不楽是如何 -165ページ目

1月17日

今日は忘れてはいけない日でしたね。
23年前の犠牲者に合掌・・・

コメディ

最近、色々と政界絡みで面白い話題が飛び交っています。
ちょっと前まで解散を求めていた野党が、いざ解散となると与党を批判したり、先日、代表選があって、これから一致団結してがんばろーって言ってた人があっさり敵前逃亡したり。

下手なコントを見ているよりずっと面白いですね。

ただ、これは結構重いお話だと思っています。まさか、保身の党が定数の過半数以上候補者を立てられるとは思いますが、万が一、過半数をうかがうような候補を立てられるようだと、今までの傾向でちょっとした報道でぐっと風が吹きますので。危ない危ないと。

今回は本当に危険ですね。50議席ぐらいだと民進の議席を食うだけで済みますが、100や200になると少し危険。

今、安倍さんが求心力を失うことが、どれだけ今の日本に危険なことなのか、気づいている人は少ないでしょうね。

今回の選挙結果如何では、日本はまた20~30年は暗い時代が続くのではと、それぐらいのことだと思います。

ちょっとお悩み中

う~ん、ちょっとお仕事で行き詰まっている感がありますね。
ちょっと、気持ちが悶々としています。

前向きに頑張ろうって感じですね。

ところで、今日、衆議院解散のお話が出てきましたね。
本当にするのかなあ。
2/3割るかもしれないのに。憲法改正はもうあきらめたんですかねえ。

正直、安倍首相の9条第3項加憲案は、まあ、そこそこの人が妥協できる案なのではないでしょうか。せめて、自衛隊が違憲であるという解釈の余地は無くすということで。

ただ、消費税の使途が争点になるのならちょっとねえ。
正直、消費税増税の影響を舐めてましたねえ。この前の増税までは。消費にここまで影響するのなら、やめたほうがいいのかなと。

う~ん、仕事でちょっと悩んでいるので現実逃避の政治経済ネタを挟んでみました(笑)

会津若松

さて、唐突に。
どかーんと会津若松城
 
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戊辰戦争の際に、連日2000発以上の砲弾を受け、今建っている天守閣は復元されたものです。
会津戦争の悲劇は多くの人がご存知のことでしょう。
 
イメージ 2飯盛山、白虎隊自刃の地です。
ここから、燃え盛る城下を見て、敵に囚われて辱めを受けるよりはと、白虎隊士中2番隊の隊士達が、自ら命を断ちました。
 
 
 
 
イメージ 3自刃の地に建つ碑です。ここで、19名の若い隊士が命を落としました。
なんか、色々と資料が出てきて、自刃17名うち蘇生1名、遅れてきた1名が先に自刃している仲間を見て自分も自刃。2名は実は戦死だったとか。
 
 
 
イメージ 4飯盛山から見た会津城下。左上の方の木がいっぱい生えているところが会津若松城です。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5自刃隊士のお墓です。多くの観光客が訪れる場所です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6隊士の墓から自刃のちまでの道の途中にある、飯沼貞吉(雄)のお墓。
意外と立ち止まる人は少なかったですが、自刃隊士の中で唯一蘇生した隊士のお墓です。逓信省の技師となり、昭和6年まで生きられたそうです。遺言により分骨され、友の眠るこの飯盛山の地に葬られました。
会津若松を訪れるのは、これで3回目かな。
1回目は学生時代、2回目は10年前、今年で3回目。ほぼ10年おきに訪れているという感じです。
 
私と白虎隊の出会いは、非常にベタなのですが、昔放送された年末時代劇スペシャル(日テレ)でした。
そのときはまだ中学生で、セリフの中に「会津を不朽のものにするために」という言葉に単に感動したりしてました。
学生の頃もまた同じ。社会人になって訪れて初めて疑問が。「死ぬ必要があったのかな?」と。隊長とはぐれて当時、16~17歳ぐらいの少年だけで、もし、年長者がちゃんと率いていればこんな悲劇はおこらなかったのかと。追い詰められてたとは言え、こんな戦争に巻き込んだ会津藩公も罪作りなことをしたものだと、そう思うようになってきました。
 
イメージ 7こちらは、国家老西郷頼母の家族縁者21名が、籠城の足でまといにならぬように、敵に囚われ辱めを受けぬようにと自害したお屋敷跡です。
 
 
 
 
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このような悲劇は、西郷邸だけでなく、城下に西軍が乱入してきた日に何百人もの婦女子が殉難しました。
 
ただ、忘れてはいけないのが、こんな中でも家族にこのような時は命を粗末にせず、郊外へ避難するようにと予め申し含め、命長らえた藩士の家族もいたようです。
 
イメージ 9国家老西郷頼母の屋敷は、今は、武家屋敷で再現され、見学することができます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
う~ん。恥を忍んで徳川慶喜みたいに徹底的に恭順してしまえば?とも思ったのですが、まあ、慶喜の次の薩長の矛先だったので、いずれにせよ過酷な運命が待っていたのでしょうね。
 
何より、この悲劇があったから、私は会津に興味を持ち、3回も足を運んでいます。また、多くの観光客が会津若松を訪れます。
 
それを考えると、会津藩の名は、現代に生きる多くの人の心を打ち、ドラマのセリフにもあった「不朽のもの」になったということでしょうか?来年で戊辰戦争から140年が経ちますが、会津藩の名はこれからも忘れられることはないでしょう。

 

 

個人的には、会津の街は大好きで、悲劇があった街なのに優しい街という印象が強いです。これからも何回かは足を運ぶでしょう。

 
 
 
最初はただ単に「感動」、その続きで最初の訪問。その次は「(戦争回避も含めて)別の選択肢はなかったのかな?」、そして今は、「彼らはこれで名を残し、今も現代に生きる我々の心を打っている」
 
次に行くときには、私はどのような感想をもつのでしょうか?
子供の頃に興味を持ったことを、年取ってから同じものを見ると、また違った感想を持ち、それが成長なのか退化なのかはわかりませんが、自分の定点観測をしているようで面白いですね。
 

たまには

■難病の心筋症と致死性不整脈を患う7才の女の子。しずくちゃんに心臓移植を!

■あやめちゃん(2才)を助けて!米国での心臓移植が必要です。

■たけるくん(1歳)の海外での心臓移植を。笑顔あふれる未来のために!

やはり、未来ある子供が難病に冒されるってのは心が痛みますね。
貯まったTポイントですが、それぞれ寄付させていただきました。