旭川電気軌道の保存車2両~モハ101とモハ1001~ | 北海道限定の鉄道ブログ

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旭川電気軌道ってご存じでしょうか。

 

 今の時代に、この鉄道の知名度ってどれくらいなんでしょうね…。私もこの鉄道を知ったのは、とある廃線・未成線地図を読んだ際だったと思います。

 

 鉄道は既に全線で廃線となっている旭川の鉄道です。でも旭川の方にはなじみ深い…と思います。というのもの、旭川市内で一番のバス会社となっているのです。北海道外にもあるかもですが、北海道ではこういう「鉄道会社名のバス会社」がいくつかあります。

 

とはいえ、今回の本題は「旭川電気軌道」の本来の鉄道線について。

現在の旭川は、函館線・富良野線・宗谷線・石北線の2線のJR線のみですが、昔はこのほかに、路面電車である旭川市街軌道と、一部併用軌道とは言え、大体は専用軌道となる旭川電気軌道の2種類の鉄道がありました。

 

 そのうちの旭川電気軌道は、会社名からもある通り、北海道では珍しい(+現存は無い)の電化されている私有鉄道の一つでした。路線は、国鉄(JR)旭川四条駅のあたりから、東川町の中心部までを結ぶ系統と、旭山動物園のある旭山公園までを結ぶ系統の2系統がありました。

 今も残っていれば…と思える線路ではありますが、それでも赤字になるんでしょうね…(-_-;)

 

 東川町の農産物を国鉄線まで届けたり、他のエリアで取れた石炭を沿線に送るなど、旅客以外も行う路線でしたが、時代が時台ゆえか、1960年台あたりから沿線住民により反対運動があったようで、最終的に代替輸送の準備が整ったことで、1972年に廃線となっています。

 軌道状態があまりよくなく、加えて併用軌道区間があったこともあり、沿線住民としては乗らない電車がただただうるさかったんですかね…。あとは、既にマイカーが主流となっていった時代でもあるため、車の運転にも邪魔だったのかもしれません。

 

通勤通学時間帯は2両、それ以外の時間は1両の電車が走っていたそうです。

 

そんな旭川電気軌道線は、廃線跡はほぼ無いはずです。残っていれば短い橋が1つ残っているらしいのと、東川線の終点、東川駅跡くらいでしょうか?

東川駅跡には、記念碑とホーム跡と思われる構造物がちゃんと残っています。

 

一方で、車両はなんと2両も残っています。廃線となった線路の保存車としては珍しく、いずれも廃線跡の線路上への保存ではなく、別の場所への保存のようです。

 

① モハ1001 ~旭川市東旭川公民館前~

こんな感じで、ホーム上に止まる電車!という感じで保存されています。

 

…が、この駅はあくまで保存時に作製されたもの?のようで、線路もここが廃線跡というわけではないようです。モハ1001は、旭川電気軌道で一番新しい車両…ではないですが、最も性能の高い車両だったようです。地図を見る限り、石北本線の東旭川駅から歩けそうな距離。

 

 モハ1000形は1両だけの製造です。この手の車両は他の私鉄にも同型存在しそうですが、どうなんでしょうね…?屋外の保存で、屋根もついてないですが、塗り直しを何回かしているのか、文字を含めてきれいに残っています。ちょっと意外だったのが検査表記。国鉄-JRで使用されているような検査表記があります。「旭川電気軌道工場」でしょうか、自社工場の検査表記があるのはちょっと新鮮です。

 

こちらの車両、中に入ることはできませんでしたが、様子は見てみました。車内のシートモケットの一部が破れていましたが、全体的には悪くない保存状態。運転台は、路面電車としてみると立派な感じで、私鉄電車としてみると質素、といった感じでしょうか。旭川電気軌道の路線形態をよく示した運転台だな、と思います。

 

パンタグラフもひし形の大きいものが乗っています。北海道だと私鉄電車か、485系くらいでしか使われてなかったので、こちらも北海道では珍しいパーツの一つです。(711系・781系以降は下枠交差式、最近はシングルアームのみです)

 

 反対側です。こちらも表記を含めてしっかり残っています。そういえば連結器が自連ではなく、密自連ですね。旭川電気軌道の電車は、旅客電車ですが時には人を乗せながら後ろに貨車を繋げて牽引することもあり、連結回数の多さから密着自動連結器を選択したのかもしれません。

 

 旭川電気軌道のは、併用軌道の区間があるために、市電と呼ばれたり電車と呼ばれたり、様々ですが、少なくともドアの高さは「(路面電車ではない)電車」といった感じで、この路線の駅は、すべて国鉄線と同じように高いホームが設置されていたようです。

 

つづいては…

② モハ101 ~東川町郷土館~

こちらは東川町の中心部にあります。東川駅跡と一緒に見るのがいいですね。公共交通機関で行く場合は、やはり「旭川電気軌道」で終点?まで行くのがよさそうです。

 

というわけで、旭川郷土館です。もともと、東川町の役場として使われていた建物だそうです。…と、車両が見当たりません。ツアー案内人に「この建物の中に入ってる」って言われましたが、何を言っているのでしょう?こんなレトロな建物の中に鉄道車両が入るわけないじゃないですか~?

 

 本当にいました。こちらはモハ100型のトップナンバー。モハ101です。旭川電気軌道は、1949年に車庫が火事になり、1両を残して火事で全滅しています。そこから、緊急で運転を再開するために製造されたのが、こちらもモハ100形ということみたいです。3両が製造されています。

 

 wikiさんを見る限り、それまでは(自社製造7両・名古屋からの中古納入3両)0番台の10両が使用されていたようですが、1949年以降は、モハ100型3両と、復旧車・2両、ごり押しとも思える客車改造付属車が2両?に、生き残った1両を合わせた9両で運用を回していたっぽいです。

 

最終的には、さきほどのモハ1001や、最終製造となった(中古車改造?)モハ501を合わせて

 

・モハ101/102/103 ←実質新造車

・モハ1001 ←新造車

・モハ501 ← 中古改造車っぽいが…?

と、おそらく使われていた

・コハ051(通勤通学帯の付属車 => 予備車?) ← 元キハ05形

 

合わせて6両で運用を回していたようです。ちなみに火災を逃れた0番台の20は工事用車両として現存していたとのこと。

 

屋内に保存されているモハ101は、車内も入ることが出来ます。電気もついているうえ、なんと1972年当時?の広告も一部残っており、当時の雰囲気を味わうことが出来ます。

 

運転台は片側のみ入ることが出来ました。ノッチは路面電車のものに近いですね。計器も必要最低限なのか、2つしかありません。このあたり、モハ1001よりも路面電車っぽい運転台な気がします。ワンマン運転を行ってはいないと思いますが、この構造ならワンマン化もできそうですね←

 

モハ101は、モハ1001同様にパンタグラフが設置されていますが、逆側には"トロリーポール"という旧来の架線集電設備も残っています。これは、旭川にある車庫の形状がパンタグラフだと接触する構造となっていたためのようです。車庫の出入りの間だけ、このトロリーポールを使っていたようですね。

 

 

というわけで、長々とお送りしました。モハ101は室内にあるため、非常にいい状態で残っていますが、逆に言うと室内なので鉄道写真としては、近すぎるためにほぼ撮れません。超広角のカメラの用意をお勧めいたします。

 

 

というわけで、以上になります。

この後は、富良野エリアをめぐっていきます。

 

ではまた次回です~(*‘ω‘ *)