私は三十路を過ぎてから、死というものを"結"として考えるようになりました。
そう、起承転結の結であり、結末の結です。
ただのひとつの終わりを告げる結末です。
「死」という漢字一文字を見るとただ怖しいものに感じてしまいますが、それを"結"として捉えると、不思議と怖ろしさはありませんよね。
私はこの考えに行き着いた時、死に対しての怖さがなくなってしまいました。
しまいましたと言いますか、死を怖れるという事をやめたかったので、この考えに行き着いたと言った方が正しいですね。
生きるという事は常に死に向かっていますし、死ぬ為に人間は生きているんですから。
もちろん死にそうな時は「生」にしがみつくのも生きている証なので、いちいちそれを怖がっても生きている事の時間を無駄にしてしまうような気がしてしまったからです。
人間の結末は何がどのようになっても、早くても遅くても必ず「死」が訪れるのです。
ならばその「死」をどう受け止めるかによって、生き方を変える事ができるのではないか、そう考えたのです。
私はいつやってくるかわからない己の結末を、私の発想力と創造力で受け止めてみました。
きっとその結末が訪れた時、私は潔く怖れるでしょう、だから怖れるのはその瞬間だけでいい、それまでの生きている時間はそれをしっかりと理解し、その時間を怖れずに過ごしていこう。
「死」を見て生きていくという事です。
それが私が導き出した「結」への道です。
ですが私はまだ起承転結の承の道を歩いています、いくつか転機は感じてますが、まだ本当の転は訪れてないと思うからです。
私の「結」はまだまだ先だろうと、私自身そう感じます、まだまだ学ぶ事がたくさん残っていますので。
少し余談ですが、私の周りでは幾人か、若くして「結」に至ってしまった方々がいます。
自らその答えを急いでしまった場合も、意図せず突然それがやってきた場合もありました。
私も人間なので、心で哀しみました。
ただ「結」に至ったという考えはもうひとつ、ここで大切な意味を出します。
それは「結」ぶ、という事です。
若くして失ってしまった命は、その残りあったはずの生命を、私達に結んでくれたのではないのだろうか、そしてそうでなかったとしても私達を結んでくれたのではないか、そう考えればしっかりと哀しみを受け止め、私達の生きる力に変えられると思うのです。
自らの「死」からも、他の「死」からも生きていれば逃れる事はできません。
ただその命が大切だったと思うのであれば、形式に囚われなくとも、その思う気持ちがあれば己の生き方は必ず一歩先へ歩んで行くだろうと、私はそう思います。
しっかりと己を見つめて生きていけば、時間に関係なく素晴らしい「結」は訪れるはずです。