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空(くう)になる

思想とは常に在り続けるものである、だがしかしそれは他に影響を及ぼすものではない、これ即ち己の全てが空(くう)になるという事ではないのだろうか

つまり私の思想はあなたには意味がない

あの子は価値の高いものを纏っている
価値の高いものは見栄えが良い
そう思うのはあの子だけかもしれない
纏っているのは自分を覆い隠す為
自分の価値を隠す為
きっとあの子には良い事なんだ
お金を持て余してるだけかもしれない
私には全く関係のない事だから
だけどその纏ったものを外した時
そこに価値の高いものは残ってるのだろうか
それをあの子以外は知っている
あなた達は気づいてましたよね
私が見ていた事を
私は知ってましたよ
あなた達が気づいてた事を
でもとうとう見れなくなってしまった
でも大丈夫
私が見ていたのはそこだけじゃない
私が見ているのはあなた達が見えてないところ
まだ気づいてないところ
あなた達に二度と会えずとも
あなた達が近くにいる限り
私はあなた達を見ている
見られている限り幸せは訪れない
そのようにしてしまったから
私のせいでもあなた達のせいでも
誰のせいでもないから
悪いのはそこにいる悪魔なんだよ
でももう私には何もできない
だから私は見ているだけ
幸せになれた私は見ているだけ
それもきっとあなた達は
気づいてましたよね

「怨念の子、それはこの時が産んだ無責任な悪魔の象徴」真空堂 事実

本とか海外ドラマとか見てて思いついて日本風仕立てで書き起こしました笑
皆さんは「死」に対してどう考えるでしょうか。

私は三十路を過ぎてから、死というものを"結"として考えるようになりました。
そう、起承転結の結であり、結末の結です。
ただのひとつの終わりを告げる結末です。

「死」という漢字一文字を見るとただ怖しいものに感じてしまいますが、それを"結"として捉えると、不思議と怖ろしさはありませんよね。
私はこの考えに行き着いた時、死に対しての怖さがなくなってしまいました。
しまいましたと言いますか、死を怖れるという事をやめたかったので、この考えに行き着いたと言った方が正しいですね。

生きるという事は常に死に向かっていますし、死ぬ為に人間は生きているんですから。
もちろん死にそうな時は「生」にしがみつくのも生きている証なので、いちいちそれを怖がっても生きている事の時間を無駄にしてしまうような気がしてしまったからです。

人間の結末は何がどのようになっても、早くても遅くても必ず「死」が訪れるのです。
ならばその「死」をどう受け止めるかによって、生き方を変える事ができるのではないか、そう考えたのです。
私はいつやってくるかわからない己の結末を、私の発想力と創造力で受け止めてみました。

きっとその結末が訪れた時、私は潔く怖れるでしょう、だから怖れるのはその瞬間だけでいい、それまでの生きている時間はそれをしっかりと理解し、その時間を怖れずに過ごしていこう。

「死」を見て生きていくという事です。
それが私が導き出した「結」への道です。
ですが私はまだ起承転結の承の道を歩いています、いくつか転機は感じてますが、まだ本当の転は訪れてないと思うからです。
私の「結」はまだまだ先だろうと、私自身そう感じます、まだまだ学ぶ事がたくさん残っていますので。

少し余談ですが、私の周りでは幾人か、若くして「結」に至ってしまった方々がいます。
自らその答えを急いでしまった場合も、意図せず突然それがやってきた場合もありました。
私も人間なので、心で哀しみました。
ただ「結」に至ったという考えはもうひとつ、ここで大切な意味を出します。

それは「結」ぶ、という事です。

若くして失ってしまった命は、その残りあったはずの生命を、私達に結んでくれたのではないのだろうか、そしてそうでなかったとしても私達を結んでくれたのではないか、そう考えればしっかりと哀しみを受け止め、私達の生きる力に変えられると思うのです。

自らの「死」からも、他の「死」からも生きていれば逃れる事はできません。
ただその命が大切だったと思うのであれば、形式に囚われなくとも、その思う気持ちがあれば己の生き方は必ず一歩先へ歩んで行くだろうと、私はそう思います。

しっかりと己を見つめて生きていけば、時間に関係なく素晴らしい「結」は訪れるはずです。