「長期持久の戦時態勢」ー1938年6月23日ー

 

         帝国議会は1938年4月1日、近衛文麿内閣が提案した国家総動員法を可決した。5月5日に施行され、これ以降は内閣の閣議決定だけで昭和天皇の勅命を受けることが可能になった。

         近衛文麿内閣は長期持久の戦時態勢について声明を出し、五相会議(内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣)で以下の決定をした。

        (文章は「支那」と関連する用語はすべて中国とした。根拠は1946年6月13日外務省通達および梁啓超「中国史序論」。)

〔書誌:堀場一雄 著 / 支那事変戦争指導史 / 1962年9月 / 東京:時事通信社、第一期・戦略期間、第六章  漢口作戦前後(1938年6月-11月)、173-177頁〕

 

 1   今後の中国事変指導方針

(6月24日)

(1)    中国事変の直接解決に国力を集中指向し     概ね本年中に戦争目的を達成することを前提とし    内外諸般の施策をして総て之に即応せしむ

(2)    第三国の友好的橋渡しは条件次第にて之を受諾するを妨げず

 

 2  中国現中央政府屈伏の場合の対策

 

(7月8日)

 

  第一  方針         ​​​​​​

 

(1)  中国事変の直接解決に国力を集中指向し概ね本年中に戦争目的を達成することを前提とし内外諸般の施策をして総て之に即応せしむ

(2)  第三国の友好的橋渡しは条件次第にて之を受諾するを妨げず

  第ニ  要領

(1)    帝国は事変解決に関する既定方針を堅持し    中国現中央政府を相手として日華全面的関係の調整を行ふことなし

(2)    中国現中央政府にして屈伏し    且後述第3の条件を受諾したるときは    之を友好一政権として認め    既成新興中国中央政権の傘下に合流せしむるか    又は既存の親日諸政権と協力して新に中央政権を樹立せしむ

         既成新中央政権との合流新中央政権の樹立等は    主として中国側をして行はしむるも    帝国之を内面的斡旋す

 

  第三  中国現中央政府屈伏の認定条件

(1)   合流若くは新中央政権樹立に参加すること

(2)    右に伴ふ旧国民政府の改称及改組

(3)    抗日容共政策の放棄及親日「満」防共政策の採用

(4)    蔣介石の下野

 

  第四  停戦

         中国現中央政府の屈伏の事実を認定し得るにあらざれば停戦等は議せず

         但し停戦を議する場合に於ては其条件は別に考究す

         (註)  対手にせずの対象を、蔣介石個人に限定して国民政府を解放し、新中央政権の概念中に之を包含し、而して政権問題は中国側に委するの主義とす。是第一次緩和の努力なり。要領(1)及認定条件(2)(4)等は硬直論の交錯なり。

 

 3  中国現中央政府にして屈伏せざる場合の対策

(7月8日)

 

  第一  方針

         帝国は愈々国力を統合し    作戦、内政、外交、経済、謀略、宣伝等国家一切の努力を挙げて    中国現中央政府の潰滅若くは屈伏に集中すると共に    長期戦に応ずる現下必須の諸政策を強化し    以て形而上下を通じ真に戦時態勢を実現せしむ

 

  第二  要領

(1)    要衝占拠迄の対策

イ    中国の大勢を制するに足る要衝の占拠を目標とし    努めて間隙なからしむる如く積極作戦を指向し    連続せる敗戦感殊に其中原喪失に依り    中国現中央政府の自壊作用と継戦意志の放棄とを誘導す

ロ    作戦の進展に伴ひ    政治、経済、外交、思想等の各般に亘り益々謀略を強化して    親日反共諸勢力の助成に努むると共に抗日勢力内部の切り崩しと和平気分の醸成及財政経済基礎の破綻を策し    以て成るべく速に中国現中央政府の分裂崩壊少くも其局地政権への転落を期す

        右施策は帝国自ら行ふ外特に裏面的に親日中国諸政権其他を指導して之を行はしむ

ハ    親日諸政権を拡大強化すると共に成るべく速に是等政権を集大成して一政権に統合せしめ    真に中国中央政府たるの実を挙げしめ     以て内外をして現実に中国現中央政府に代る新政権として認めざるを得ざるに至らしむ

         帝国の新中央政権承認は一に当時の情勢に依るも    該政権が中央政府の実を備ふるに至らばなるべく速に行ふ

ニ    列国の権益は努めて之を尊重し好んで彼等と事を構ふるが如き態度は避くるも    強力明快なる事変処理の断行に依り

     列国をして我対支政策を事実上了得せしめ    彼等の既得権益の保持増進上自ら我態度を支持するの已むを得ざるに至らしめ    以て中国現中央政府の孤立化を策す

 

