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【過去の癒し 06】


自分を責めすぎた日々も、愛への修行だった


あの頃──

僕は毎日、必死に生きていました。


高次脳機能障害になっても、会社に入り、現場監督として働いた。

でも、限界だった。キャパオーバーで、

約束を忘れ、ミスを重ね、

お客さんからの信頼も、仲間とのつながりも、崩れていった。


「自分なんてダメだ…」


そう思わずにいられなかった。


怒られた時も、僕は自分の心の中で、

「ほんとに…なんでこんな失敗したんだろう」

と、自分を一緒になって責めていた。



でもね、本当は違った。

心の奥には、情けなさと悔しさ、

「どうすればいいんだろう…」という必死の問いがあった。

答えを探し続けていた。


そんな自分の姿を、少し離れたところから見ていた僕は、

無気力で、どこか他人事のように感じていたかもしれない。


でも今、あの時の僕に会えたなら、こう伝えたい。


「これは“良くなる過程”なんだよ」

「そして、“チャンス”って言ってみな」


チャンスって言ったら、

きっと笑える。

笑えたら、きっと何かが変わっていく。



あの頃の僕は、障害があるのに、

健常者だった頃と同じようにやろうとしていた。


周囲からは「普通に見える」

見えない障害だから、努力してるようにも見えなかったと思う。

誰にもわかってもらえない苦しみ。

でも、それでもやろうとしていた自分がいた。


本当は、誰かに「すごいね」って言われたかった。

ちゃんと認めてほしかったんだ。


プライドがあった。

人に良く思われたい気持ちがあった。

でも、その裏には「寂しさ」と「承認欲求」があった。



そして、そんな自分に厳しすぎたことで、

失ってしまったのは「自信」だった。

心の安定だった。


でも──


今の僕は違う。

ちゃんと自分を褒めるようになった。

無理をしないようになった。

自分に優しくなれた。



今なら言える。


「しょうがないよ。よく頑張ったじゃないか」

「仕方ない。許すも許さないもない。あなたは、それでいい」


あの経験は、

「心で見ること」

「人の気持ちに寄り添うこと」

そうした“愛の形”を育ててくれた修行だったのかもしれない。



SNSで出会った人たちは、

僕の目に見えない努力を見てくれた。

「あなたは素晴らしい人間です」

「人間力がすごい」と言ってくれた。


励まされた。癒された。

そして、気づいた。


「自分を責めてはいけない。どんな自分も、そのまま愛していい」



もし今、自分を責めている人がいたら──


僕はこう伝えたい。


「そのままで大丈夫。あなたは100点満点です」

「本当に、素晴らしい人間ですよ」


そして、過去の僕へ。


「素晴らしい。よく頑張ってきましたね」

「ありがとう。あなたがいたから、今がある」

「感謝しています。これからは、明るい未来を創っていくからね」