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足利義政、日野富子、東求堂、押板床、違い棚、わび、さび、…
これまでは言葉は聞けども興味なく、素通りしていたものに、興味を持たせてくれた。
いつか京都をゆっくり観光したいが、そのときには銀閣寺へ行って、自分の目で改めて眺め、そして義政の世界を感じてみたい。
文庫本になったら、購入してまた読もう。
・宗派に関係なく、仏という至高究竟の存在は、別名を金人という。しばしば寺の本堂が、金堂と呼ばれるのも、金人をまつるが故の名称なので、建物そのものが金色かどうかは二の次であることは、たとえば法隆寺のそれひとつ見てもあきらかだろう。
・歴史の長い時間においては、勝つのはしばしば政事ではなく文事なのだ。
・人の自由のうち究極のものは、人からの自由にほかならぬ。その自由の価値をつきつめた境地にある人類普遍の価値こそが「わび」
・「何もできぬが、何でもできる」
事務という専門性よりも汎用性をその本旨とする人間的能力に対しての、これは最大の賛辞だろう。
・寝殿造の建物がおしなべて板敷の巨大な空間をかかえこむのは、… 儀式ができて、そのついでとして、日々の生活ができたのである。… 部屋などは必要に応じて、屏風、衝立などで仕切ればいいのだ。
空間デザインの面から見れば、平安時代とは、間仕切りの時代にほかならないのだ。いまだ「間取り」の時代ではない。
・銭がなければ、人間は、好きなようにものがつくれる。
・東求堂は、義政ひとりの、孤独のための小堂だ。 孤独とは。 不安、不便、不如意というような側面しか持たぬと通常される。 わびしさ、とも言いかえられる。しかしその孤独にむしろ自由という価値を見て、… 「人からの自由」という至高の価値を見て、その価値を特に名付けて「わび」として、…
・「わび」の先には「さび」がある。
時の、移り。 或るものが時間の経過のせいで、いっそう複雑な、いっそう微妙なおもむきを帯びるとき、そのおもむきを「錆び」という。
… 「わび」はただ状態をあらわすのみ。… 「わび」は静的な状態である。しかしただの状態にすぎぬ。それに時間の変化を足したものが、すなわち「さび」にほかならない。歴史を足したもの、とも言えるかもしれぬ。