守口市駅の駅前に石碑があります。
文禄堤の町と書かれています。
その文禄堤は、守口市の駅前の交差点を挟んですぐの場所にあります。
タワマンの下にある、歩道橋のような橋、これが文禄堤の一部です。
文禄堤越しに京阪電車も見えています。
文禄堤は豊臣秀吉が諸大名に明治建設した淀川左岸の堤防です。
枚方辺りから大阪市内まで27㌔の延長があり1596年完成とのこと。
堤防上には街道も整備され、京街道とも、大阪街道とも、東海道とも呼ばれています。
度重なる氾濫でほとんど姿を消してしまいましたが、ここにはわずかに残っています。
この文禄堤に沿って、守口宿が築かれました。
脇に階段があるので登ってみたいと思います。
上に登ると京阪電車の線路と同じくらいの高さになります。
元々、下に道はなかったのですが、堤をくり抜いて道を通したとのこと。
道をこす橋は「本町橋」と呼ばれているようです。
早速街道を歩いてみたいと思います。
この両側が元々の宿場町となっていたようです。
道幅は狭く、車はすれ違うことが困難な幅です。
東海道57次の幟や
付近の宿場町を紹介した幟など街道沿いにはありました。
足元には「京街道」と書かれたタイルがありました。
守口はこの街道沿いに栄えていったようです。
ここから下へ降りたいと思います。
石畳の階段というか坂道で、両脇も石垣やレンガ造りの
趣を感じる坂道になっています。
守口にこんな歴史があるなんて知りませんでした。