〝はつかり〟は青い583系もあったので何度となく乗りたい意向を親に伝えていたけどかなわなかった。仙台特急より先に指定券が売切れていたようだし、ボックスシートの現実を知っている親からすれば乗りたくもなかったのだろう。
1980年上野駅。これも大宮通過の〝ひばり〟乗車前の写真。
〝はつかり〟〝つばさ〟に乗ったのは新幹線開業後の接続特急として。〝やまばと〟〝あいづ〟とはついに縁がなかった。
1日で青森までの片道運用しか出来ないのでは効率が悪い、583系が重宝されたのは当然だったと思う。
〝ひばり〟は東北特急で一番お世話になった。新幹線が開業した時に愛称が〝あおば〟になってしまい、とても残念に思った記憶がある。
いま考えると仙台特急が〝ひばり〟だったのは不思議だし、古くは〝つばめ〟最近では〝白鳥〟〝はやぶさ〟〝みずほ〟〝さくら〟と愛称名と走行路線は変遷していく方が自然なようだ。
指定券を取るのが大変だった当時、まれに大宮通過の〝ひばり〟にあたり、上野駅から乗車した事があった。その時の撮影だろう。
大宮乗車では慌ただしくゆっくり撮影なんてできない。普段、都心に遊びに行っても国鉄上野駅はわざわざ寄らない。上野乗車は特別でうれしかった。
〝白山〟と〝はくたか〟金沢行き特急がなぜ二系統走っているのか?子供の頃は実感出来なかった。信越本線の長野以北に乗車してみてよく分かった。碓氷峠だけでなく信越国境の隘路、迂回しても長岡経由の強みはある。