名前がいかにも盲腸線の最果てらいし、そんなイメージだけの名松線伊勢奥津に寄った。ムーンライトに乗る前、18切符の日中有効活用だったと思う。
1997年名松線伊勢奥津駅
本来の終着地では無いから、何も無い途中駅仕様かと思っていたが、給水塔が残っていた。歴史の長さを感じた。
名張を目指すのであれば近鉄のルートが正解だろうし、松坂でなく津に直通できるよう分岐していれば・・・。歴史的経緯だから仕方ない。
JR東海が政治や地元に左右されず、自前でリニアのルートを決めたのは歴史的快挙なんだろう。
小さい頃見た本では〝万座・鹿沢口〟が一番長い駅名と書いてあった覚えもある。長めの盲腸線、終着の〝大前〟まで行く電車は少なく、手前に日本一短いトンネル、関東近郊だけどやや遠い終着駅を目指した。
下校向け電車で大前に着いた時はもう日没間近。電車は直ぐに折り返したが、一駅歩くことにしてしばらく大前駅にいた。
薄暗くなって鹿沢口の駅に戻る途中、中学生の集団が大声で〝こんばんは!〟かなりビビった。同行の友人によると郡部に生活してる知恵で、不審者を見かけたら大声でアイサツするように訓練されているのだとか。
鳥居峠手前の田代辺りまで開業していれば、今後の展開が変わったかも知れない。2023年に車で通り抜けた時、至る所で治水工事が見られた。素人が見ても派手に地形が変わり、大掛かりな対応工事が以前より増えている。生活道路の国道も橋脚がえぐられ片側通行に。こんな状況では鉄道の維持にお金を回す話どころでは無いだろう。
只見線は夏と冬に乗る機会を持てた。
夏は小出から、山奥と言っても越後須原辺りまでは水田の広がる開放的な沿線だった。魚野川の谷、終着の小出まで出れば新幹線も高速も走っているから、無茶苦茶不便ではなさそうに感じた。
一方で只見は山奥だ、延々と只見川に沿ってやっとたどり着く都市が会津若松。関東に出るには更に乗継を繰り返さないと行けない。福島県側が存続に真剣だったのがよく分かるし、必要だったと思う。