好きな映画監督、増村保造(1924~1986)の映画作品DVDをコレクションしています。

全57作品中、49作品蒐集出来ました。

 

増村保造監督のファンが増える事を願い、製作順に毎回2作品、見どころと、その頃の思い出を画像と文章で語ります。

あらためて作品を観ると、増村監督の映画に対する熱意が伝わってきます。

今回は増村保造監督第3作の「暖流」と第4作「氷壁」を語ります。

ご訪問頂ければ幸いです。

<増村保造監督 右は若尾文子>

増村保造は昭和27年にイタリア留学、フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティらに学ぶ。

帰国後、溝口健二や市川崑の助監督を経て、昭和32年「くちづけ」で監督デビュー。

イタリア留学中に、日本とイタリアの合作映画で八千草薫の「蝶々夫人」(昭和29年)のセカンド助監督に就いており、「蝶々夫人」はオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」が撮影された翌年、チネチッタ撮影所で製作されたそうです。

 

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3、暖流 (昭和32年/大映東京)

原作:岸田國士 脚本:白坂依志夫 撮影:村井博

根上淳、左幸子、野添ひとみ、船越英二、品川隆二   カラー94分

<「暖流」ポスター 野添ひとみ、根上淳、左幸子>

 

大映ロゴの変遷もお楽しみください。

岸田国士の同名小説「暖流」は戦前、戦後で3度映画化されています。

昭和14年(吉村公三郎監督 佐分利信 水戸光子 高峰三枝子)

昭和32年(増村保造監督  根上淳 左幸子 野添ひとみ)

昭和41年(野村芳太郎監督 平幹二郎 倍賞千恵子 岩下志麻)

 

日疋(ひびき 根上淳)は病床の恩人・志摩博士(小川虎之助)から、病院の建てなおしを依頼される。

病院内は無能な院長の息子・泰彦(船越英二)や、病院乗っ取り派の連中の暗躍で腐敗していた。

日疋は看護婦の石渡ぎん(左幸子)から病院内の情報を手に入れる。

ぎんは日疋に愛情を抱いていた。

<根上淳(日疋)、左幸子(石渡ぎん)>

 

また日疋は院長の娘・啓子(野添ひとみ)に、啓子の婚約者の医師・笹島(品川隆二)の素行の悪さを告げる。

啓子は日疋を一時は軽蔑するが、愛情を抱くようになる。

 

院長が病死し新院長も決定。

病院の再建を見届けた日疋は病院を去ることに決めた。

石渡ぎんは病院を辞め派出看護婦となっている。

日疋に愛情を抱いているぎんと啓子。

腐敗した病院の立て直しを背景に展開する恋愛模様。

 

増村監督の「青空娘」に次ぐ白坂(脚本)・増村(監督)コンビの2作目。

左幸子演ずる強い女性の登場は、後年の増村監督作品らしい。

 

雑踏する東京駅、大声で日疋(根上淳)に求愛する石渡ぎん(左幸子)のセリフが凄い。

<左幸子(石渡ぎん)、根上淳(日疋)>

石渡ぎん:「女って 気持ちを打ち明けてしまうと とことんまで図々しくなってしまう」

日疋:「いくら待っても 来ない時はどうする?」

石渡ぎん:「あなたは きっと来て下さる」

 

石渡ぎん:「日疋さ~ん 情婦でも二号でもいいんだから待ってます 本当よ」

 

日疋:「判ったよ 判ったから もう妙な事 口走るの辞めてくれよ」

石渡ぎん:「うん 行ってらっしゃーい」

 

院長の娘・啓子(野添ひとみ)が、日疋に求愛するシーン。

<野添ひとみ(啓子)、根上淳(日疋)>

啓子:「私 あなたのプロポーズ お受けしようと思うの 結婚してくださる」

日疋:「遅すぎましたね お返事が」

啓子:「えっ」

日疋:「僕 石渡くんと結婚するつもりです」

啓子:「石渡さんと?」

日疋:「彼女の がむしゃらな愛情に負けたんですよ」

 

 

【増村保造自作を語る】

前作の「青空娘」が良かったんで、この仕事はすぐきました。名作の二番煎じは巧くやってもダメなもので割に合わないと判っていましたが、引き受けました。原作に出てくるのはカスミみたいな人間ばかりだが、ただ一人、人間的で面白い石渡ぎんをやった左幸子さんがとても良かったので、彼女にピントを合わせ作品のテンポを上げました。市川崑さんはこれを見て「英(船越英二)ちゃんと左さんのおかげで、この作品が良かったのはお前のせいじゃない」と言われました。ただニギヤカに作った作品です。前の吉村公三郎さんの時のような上流階級というのは、いまはもうなくなっている。結局、日本人なんて、みんな貧乏人なんだと考えていましたから。

 

山田洋次監督が選んだ日本の名作100

「暖流」はNHK―BS山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」で鑑賞、DVD録画しました。

<「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」(NHK-BS)より>

 

