こんにちは、MAYAです。
42歳の第二子不妊10年
→突然の自然妊娠!
2020年7月17日、次女を出産♡
↓
出産レポを
つづっています!
*多少エグい内容も出ますので
苦手な方はご注意ください。
▷午後2時
再びドクターがやってきて
子宮口を確認した。
「3センチ」
そして、彼女はいった。
「陣痛促進剤を使いましょう」
使う予定は
もともとなかったそれは
危ないものではない
と知っていた。
ドクターに任せよう
最良の判断と信じることが
私にできる唯一のこと。
陣痛促進剤の点滴が始まり
右手にチクリと注射がうたれ
わたしのからだに管が通った。
これ以降は
トイレも行けない。
▷午後3時
大きな大きな波のような陣痛が
頻繁に起こるようになる。
2分ごとくらいの間隔だ。
その激しさと比例するように
横で電話会議中の夫。
それを片耳で聞き流しながら
ベッドの上で痛みをやり過ごす。
コロナで在宅ワークの日々は
私たちの絆を強めてくれた。
働く夫を見て聞いて
一緒の空間にいることは
相手を知り、感謝を生む。
妻の陣痛と夫の電話会議、
その相容れないふたつの行動が
同じ空間の中で繰り広げられていた。
▷午後3時半
3センチの子宮口は
おおきく進展がなさそうだったが
陣痛だけはどんどん大きくなっていく。
前回の出産では
3センチの子宮口の後
すぐに産まれている。
ドクターにもこのことを伝えた。
「もしかすると、
すぐに産まれるかもしれない。
だから、その時は
ほんとうにお願いします」
前回の出産では
お産が急に進んだことで
担当ドクターが間に合わなかったこと。
ナースしかいない状態で
子宮口は急に全開になり
まるでドカン!と音を立てるように
ベビの頭が飛び出したこと、
そして、
飛び出したベイビーを
股の間に挟んで
ドクターが来るまで
飛び出さないようにキープして!と
ナースに言われ、
本当に困惑したこと。
ものすごく不安だったこと、
ベイビーが窒息死する!助けて!と叫んだこと、
すべて思い出したのだ。
今回はドクターが
すでに近くにいるから
そこは安心だったけれど
どんな展開になるかは
まったくわからない。
ここで、
無痛分娩の用意について
ナースに最終決定をせまられる。
ドクターは無痛分娩は
直前に決められると言っていたっけ。
いまが、そのタイミングらしい。
シンガポールでは
麻酔は麻酔科医が担当する。
産婦人科のドクターである彼女は
母体の確認はするが、
無痛分娩の麻酔オペは担当はしない。
わたしは
無痛分娩を決意した。
その理由は
純粋に
無痛分娩を体験したい、だった。
お金のことを考えれば
自然分娩の方が安くつく。
けれど、
自然分娩は第一子で経験済。
直感的に、
今回は新しい経験もしたい。
もう、今回は
突然のドクターによる破水、
陣痛促進剤の利用と
はじめての体験が続いている。
このまま続けるのだ、無痛分娩も。
わたしの意思を確認し、
ナースが無痛分娩の準備に入った。
その間、
陣痛はマックスになり
目も開けられない状態で
涙がどんどん溢れてくる。
その涙は・・・
陣痛のたびに感じる
ベイビーとの対話。
陣痛が起こる時、
それは間違いなく
ベイビーからの合図だった。
「いくよ」という相手の合図に対し
「いいよ」という合図を
涙という形で信号を送る。
「ことば」のない世界で
わたしたちは無言のサインを
お互いに送り合っていた。
陣痛がどんどん激しくなる。
もう、息も絶え絶えに。
夫はすでに仕事を全て中断し
手を握ってくれている。
夫に握られた手を感じ、
そしてベイビーのサインを感じ
わたしの涙は
とめどなく溢れ続ける。
▷午後4時
シンガポール人女性の
甲高いアクセントのある英語が聞こえた。
無痛分娩の麻酔ドクターが現れたのだ。
MAYA
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