阿片戦争 : 新装版 ; 1-4 / 陳舜臣 著 / (講談社文庫) / 2015年9-11月 / 初版は1973年

 

最初に陳舜臣の中国語に打つルビについて言っておく。満語はカタカナ、漢語はひらがなと言うが、全くの思い付きでひらがな,カタカナのルビを打っている。1973年出版で、後続の著作がなく、しかも小説であるから好きにルビを打っているのだろう。穆彰阿にムチャンアとルビを打つがこれは漢語の読みで(mùzhāng’ā)と発音する。満語だと(mujangga,ムジャンガのルビが正しい)。が読者諸氏には、ルビ通りでよろしい。
 
さて穆彰阿機大臣。軍機大臣は明の内閣大学士の上にいる清の最高首脳。
(軍機処=乾清宮(内宮)の外、乾清門のすぐ西にある。)
(文淵閣=大和殿(政務の間)のすぐ東にある。2015年時には立ち入り禁止であった。内閣大学士の執務室。現在は書庫である。)
 
穆彰阿一派の琦善(qishàn=満人)が林则徐(línzéxú)に変わって欽差大臣になった。忘れてはいけない。ここから鴉片戦争は始まる。
 
1840年、澳门沖に天津,舟山から戻ったイギリス艦隊は、留守艦隊と合流し、九龙半島銅鼓湾(銅鼓湾は埋立てられ現在はない。太子湾内にあった)に集結し、川鼻炮台とクイーン号との小競り合いがあった。
1841年1月7日、道光帝に琦善は、イギリスが香港島の割譲を求めたことを奏上した。
(現在の香港島=尖沙咀にて)
 
いよいよ第二の香港史が始まるのである。第一は九龙における商船団の沿岸村民の交易であったが、今回は領土割譲というイギリスの侵略であった。
 
1841年1月30日、外交官エリオットは布告を出している。
ーー天朝(清)およびイギリス政府双方の高級官員の明白に訂定せる正式協定によって、香港島は現在すでにイギリス女王陛下の領土の一部分となった。香港に居住するすべての人民は、すべからく自分たちが現在はイギリス女王陛下の臣民であることを了解せよ。よって、女王陛下および女王陛下の官吏にたいして、かならず責を尽し、服従せねばならない。女王陛下の御慈悲によって、香港居民は保護せられ、一切の敵人の侵害を免がらしめ、各自の宗教儀式、礼法、社会習慣を実行し、合法財産および利益を享有する自由を保障される。……本政府の決定は、随時に、別途告示をもって公布する。各村の村長は、住民をして政府の命令を尊重し、服従せしめるよう責任を負わねばならない!
ここに香港島はイギリス領と勝手に宣言された。
3月に入ると、鴉片はイギリスが勝手に支配した香港島で容易に入手できるようになった。
 
この後、鴉片戦争は、寧波,鎮江などで激しく闘
(焦山炮台=镇江にて)
われるが、香港での鴉片貿易の自由化で、香港史の概略とする。