(グルジアがジョージアになっていないことをお許しください)

ではアルメニア人を知ろう。自らをհայ(ハイ)という。紀元301年に世界で初めてキリスト教を国教とした。12世紀に自らの王国を滅ぼされると、全世界に飛散し商業活動に徹した。各地の領内で独自のコミュニティーを形成し、これを結ぶ形で商業網が作られた。ユーラシア東方では、インド,東南アジアへの進出が強くムンバイ,コシコーデ,コルカタ,ヤンゴン,メラカ,香港に拠点を持っていた。

 

同じように、ソグディアナを故郷とするソグド人

(現在のウズベキスタンの地図にソグディアナを記入)

はイラン系で、アラル海から東南のアム川,シル川流域のオアシス諸都市に住み、ゾロアスター教を信仰した。アケメネス朝ペルシア文献にも出てくる。

ソグド人はアルメニア人の活躍以前の3世紀から8世紀にユーラシア東方で、商業の民として大小さまざまなソグド人居住地を形成した。拓跋(tuòbá)国家(北朝~唐)時代に突厥(türk)と同化し、「ソグド突厥」と呼ばれるに至った。

その中に安禄山(ān lùshān)もいた。

(百度)

多言語使用者である。幽州(現在の北京市南東)の節度使となった。節度使は藩鎮とも呼ばれた。後に軍閥と言われる。これを高校世界史教師は良く分かっていない。

玄宗李隆基(xuánzōng lǐlóngjī, 在位712-756年)は募兵制に転換していく。玄宗から寵愛を受けた安禄山は、皇帝からの莫大な贈与と共にソグド人商人集団の元締めの存在となり、軍事集団を養う資金を得た。

(同書52頁)

755年蜂起し、10万人を超える大軍団で洛陽を陥落させる。高校世界史では、玄宗は四川に逃げたとするが、重要なことは、756年粛宗李亨(sùzōng lǐhēng)が霊武(língwǔ)で即位したことである。時代は変わった。もっとも安禄山の乱自体は内紛と、ウイグル(回紇、huígŭ:türk語:uyyur)の二代目可汗になる磨延啜(Mó yánchuài )の、粛宗によって求められた唐支援によって鎮圧された。

ここにウイグルが歴史に登場する。モンゴル高原北部のバイカル湖に向かって流れるセレンゲ河とその支流オルホン河にバイ=バリク(bay baliq)、オルド=バリク(ordu baliq)などの城鎮を建設している。ソグド人と漢人を住まわせた。
(James A. Glazier - http://en.wikipedia.org/wiki/File:Ordu-baliq.jpg によるオルド=バリク)
マニ教(3世紀のサーサーン朝ペルシア期にマニによって創始された善悪二元論,禁欲主義,偶像否定を特徴とする)僧を唐から連れて帰り、マニ教を国教とした。世界史上唯一のマニ教国教の国となった。
809年に迴紇/回紇から迴鶻/回鶻に改称している。しかし長く続かず、840年türk系部族キルギスに滅ぼされる。西へ逃げた。ソグディアナはtürk化し、ソグド人は多数の遊牧民,漢族と同化し、10世紀には姿を失う。
(同書59頁)
カルルクはtürk系。南詔はチベット系。
チベットとこの書はいうが、高校世界史では吐蕃(tǔbō)という。ソンツェン ガンポ(songzain gambo)が建国した。河西回廊[涼州(地図上の武威),甘州,粛州,沙州(地図上の敦煌)]を支配できたのは、軍事力による。しかし842年に王朝分裂が起こり、以後統一王朝はチベット高原から消え去る。
875年の黄巣(huángcháo)の乱後、唐も呈を無くし、藩鎮による分裂時代に陥る。