番組のMCで映画監督・山本晋也は

『とにかく 左幸子という女優を観て下さい キャラクターがすごく強烈です。「飢餓海峡」(1964内田吐夢監督)の方です。文句ないです。』

 

山田洋次監督は番組で下記の通り述べています。

『増村保造さんの暖流は、(戦前の作品と)まったくタッチが変わって、もっと斬新になっていて、非常に話題になった作品です。特に左幸子さんの造形がとってもユニークで、当時きわめて近代的な自己主張の強い女性を描いたんですね。やはり増村監督もひとつの時代を画した人です。』

 

「暖流」ラストシーン。

 

 

【根上淳】

昭和22年に大映演技研究所の3期生募集に合格する。昭和24年「母三人」(中代富士男監督)で本格デビュー。その後は大映の若手スターとして活躍し、映画出演作品は100本を越えるという。

戦友のほとんどが特攻隊で戦死しており、戦争映画の軍人役は拒否し続けたという。

テレビドラマでの活躍も多く「白い巨塔」(昭和42年NET 里見脩二役)や「帰ってきたウルトラマン」(昭和46年TBS 伊吹竜隊長役)など多数。

昭和40年、根上の大ファンであった歌手のペギー葉山と結婚し芸能界一のおしどり夫婦として知られていた。根上が「帰ってきたウルトラマン」、ペギーが「ウルトラマンタロウ」(ウルトラの母役)と夫婦でウルトラシリーズに出演している。平成17年10月 82歳没。

<「根上淳」帰ってきたウルトラマンより>

 

<根上淳夫人「ペギー葉山」>

 

【左幸子】

昭和38年「にっぽん昆虫記」(今村昌平監督)で日本人初のベルリン国際映画祭女優賞、昭和40年「飢餓海峡」(内田吐夢監督)で毎日映画コンクール女優主演賞を受賞するなどの名女優。

昭和52年には当時の国鉄労働組合が1億円の資金を提供し、近代化、合理化の波に翻弄される労働者の憤り、誇りを、真正面から描いた骨太の映画「遠い一本の道」を監督(主演も)している。

テレビドラマの出演も多数。女優の左時枝は妹、エッセイストの羽仁未央は娘。

私は昭和30年の主演作、田坂具隆監督の「女中ッ子」が好きです。

平成13年11月71歳没。

<左幸子と伴淳三郎「飢餓海峡」より>

 

<左幸子主演「女中ッ子」ポスター>

 

<左幸子監督作品「遠い一本の道」ポスター>

 

【野添ひとみ】

野添ひとみは「増村保造(映画監督)作品を語る(1)」で記述しました。

 

 

 

 

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4、氷壁 (昭和33/大映東京)

原作:井上靖、脚本:新藤兼人 撮影:村井博

菅原謙二、山本富士子、野添ひとみ カラービスタ97分

<「氷壁」ポスター 菅原謙二、川崎敬三、野添ひとみ、山本富士子>

 

氷壁登山中に、切れるはずのないナイロン・ザイルが切れて死亡したという朝日新聞連載の井上靖の同名小説を新藤兼人がシナリオ化。

死んだ男(川崎敬三)と、一緒に登山した彼の友人(菅原謙二)とは、ともに一人の人妻(山本富士子)を恋していた。

美貌の人妻・八代美那子山本富士子)を恋する小坂乙彦(川崎敬三)は、過去に美那子と関係があり、小坂は美那子との結婚を望んでいた。

美那子は30も歳が離れた老人(上原謙)の後妻であった。

<山本富士子(美那子)・菅原謙二(魚津)・川崎敬三(小坂)>

 

小坂と学生時代からの友人の魚津恭太菅原謙二)は、美那子から小坂との縁を断ちたいと相談を受ける。

<菅原謙二(魚津)、山本富士子(美那子)>

魚津:「小坂は何と」

美那子:「離婚して 一緒になって欲しいと」

魚津:「それで あなたは」

美那子:「勿論 出来ません」

魚津:「・・・」

美那子:「ぶしつけなお願いですが あなたから小坂さんに ちゃんと仰っていただけないかと」

 

<川崎敬三(小坂)、菅原謙二(魚津)>

小坂:「俺を八代夫人から引き離したいのか」

魚津:「出来ればそうしたい」

小坂:「愛情を持っていない女が 愛してると言うだろうか? 30も歳が離れた老人の後妻になったんだぞ」

 

思いを吹っ切るために魚津と小坂は、前穂高の北壁にアタックするが、小坂のナイロン・ザイルが切れて死んだ。

美那子を想っての自殺か、事故か、他殺か。

<菅原謙二(魚津)>

ナイロン・ザイルの衝撃実験が八代教之助(上原謙)の手によって行なわれたが、ザイルは切れなかった。

教之助は美那子の夫であった。

小坂の死因によるスキャンダルからから美那子を救おうとする魚津に、美那子への慕情がわく。

 

一方、小坂の妹かおる(野添ひとみ)は、兄の遺体を焼いた翌日の夜、魚津に結婚してほしいと打ち明ける。

<菅原謙二(魚津)、野添ひとみ(かおる)>

 

