ちゃたろのブログ

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何歳になっても線路や電車を見ると気になる元鉄道少年。1980年代90年代の写真を整理するついでに投稿してみました。

2000年前後。

太平洋側でしか暮らしたことがないから、日本海側の豪雪を実感したことはない。GW頃からアルプスの春山には登っていたから、残雪期には慣れているつもり。

そして時々痛い目にあう。初夏の白山、苗場山、越後駒、月山。残雪に覆われた中ホワイトアウトしたり、同行者が動けなくなったり。まぁ夏はそのまま1週間寒波なんて事はありえないからどうにかなる。
(ザゼンソウ)
この日は出だしから失敗。樽見鉄道の終点だからコンビニはあるだろうと行動食もそろえず出かけ、結果何も調達できないまま山に入った。
出だしは陽のあたるのどかな尾根道、日向ぼっこしているヘビがときどき動き出し変な緊張。
稜線近くになると残雪増え風も出てきた。
稜線の雪はずり落ち雪庇の心配なんてまったくなし。雪の多い山域、日本海側なんだとやっと気づく。
遠く白山を望む。
頂上に社。風はかなり強くなって曇ってきた。山麓から見るより平坦で日本海側は残雪が多い。こんな時ガスられると、道を見失うなとすぐに引き返した。昼飯もなかったし…。
名古屋近郊の山で入山者は多かった。周りの人達は視界不良の怖さなんて気にもしてないのか雪や景色を楽しんでいた。
怖かったのはこんな光景。雪は柔らかかったからアイゼンはいらないけど、雪道に慣れてない人がスニーカーではね、、、滑り落ちて他の人に怪我させないでね、と言うよりお尻ついて滑った方が早いかも。
(ショウジョウバカマ)






2000年前後

サイクリングしてても、山登りしてても頭の中では多くのことが電車へとつながっていく。峠の小さなトンネル、神社や道祖神を目的に走ったりしたが一番の関心事は鉄道。

篠ノ井線に乗ると気になる車窓は梓川沿から常念山脈。姨捨から善光寺平。気になる駅は姨捨そしてここ〝冠着〟。秘境駅に降り立つ18切符の旅はしなかったが、自転車では目的地にした。
隣の麻績改めて聖高原駅から20分もかからず到着。電車に乗っていると何でこんなとこに駅がと思う山奥だけど、現地を走ってみると駅の手前とトンネルの上あたりに結構人が住んでいた。
このまま山道に入っても隣の姨捨駅に抜けられるが、善光寺街道は麻績から国道403号線で猿ヶ馬場峠を抜けている。
当時は昔使っていた蔵が壊れかけているくらいだったが、いま行けば限界集落に近づいていて人家の廃屋も多いことだろう。
長野にも松本にも、鉄道でも自動車でも通えるが、どちらの街も都会ほど生活費がかからず移住のハードルは低い。病院などまで入れるとお年寄りですら移り住んでしまうから過疎は進んでしまう。
里山どころか里ですら維持できず、野生動物が住みつくのは当然のなりゆきで、なにかの本のとおり、自然に押され我々人類が衰退しはじめている表れなんだろう。
麻績はいろいろな方向に抜けられる。四十八曲峠越えでは戸倉上山田に抜けられ、ここにも魅力的なトンネルがあったように覚えている。二車線長大な平成新道、坂上トンネルは開通していたが旧道もまだ走れた。
松本からこの辺りまで来ると帰り道に困る。往きは気合い入っているが復りは惰性、峠越えは避けたい。輪行はよしとせず必ず人力で帰ることを旨としていた。
麻績からだと差切峡を通り犀川国道19号に出ると峠越えは無い。ただし距離が長く交通量の多い道を延々と緩やかに登る。善光寺街道に沿って帰ると風越峠に刈谷原峠とA級の峠が待ちかまえている。妥協案で国道403号線に沿って明科へ抜けるルートへ。
ここも西条と明科の間に矢越峠がある。今は改良され長い立派なトンネルみたいだが、当時はあじのある昭和のトンネルだった。
ちなみに並行している篠ノ井線の方が先に線形改良され、複線断面の新トンネルを単線使用、383系が130km/h走行している場所。明科側には旧線を利用したハイキングコースがある。



2000年前後。

青木峠明通トンネルを抜けたら子檀嶺岳が見えてきた。
当時は信州100名山を一座づつイラストで紹介した登山サイトがあって重宝した。その後、ガイド本になっていたと思う。
ただ山梨100名山ほどは登っていない。2-4月は雪の影響が少ない山梨100名山へ。その後は標高の高いアルプスに足が向いてしまい、信州100名山の出番がなかった。