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空(くう)になる

思想とは常に在り続けるものである、だがしかしそれは他に影響を及ぼすものではない、これ即ち己の全てが空(くう)になるという事ではないのだろうか

つまり私の思想はあなたには意味がない

あなたは「恨む」という事はとても醜い思いであり行いであると、そう学んだかと思います。

確かに恨むというのは、良くない事でしょう。
己の気持ちを負の世界へ導いてしまい、そして周りへの害になってしまうものです。
でもそれはまず根本的な「それをしてはいけない」という無意識の感情が元で、己の心が酷く苦しくなり、負の感情が発生してしまっているだけなのです。

ではその根本を一度、取り消してみたらどうでしょう?

お分かりですよね?
そうです、恨んでいいのです。
その己の気持ちを許していいのです。

そう考えてみれば、あなたの気持ちはとても楽になり、落ち着いて物事を考えられるようになると思います。
そして己が己の為に何をしなければならないか、その次の行動が見えてくるはずです。

もしもあなたが誰かをとてつもなく恨んでいて、とにかく消えて欲しいと激しく思うかもしれません。
存在している事をあなたは望んでいないかもしれません。

でも本当に消そうとしてはいけません。

なぜならその誰かが消えずに、存在していてくれてるだけで他の誰かを恨む必要がなくなるからです。
その誰かは、その為に存在しているのです。
それがその誰かの存在を許す、という事になりますが、決してその誰かを許しているわけではありません。

その誰かは絶対に許してはいけません。

その誰かはあなた以外の方々にも、恨まれたり許されなかったりしているのです。
あなたがそう思っているなら、別の方々もそう感じているはずです。
その誰かはその為の存在ですから。

そしてそのあなたの大切な「恨み」は直接その誰かに伝える必要もありません、伝えてはいけません。
別の方々もきっとそうしている事でしょう。

その思いがたくさんあるだけで、その誰かにはいつか伝わるのです。

それが「怨み」という言葉になるのではないのでしょうか。
それが日本古来からある人間的であり芸術的な「怨念」になるのではないかと、私はそう感じます。

それが醜くも素晴らしく美しい、人間のもうひとつの愛情表現だと、私は思います。

その誰かも己への怨念を作る天才であり、そのような人間はその為に、私達と一緒に存在しているのです。
あなたはあなたのその思いの為に、その誰かを生かしているのです。
その誰かはあなたに生かされてるのです。

そう考えればあなたも楽になりますし、早かれ遅かれその誰かは自然と生き地獄へ、自ら足を踏み入れてるはずですから。

あなたはあなたの考えを第一に、大切にして生きていけばいいのです。
恨む事は何も間違っていません、が正しいとも言いません。

なぜならそれが人間ですから。
これが人間ですから。
人はできないものができる人を妬む
それがごく普通の一般である

私はある時「自分の事をするな」という言葉を頂いた、もちろん金が発生している時なので言われてもしょうがないのは知っている。
ただ私は金を頂いてる分はしっかりこなした上で、自分の事をしているので、何ら支障はないのである。
昔、学生の時にもよく言われていた事を思い出した。
授業中によく絵を描いていたからだ、それをよく注意されていた記憶がある。
ただここでも私は黒板に書かれている事はノートに書いていた、最低限の授業は受けていた。

昔から何か同じような事が起きてるようで、私の中では少し微笑んでしまう、周りというのは相変わらず変わらないものなんだなと、そう感じるからだ。

学生の時はその後「お前、絵がうまいな」と言われて以降、何も言われなくなった。
では今回はどうゆう流れになるのか、非常に興味深いのである。
ただ、今は社会の中にいる事は承知している、表立ってする事はあまり好ましくない。

その理由は一番最初に書いた通りである。

一般的にできない事をやれる人間というのは、基本的には妬まれているのが事実であり、妬むという感情が無ければ、反対の褒めるという感情も生まれないのである。
ただ褒めているだけと思っている人は、ただその裏の深層に気づいてないだけである。
それが隠れた一般的心理なのである。

だから褒められるのである、私達は。

その事実をしっかり受け止めて、私は全てにおいて表立ったものをしないように、三十路を越えてからそうするようにしたのである。

己の芸術を隠したのである。

そしてその目的は、どれだけ一般として生きていけるか、近づけるのかをこの数年で確認したいと思ったからだ。

そう思った原因は、私の芸術を理解する事のできないあなた達への復讐心である。
理解してもらいたいと思ったのは二十代までの話、私はあなた達のせいで一般にならざるを得なくなってしまった。

ほらこれが実に一般的な感情らしくて、私は嬉しいのである。

では良き夏休みを😎
何かを得る為には必ず代価を必要とする
得たいものが大きければ大きいほど、その代価も比例する
そして残酷な事に、その代価は比例したとしても、得たいものはなぜか反比例してしまうことがほとんどだ

その原因は「欲」「可能性」「運」という、物理的に見えない三元要素があるからだ、そこに気づかなければ代価というものは、とても恐ろしいものに変わってしまう事でしょう

但しその得たいと思う以外に、そこで特に求めていないものを後から得る事があります
それが必然的等価交換なのです、言ってしまえばそれがほとんどなのです

必然とは自然から発生するものなので、己の得たいと思うものとは全く関係ありません、ある意味無意識の中に存在しているとも言えます
その事にさえしっかりと気づけば、己の代価は必ず還ってきてる事を理解できます
それと同時に、得たいと思うものを得る事は稀にしかないという事も理解するはずです

そしてその必然で得られるものを、大切にする事ができれば等価以上のものを得られ、私達の言う本来の幸せを得る事ができるでしょう
なぜならそこには上記の三元要素が全くない世界だから

この考えは良い考えかと思いますが、もちろん悪用も簡単にできます
ぜひ己をしっかりと保ち、この考えを利用してみて頂ければと思います

真空堂 KOKO