魚津は美那子への思慕を断ち切り、かおると結婚の意志を固めるため、飛騨側から前穂の単独登攀を試みるが・・・。

人妻に心惹かれ、登山中に死んだ男に待ち受ける悲劇、様々な人間関係の交錯と、社会批判を交えて描いた男と女の愛のドラマです。

 

【「氷壁」の特殊撮影】

映像化が難しい雪の山岳登山のシーン。

セットやミニチュアでザイル登山シーンの特撮を担当したのは、「日蓮と蒙古大襲来」(渡辺邦男監督)、「秦・始皇帝」(田中重雄監督)、「大怪獣ガメラ」(湯浅憲明監督)など大映特撮を一手に担った築地米三郎。画面にリアリティがありました。

 

築地米三郎

築地米三郎は昭和42年の特撮TVシリーズ「コメットさん」(昭和42年~昭和54年TBS)で特撮を担当。「ギャラクシー賞」を受賞しています。

<築地米三郎が特撮を担当した「コメットさん」九重佑三子>

 

【菅原謙二】

菅原謙二は「増村保造(映画監督)作品を語る(1)」で記述しました。

 

 

【大映ビスタビジョン】

「氷壁」は“ビスタビジョンサイズ”で製作されました。

昭和32年、映画はワイドスクリーン時代となり、東映が邦画初のシネマスコープ用のアナモフィックレンズを使って東映スコープ「鳳城の花嫁」(松田定次監督)を公開。

 

大映は日本初のビスタビジョン方式で「地獄花」を公開、ワイドスクリーン時代の幕を開けました。

【大映ビスタビジョンのロゴマーク】

 

<大映ビスタビジョン第1回作品「地獄花」ポスター>

 

当時の映画会社の初ワイドスクリーン映画一覧表です。

大手映画会社だけでも6社存在しました。

映画会社

公開年月

題名

出演者

東映(東映スコープ)

昭和324

鳳城の花嫁

大友柳太朗、長谷川裕見子、中原ひとみ

新東宝(新東宝シネスコ)

昭和324

明治天皇と日露大戦争

嵐寛寿郎、阿部九州男、高田稔

大映(大映ビスタビジョン)

昭和326

地獄花

鶴田浩二、京マチ子

日活(日活スコープ)

昭和327

月下の若武者

長門裕之、津川雅彦

浅丘ルリ子

東宝(東宝スコープ)

昭和327

大当り三色娘

ひばり、いづみ、チエミ、宝田明

松竹(松竹グランドスコープ)

昭和327

抱かれた花嫁

有馬稲子、大木実、高千穂ひづる、

ビスタビジョンは1950年代にアメリカのパラマウント・ピクチャーズ社が、20世紀フォックス社のシネマスコープに対抗して開発した方式。

 

大映が採用したビスタビジョン方式は画質が良い反面、カメラが大型化するとなど機材等の費用が掛かり、「地獄花」から昭和33年の「氷壁」まで10作品を製作し、以降、「雪の渡り鳥」(加戸敏監督 長谷川一夫)から他社同様、横長のシネマスコープ方式「大映スコープ」に変更されました。

<大映スコープ第1作「雪の渡り鳥」>

その後の技術革新により、現代では横縦比1.66:1のビスタサイズが主流となっています。

【画面サイズ横縦比比較】

スタンダードサイズ  1.37:1

ビスタビジョンサイズ 1.66:1

シネマスコープサイズ 2.35:1

 

【大映ビスタビジョン10作品】

[昭和32年]

「地獄花」(伊藤大輔監督 鶴田浩二、京マチ子)

「誘惑からの脱出」(島耕二監督 根上淳、若尾文子)

「銭形平次捕物控 女狐屋敷」(加戸敏監督 長谷川一夫)    

「真昼の対決」(田中重雄監督 菅原謙二、山本富士子)

「冥土の顔役」(村山三男監督 鶴田浩二、川上康子)

「赤胴鈴之助 一本足の魔人」(安田公義監督 梅若正二)

<大映ビスタビジョン方式「銭形平次捕物控 女狐屋敷」>

<大映ビスタビジョン方式「赤胴鈴之助 一本足の魔人」>

[昭和33年]

「東京の瞳」(田中重雄監督 山本富士子、川口浩)

「月姫系図」(渡辺実監督 市川雷蔵、田代百合子)

「遊侠五人男」(加戸敏監督 長谷川一夫、市川雷蔵)

「氷壁」(増村保造監督 山本富士子、菅原謙二)

<大映ビスタビジョン方式「氷壁」新聞広告>

  

 

 

【スーパーテクニラマ70ロゴマーク】

そういえば、邦画初の70ミリ映画「釈迦」(三隅研次監督)も大映が製作しています。

大映の技術は凄い!

 

<大映スーパーテクニラマ70方式「釈迦」ポスター>

 

【参考:過去のアメブロ投稿】

★「鳳城の花嫁」邦画初のシネマスコープ方式映画