(2)  要衝占拠後の対策

        要衝を占拠するも中国現中央政府にして尚屈伏せざるときは    帝国は爾後直接武力による早急なる事変解決に焦慮することなく    益々新中央政権の拡大強化を促進すると共に    政治、外交、経済、思想的に中国現中央政府を愈々圧縮する等    主として政略、謀略の運営により中国現中央政府の潰滅を計る

 

(3)  実行の方法に就ては別に策定す

        (註)   新中央政権は、其の実を備ふることを以て先決条件たらしめ、急進論を抑制す。

 

 4  差当りの対英外交方針

(7月8日)

 

(1)    英国に対しては彼の援蔣政策を放棄せしむる為先づ帝国の公正なる態度を事実上の上に諒解せしむるを要す

(2)    従来の懸案に就ては具体的に調査の上前方針に基き逐次之を速に処理す

(註)   7月12日英独大使の和平斡旋申込に対する態度として、五省会議に於て

              英大使  一応娩曲に断はる然し手は切らぬ(誠意が認められぬ故暫く静観する)

              独大使  一応話を聞き取る

と決定せるものの如し。(長年月後外務省に於て文書発見)

 

          本件に就き当時戦争指導当局は全然関知する所なし。トラウトマン交渉に懲りて統帥部を除外したるものなりや、或は徐州戦果を満喫し漢口作戦を前にし直接交渉に執着せるや、或は真剣に努力せしも奏効せざりしや、之を詳にせず。

 

 

 

 5  時局に伴う華謀略

(7月12日)

 

  方針

         敵の抗戦能力を崩壊せしむると共に中国現中央政府を倒壊し又は蔣介石を失脚せしむる為現に実行しある計画を更に強化す

         其の要綱左の如し

 

  要領

(1)    中国一流人物を起用して中国現中央政府並中国民衆の抗戦意識を弱化せしむると共に    誰固なる新興政権成立の気運を醸成す

(2)    雑軍の懐柔帰服工作を促進して    敵戦力の分裂弱化を図る

(3)  反蔣系実力派を利用操縦して    敵中に反蔣、反共、反戦政府を樹立せしむ

(4)  回教工作を推進し    西北地方に回教徒に依る防共地帯を設定す

(5)  法幣の崩落を図り    中国の在外資金を取得すること等に依り    中国現中央政府を財政的に自滅せしむ

(6)  右諸工作の遂行を容易ならしむる為所要の謀略宣伝を行ふ

備考=要領(5)に対しては尚研究を継続す

 

 6  中国新中央政府樹立指導方策

(7月15日)

 

  第一  方針

(1)    中国新中央政府は単に今次事変処理に関する中国側当事者たるに止まらしむることなく日華の国交を過去一切の相剋より脱却して大衆的見地に於て善隣たるの基礎を確立せしむる為の中国国政府たらしむ

(2)    中国新中央政府の樹立は主として中国側をして行はしむるも帝国之を内面的に斡旋し其の政治形態は分治合作主義を採用す

 

  第二  樹立要領

(1)    成るべく速に先づ臨時及維新両政府協力して聯合委員会を樹立し次で蒙疆聯合委員会を之に聯合せしむ

爾後右諸政権は逐次諸勢力を吸収又は此等と協力して真の中央政府を聚大成せしむ

(2)    漢口陥落し蔣政権が一地方政権に転落するか若くは蔣下野、現中央政府改組の事態生起する迄新中央政府を樹立せず

(3)    漢口陥落後蔣政権に分裂改組等を見ざる場合既成政権を以て新中央政府を樹立す

(4)    蔣政権に分裂、改組等を見親日政権出現したる場合之を中央政府組織の一分子となし中央政府樹立に進む

(5)    新中央政府承認の時機は    (4)項の改組(分裂)政権にして  停戦の担当老たり得たる場合    若くは(3)項統一政権が中央政府たるの実を備ふるに至りたる場合と予定す

(6)  国新中央政府樹立工作に伴ふ日華関係の調整は    左記に準拠す    其具体的事項は別に定む

 

1      新日支関係設定の為調整、締約せらるべき基礎事項概ね左の如し

(イ)   華北資源利用開発

(ロ)   華北及長江下流地域に於ける日華強度結合地帯の設定

          蒙疆地方の対ソ特殊地位の設定

          華南沿岸諸島に於ける特殊地位の設定

(ハ)   互恵を基調とする日「満」華一般提携就中善隣友好、防共共同防衛、経済提携原則の設定

        以上の目的を達成する為所要の期間帝国の内面指導を行ふ

 

2    内面指導の為の基準、別紙「中国政権内面指導大綱」の如し

 

