。+°:*.氷花.*:°+。 -HiKa- -17ページ目

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あなたにどうか、
とどいてほしい、
わたしのこころ。


水滴が ぽつり おちる
それは 波紋となって ひろがる
ひろがる ひろがる…

そんな 

耳の奥に やわらかにこびりつく  こころの奥を そっと 縫いとめる


この少年は 「少年」だったのだろうか
「少年であること」を いつもかえりみていたのではなかったのだろうか

…それは、はたして「少年」なのだろうか…

ふつうは「少年」と「おとな」のさかい目を 「声」だけでは意識せずに 成長してゆく
けれど「少年じゃない」ことを 高い音が出なくなったらいやおうなしに 追放される彼らを
わたしはふと
かんがえる

思春期のころは 刺しゅうをするのがだいすきだった

ひと目 ひと目 刺してゆく そこに 自分の「生」をきざみこむ
たんじゅん作業の結晶をつくりあげるのが だいすきだった

晩鐘」が… そのなかのひとつ

その日の畑仕事がおわる そして 「その日」「仕事をすることができた」ことに 感謝の祈りをささげる

刺しているとき とてもしあわせだった
刺しおえたとき なんともいえない充足感が こころのおくにただよった


4年まえの春… 「晩鐘」が日本にやってくることをしった
うれしくて うれしくて… 
4年まえのきょう たんじょう日に 観賞しに行った

約5分間 独占した
世界でたったいちまいのだいすきな絵を 世界でたったひとりのこの自分がみつめている…

つぎの絵に すすめなかった 熱くなるまぶたをふりきるように この絵をあとにした        

あなたも この波にのってみませんか?
あなたも この海のようなに のってみませんか?


同時に この曲を聴きながら たいせつな想い出 擁きしめてみませんか?


わたしは

はじめて 自転車に乗れるようになった日のこと
はじめて ジュースのプルタブあけられるようになった日のこと
それから

上司に 「きょうはミスひとつなかったです。かんぺき」言われたこと

「このひとのために」なんでもしてあげたい おもったこと。…


擁きしめます

さみしいとき わたしは歌を歌う
するとすこし、げんきになる

調子っぱずれでも かまわない
歌姫になったつもりで 歌う

とくにすきなのがこの
ほんとにほんとにさみしくなったとき 歌う


「だれかがわたしを 待っているのならば」
「わたしに なにかをもとめているのならば」


いま 生きている理由もあるのだろう

だから 涙ぐみながら、歌う

彼はまちの子とけんかした
相手のあやまちをみとめまい、とけんかした
彼は勝利した
捨てぜりふに相手は言った

「ふん。あいつはいい家に生まれて、いつも上等の肉を食っているからけんかにだって勝てるんだ」

そのことばは、彼の胸を刺しつらぬいた

そんなつもりじゃない。そんなつもりじゃない。そんなつもりじゃ…


…めぐまれているって どういうことだろう。…


たしかに彼はめぐまれていた
良家に生まれ、食べることに不自由もせず、音楽的才能にもめぐまれ…
将来は約束され。

でも、それでいいのだろうか?
まちの子のことばは、ただたんに、彼をきずつけて終わりはしなかった

(めぐまれている者には、めぐまれている者の義務がある)
(めぐまれていない者をたすける義務がある)

そしては、30にして、医学の道をすすむことになる
多くのひとを、たすけるひとになる


…世のなかには、めぐまれていることに奢っている者が多い
けれど彼はそこに「義務」をみ出した

そんな稀有な人間…、そんな稀有な人間がこの世に生まれたことを
わたしはこころより、感謝する

ひとはいつ おとなになるのだろう
だれでも かんがえることではないだろうか

おとなって
「おとな」って?

お金をかせぐことかしら そのお金で 自分のすきなものを買うことかしら
結婚すること? 子どもがいること?…

なんだかうわっつら

本で読んだことがある
「子どもは どんなにかなしくても 泣いても しまいにねむる」
「けれどどうしても ねむれない夜をむかえたとき」
ひとはおとなになっているのだ…

なるほど、とおもった
たしかに 子どもなら 泣いて泣いて ねむってしまうことだろう 朝が来て なにをそんなに哀しがったのか ぼんやりしてしまうことだろう

わたしなりに かんがえてみた
わたしは
わたしは…


だれにも言えないひみつをもつこと
そのひみつを 一生涯 まもりぬくこと その 決意をすること


子どもは いつしかがまんできなくなって すべてをばらしてしまう こころに かかえきれないから

けれど こころにかかえる それを いつまでもこころにたもちつづけるとき… その決心を 守りぬくとき
世界にたったひとりぼっちのような 孤独をしるとき

ひとは おとなになっているんじゃないだろうか


これは わたしのひとつの見解だ ほかにもいっぱい いくらでも 「おとな」をしる瞬間があることだろう

けれどわたしは「おとな」という生きものに対して
ひとつの かんがえを投げてみる

こころのなかの風景を のぞいてみてください
あなたのこころに なにが みえますか


かつてのわたしには、なにもみえませんでした
目をこらしても 目を こらしても

まっしろで、つめたいものが目に入りこんできて、なにもみえなかった

雪でした 咲いていてのは さくらじゃなく 雪でした

さむくてさむくて いたくて こころが こおりつきそうで
泣きそうで
哭きそうで


あのころの自分をおもいだすと いまでもかなしみでこころがふくれます

雪なんてもう 咲かなくていい ふぶきなんて もう
だっていまは とてもさくらが きれいなのだから

「542円のおかえしです。ありがとうございました」
店員さんにわたされたお金をぱらぱらぱら、とたしかめながらおさいふにいれてゆく

そこに、やけにきらきらした銅貨…10円が…

あらためて、おさいふから出す。じっとみつめる。「平成十九年」
今年のかあ…

この時期になると、わたしの手に、あたらしい小銭が舞いこんでくる
年越しのときよりも、こういうときに、わたしはあたらしい年がきたことを 実感する

去年、いろいろあったなあ…
あたらしい仕事をはじめて。ブログでも、あたらしいひとたちと出逢って。

今年はなにがあるんだろう
なにかいいことがありますように。


…春がわたしを、まっている

わたしがきらいなことば


「きびしいこと言うようだけど」


なあに? それ
もっとはっきり言って
「きびしいことを言うけれど」

そう。本人が「きびしい」と自覚しているのならば、「ようだけど」は
自分を擁護していることばに ほかならない

自分をまもらないで。きびしいこと言いたいのならもっとはっきりした態度とって
「わたしはすきで言っているんじゃないのよ」なんてかわいこぶらないで
「きらいなことば」なら、うっかりだって、口にできやしない

自覚をもってきずつけて
自覚をもたれてこそ
きずつきがいがある

なやみをかかえた女の子が、おじさんに相談しに行く
おじさんは、ボトルをあけてウィスキーをとぽぽ、そそぐ

女の子はいぶかしげに問う
「おとなって、どうしてそんなにがいもの、飲むの?」
おじさんはうーん、とかんがえる
「それはね、おとなになると、人生までちょっぴり、にがい味をしることになるから、かな」
「にがい味?」
「夢を喪ったり、愛しあっていてもどうしようもなくてはなれてしまったり…」


これをひとくちずつ飲み干して、わすれるのさ


いま アルコールを飲みながら かんがえる
わすれたい
でも
いっときだけ だよね

…わすれられない

おとなはそれをしりつつもきっとなお、アルコールに手をのばす