ファシスト的公共性 : 総力戦体制のメディア学 / 佐藤卓己 著 / 2018年4月 / 岩波書店 である。彼はもともと歴史学徒であったが同志社大学文学部社会学科に着任し、歴史社会学的な比較研究に方向転換した。戦中から戦後のプロパガンダ(宣伝)に始まるメディア学である。

 だいたい「ファシスト的公共性」とは何かから始まり、彼独自の概念形成が多数あるのでそれを理解しながら読み進まなければいけない。

 

まずファシスト的公共性。

1. 「公共性」とは輿論/世論を生み出す社会関係である。世論を生み出す構造を、ファシズムにおいてこそ十分に考察できる。

2. ラヂオを利用した「ニューディール政策」も「アメリカン=ファシズム」と考えてよい。アメリカナイズされた「戦後日本」にもファシスト的世論作りの学習効果を十分に確認できる。

 

3. 今の時代は普通選挙権の平等に基礎を置く大衆民主主義の時代である。ヒトラー支持者にも彼らなりの民主主義があった。何を決めたかよりも決定プロセスに参加したと感じる度合いが決定的に重要であった。ヒトラーは大衆に「黙れ」といったのでなく「叫べ」と言ったのである(6頁)。

街頭でファシストとその支持者は自らを「正義」を疑うことはなかっただろう。

 

4. だから議会政治が真に民衆の輿論/世論を反映していないと同じように、無産大衆の運動も厳密には無産運動指導者衆の運動であって無産大衆の輿論/世論を表したものではない。

 

5. 現在は「フェイク=ニュース」であり「ポスト真実」である。「ポスト真実」とは、「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があるような状況」と定義される。トランプのTwitterを見ればよく分かる。

「ファシズム前夜」の危機が見られる。

日本では既に1940年「戦争ニュースは欺く」で「懐疑心」の重要性が説かれている。プロパガンダ(宣伝=マスコミと同義)による自国民の戦意高揚と敵国大衆の意気阻喪なくして、現代戦は遂行できない。

 

6. 次いで、ヘレニズムを教えていただいた恩師の一人大戸千之先生文献の引用がされ、「歴史家が提示する「事実」とは、史料=情報の伝えるところにもとづいて再構築された「説明」にすぎず、事実そのものではない」と指摘する。

この原点から歴史学は学問たりえる。

 

8. つまり、新聞に歴史学の論文レベルでの正確さを求めるべきではない。

現在の「慰安婦問題」とは保守系メディアによって課題設定ものであり、日本国内においてはリベラル派の言論活動に対する保守派の攻勢防御として機能していた(24頁)。

 

9. いよいよ佐藤氏の結論である。メディア史的思考において最重要な課題は、短期的、直接的な効果ではなく、文化再生産を可能にする持続的、遅延的効果に向き合うことである。だが、現代社会の基軸メディアは最強の即時報酬的メディアであるインターネットである。遅延報酬を特徴とする営みの典型は教育活動である。テレビCMのように明日の収益には直結しないが、

20年後の成果を信じる営みこそが教育なのである。

そもそも遅延報酬的な営み、つまり教育が期待できない場所には未来もない。