  第三  聯合委員会の機構及組織

        臨時、維新両政府及蒙疆聯合委員会より成る聯合委員会(以下聯合委員会と称す)の機構概ね左の如し

1   聯合委員会は臨時、維新両政府及蒙疆聯合委員会の代表者を以て組織する簡素なる委員制とし    差当り北京に置く

2   各地方政権の境界は    差当り概ね現在の儘とす

3   華北、華中、蒙疆等の各地方政権には    各其特殊性に即応する広汎なる自治を行はしむ

4   聯合委員会及地方政権の権限は    前項の趣旨に基き別に研究するも    交通、通信、郵務、金融、海関、統税、塩税、文教及思想対策等の共通事項に関しては    聯合委員会の所要の統制下に    地方政権をして行はしむるものとす

5   治安維持に関しては聯合委員会統制の下に    地方政権之に当る

6   外交に関しては当分の間共通外交事項は聯合委員会の権限とし    局地的関係事項は各地方政権をして処理せしむ

         (註)  新中央政権の資格及時期を厳格にして急進論の軽挙を戒め、且国民政府進出の機会を可及的増大せしむ。

        樹立要領㈹調整締約の基礎事項は、日支新関係調整方針より転掲せしむ。

        分治合作主義、聯合委員会等は硬直急進派の主張とす。

 

 7  中国政権内面指導大綱

(7月19日)

 

  方針

       帝国の中国政権内面指導の目標は現事変の解決に稗益すると共に    日華両民族の提携を促進し日「満」両国の不可分的善隣関係の確立と相侯ち    我国防国策に投合するにあり

         之が為抗日思想瀰漫せる現状に対しては    威力を背景として局面を打開するとともに    国民経済を向上して人心を収攬し    東洋文化を復活して指導精神を確立し    恩威併せ用ひて    一般漢民族の自発的協力を促すものとす

 

  第一  軍事

(1)    中国軍の投降を促進して之を懐柔帰順せしむると共に    其反蔣反共意識を暢達して新政権を支持し    成るべく多数の中国軍を以て抗日容共軍潰滅の為   日本軍に協力せしむる如く努め    以て民族的相剋を主義的対立に誘導す

(2)    我占領地の海港及鉄道水路交通の要衝並主要資源の所在地等必要の地点に所要の日本軍を駐屯し     僻陬地方には中国武装団体を組織して治安の確保に当らしむ

         其兵力量は各地の実情に適合せしむる如く決定するものとす

(3)    防共軍事同盟を締結して日本軍の指導下に漸次軍隊を改編し情勢之を許すに至れば国防上必要なる最少限度に裁兵す

 

  第二  政治及外交

(1)    聯合委員会若くは新中央政府の下に華北、華中、蒙疆等各地域毎に其特殊性に即応する地方政権を組織し    広汎なる自治権を与へて分治合作を行はしむ

(2)    諸政権の首脳者以下官吏は中国人とするも    枢要の位置には所要に応じ少数の日本人顧問を配置し    或は日本人官吏を招聘せしめ以て内面指導を容易ならしむ

(3)    諸政権をして抗日容共政権の打倒崩壊に努力し    特に反蔣反共分子を招撫して    彼等の内訂を激発せしむる如く工作せしむ

(4)    外交は概ね帝国の外交方針に追随し  防共協定を締結せしむ

 

  第三  経済、交通及救済

(1)    経済及交通の開発は日「満」華三国国防の確立に資すると共に    三国経済の発展並に民衆の厚生に遺憾なからしむ    特に所要の交通は帝国之を実質的に把握し就華中華北に於ては国防上の要求を第一義とし    華中、華南に於ては一般民衆の利害を特に考慮するものとす

(2)    経済は日「満」華有無相通の原則に従て開発し三国経済圏の完成に遽進す     但し第三国の既得の権益を尊重し    或は経済開発に参加せしむることを妨げざるものとす

(3)    鉄道、水運、航空、通信は実質的に帝国の勢力下に把握し    軍事行動遂行に遺憾なからしむると共に    民衆の厚生に寄与せしむ

(4)    在来の資本閥を利導し諸政権の政策に協力せしむ

(5)    農事を振興し治水、土木を興して一般民衆の生活を向上し    特に事変中は差当り食糧の分配を円滑ならしむることを以て急務となし    次で復興を主眼とする所要の救済事業を行ふ

 

  第四  文化、宗教及教育

(1)    漢民族固有の文化就中日華共通の文化を尊重して東洋精神文明を復活し    抗日的言論を徹底禁圧し日華提携を促進す

(2)    諸政権の政策遂行の為日支提携実現の基調たるべき主義を確立し、又本主義の温床たらしめんが為民衆団体の組織を強化促進す

(3)    共産党は絶対之を排撃し    国民党は三民主義を修正して漸次新政権の政策に順応するものたらしむ

(4)    宗教は日「満」華提携の促進を阻害せざる限り信仰の自由を許容す

(5)    学者を招撫して之を保護し    且儒教を振興す

(6)    実用科学を振興して産業開発を容易ならしむ

        (註)  裁兵、分治合作、交通把握、三民主義修正等何れも大なる事変処理上の障碍累積しあるを観るべし。