以前に購入した「永遠のミゾ」に、はまりました。
なぜ、こんな溝が出てきているのか?
喧嘩しない方法論をよんでいると、ますます文化の違いに
行きつくというんです。
その一つには、「阿吽の呼吸」では、日本人だと意味わかりますよね。
こんなところが、隣国の人は理解できないというんです。
確かに儒教では教えてないですよね。これはむしろ仏経のものだと
いうからではないかと思うんです。
チームの結束を重視する日本人からみると、失敗した人を名指しする
中国流nやり方は理解しがたいというんです。モチベーションに不可欠と
いう中国人の精神性を理解することが秘訣だというんです。
たしかに「シロクロつける」ことは正解ですけど、チームの和を乱すことには
日本人は理解できないというんです。
ここには、「仁の国」だというんです。これこそが政治運動につながっているというんですよ。「習性」ですかね。相手に直接伝えることこそ誠意だと
中国人の大らかさ、合理性が行動の中に表れているというんです。
中国人の好きな言葉に、「公明正大」、「堂堂正正」がありますけど。
相手の前で直接伝えることは誠意のある行動t受け止められるんです。
逆に本人のいないところで非難や陰口は、人間関係に決定的な亀裂を
もたらす重大な問題だとなるんです。けっして容認されることはないんです。もちろん背景には「ちゃんとやった自分を守りたい」という気持ちもある
個人の失敗をきちんと指弾しないということは、正当な努力も評価されない
ことにも通じるという精神ですよね。
チームでおこなっても「キチンと個人の責任を明らかにするという合理性が
でているんです。
日本人の「武士は食わなど高楊枝」とは、気持ちの上で貸し借りを極端に
嫌うことから出ているコトワザなんですよね。
でもこれが、隣国の人には、「日本人は表面上は親切ですが、内面は信じられないほどケチ」だと、いうんです。これって「小気」といいこせこせしているとか、ケチである、気が小さいと思うそうです。たしかに「大方(気前がいい)」に好きですよね。こうした気持ちの交換から始まらなければ仲良くは
出来ないでしょうね。日本人でも最近は「割り勘」多いですよね。
でも日本人の中には、いつも同じ人が払うのではなく、今回はごちそう様、
次は私が払います。といいますけどね。
人にごちそうすると、金持ちぶっているとかみられる抵抗感があるからですかね?「AA制」という言葉が登場してくるのが1990年代からの外来文化だというんですから違和感があるんでしょうね、
日本人に比べて、ものをはっきり言う中国人といいますけど、意外に曖昧な
表現を使うこともあるんですよね。
「隋便」という言葉を知ってますか。
広州の人達にとっては、「飲茶」は馴染のコミュニケーションの習慣です。
朝の「早茶」、午後の「午茶」、夜の「晩茶」と、いろいろな珍味を使っている
メニューですよね。ここでの問題に、「客隋主便」があるというんです。
時として迷惑なマナーだというんですよ。
もう一つ、中国では陰陽学から、ペアが好きというんです。
例えば地は「陰」で天は「陽」、月は「陰」で日は「陽」、とか、水は「陰」で
火は「陽」などのように、万物は全て「陰」と「陽」の二つの部分から成り立つ
ここから陰陽どちらが欠けても世界は成り立たないということだそうです。
精神的な伝統にも、色々あるんですよ。中国人の理想には「子供は2人」
だということも、政府の「一人っ子政策」のスローガン「只生一個好」とあるんですけど、これも、「好(ハオ))の字にはならないというんです。
「女児」と「児子」が合わさった文字だというんです。半分では意味がない?
物事の中には何事もバランスが大事で、たぶん深くから染込んだものなんでしょうね。何でも、2つが包みにして送るというんです。習慣でしょうね。