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祁山の戦い
張郃の追撃を叩き漢中へ戻った諸葛亮孔明だったが、魏と呉が手を結んだとの情報は、食糧集めが上手くいかない李厳の弄策だった。
これを機に、孔明は内政を固めることにする。
3年が経ち、再び北伐に向かう孔明。
しかし、関興が病死する。
魏も司馬懿仲達が出て、渭水で両軍が対峙する。
一進一退の中、魏延は孔明の陰口を叩くのが目に余ってきたが、人材の乏しくなった蜀軍の中では孔明も処罰はできなかった。
孔明は蜀呉同盟を発動して、呉が魏の一面を撃つよう謀り、呉の孫権もこれに応じる。
孔明は木牛流馬を発明して食糧確保を図る。この木牛流馬に絡んでの戦闘も起こり、司馬懿も危機一髪まで追い詰められる。
呉は三路から魏に攻め入り、魏は曹叡自ら出陣し、油断している呉軍を叩く。
呉の陸遜はほどほどで全軍を引き揚げる。
孔明は葫蘆谷に火の陣を用意し、司馬懿を誘き出し、併せて魏延も葬ろうとするが豪雨により失敗する。
事を謀るは人にあり
事を成すは天にあり
ついに長蛇を逸せり
両軍睨みあいが続き、孔明は司馬懿を挑発するが、司馬懿は誘いにのらなかった。