ちゃたろのブログ

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何歳になっても線路や電車を見ると気になる元鉄道少年。1980年代90年代の写真を整理するついでに投稿してみました。

〝はつかり〟は青い583系もあったので何度となく乗りたい意向を親に伝えていたけどかなわなかった。仙台特急より先に指定券が売切れていたようだし、ボックスシートの現実を知っている親からすれば乗りたくもなかったのだろう。

1980年上野駅。これも大宮通過の〝ひばり〟乗車前の写真。

〝はつかり〟〝つばさ〟に乗ったのは新幹線開業後の接続特急として。〝やまばと〟〝あいづ〟とはついに縁がなかった。

 1日で青森までの片道運用しか出来ないのでは効率が悪い、583系が重宝されたのは当然だったと思う。

〝ひばり〟は東北特急で一番お世話になった。新幹線が開業した時に愛称が〝あおば〟になってしまい、とても残念に思った記憶がある。

 いま考えると仙台特急が〝ひばり〟だったのは不思議だし、古くは〝つばめ〟最近では〝白鳥〟〝はやぶさ〟〝みずほ〟〝さくら〟と愛称名と走行路線は変遷していく方が自然なようだ。

1980年上野駅。前の写真と似たような撮影だったから1983年と思っていたが、裏書きに1980年とあった。

 指定券を取るのが大変だった当時、まれに大宮通過の〝ひばり〟にあたり、上野駅から乗車した事があった。その時の撮影だろう。

 大宮乗車では慌ただしくゆっくり撮影なんてできない。普段、都心に遊びに行っても国鉄上野駅はわざわざ寄らない。上野乗車は特別でうれしかった。

〝白山〟と〝はくたか〟金沢行き特急がなぜ二系統走っているのか?子供の頃は実感出来なかった。信越本線の長野以北に乗車してみてよく分かった。碓氷峠だけでなく信越国境の隘路、迂回しても長岡経由の強みはある。

 東北新幹線開業後の上野駅で貫禄ある特急列車はこの〝白山〟と〝鳥海〟だった。
 山登りの話をすると、白山には開山前の残雪期に登った。キャンプ地を出て霧と残雪でルート探しに悩まされながら頂上を目指した。陽が高くなると霧が晴れて、残雪のまだら模様が氷河のように見えて感動したのを覚えている。
 昔は積雪期に雷鳥が白山から御嶽、木曽駒ヶ岳まで移動していて、遺伝的交流が確認されたらしいし。先輩は白山でも見たと言っていたが、残念ながら私は見ることはなかった。