは間違いです。
歴史修正主義者=歴史改竄主義者=歴史否定者は、虚偽を掲載するのです。これは、歴史学の本筋から離れています。
(文中敬称略)
