1953年のリーに会いたい
1953年の1月、あなたは何処でなにをしていましたか?
生まれてなーい。
もちろんそうでしょう。私もそうです。(違っていたらごめんなさい)
その時、ミューヨークのアルトサックス奏者、リー・コニッツは
西海岸に行っていたのです。
<コニッツ・ミーツ・マリガン>
これすごい演奏ですよ。
そもそもリー・コニッツってどうなの?
って言われることが多いモダンの隠れジャイアントの一人。
特に日本では、僕の周りでは好きだって人、一人も会ったことが無い。
かくいう僕も、聴いてなかったんだけど昔ブログで書いたことがあるように
聴けば聴くほどすごい人なんですよ。
そしてついに究極の食わず嫌いを克服した。
そのアルバムがこれ。
コニッツの前にあっては、ホスト側のバリトンサックス、ジェリー・マリガンや
トランペットのチェット・ベイカーという有名な二人も
刺身のつまみたいなもんですよ。本当に。
特に一曲目「トゥー・マーヴェラス・フォー・ワーズ」から
六曲目「バーニーズ・チューン」までの六曲は、
リー・コニッツの最高傑作といってよい。
いや、リー・コニッツのというよりも、
1953年においての、ジャズアルト界での最高傑作なんじゃないかな。
1953年と言えば、まだまだパーカーが健在とは言えないけど活動しているし、
ということは、ジャズ界のアルトはパーカーとの勝負になるわけ。
パーカー派は、スティットにしてもマクリーンにしても、パーカーに敵うわけないし
そのパーカーよりもすごいんじゃないと思わせるほどの迫力。
パーカーは自分の真似にはうんざりしていたが、リー・コニッツのことは
ほめていたんだよね。
二曲目パーカー因縁の曲「ラヴァー・マン」は、この曲の最高傑作との誉れが高い。
リーが生涯に及んでアドリブに好んだ曲「オール・ザ・シングス・ユー・アー」も入っている。
この1953年当時のモダンアルト界は、99%のパーカー派と
1%のリー・コニッツ派に分かれるね。(当社比)
なにせ、リーは1949年にはマイルス・デイヴィスたちと「クールの誕生」を
発表している時代の最先端を行っていた、ポスト・パーカーの旗手なのだから。
リー派には、50年代半ばから活躍し始める、同じスタン・ケントン楽団出身の
アート・ペッパーやレニー・ニーハウスなど。
マイルスとソーラーを吹き込んだデイブ・シルドクラウトなんて人もいる。
さすがオリジナル、リー。
「コニッツ・ミーツ・マリガン」では、
リーのコピーとは言わないけど、先行者リーの影響を受けたであろう人たちとは
根本的に違う名刀のような切れ味を聴くことができる。
驚くべきは、この演奏が「ヘイグ」って店のライブ録音だってこと。
決してストック・フレーズは吹かないと言った(インタビューで)
妖しいまでのリーのアドリブの冴えは、この六曲に凝縮している。
すごいね、リー。