波瀾万丈な人生
初めまして、小川伸一と申します。
高校2年生の時、器械体操のスポーツ事故で
高次脳機能障害になり40年が経ちます。
映画の様な波瀾万丈の人生だったと思います。
二次障害との格闘とも言える40年でした。
本来の自分を取り戻すまで、色んな経験、気付きや学び、それが成長になりました。
そんな中途障害者の人生を綴ります。
能力を奪われてしまった学生時代
自分の人生は良いことしか起こらない。
毎日が楽しい人生。夢と希望に溢れていた。
事故からの人生は
重い記憶障害に苦しみます。
視線を変えると記憶が跡形もなく消える
別の事を考えただけでも記憶が消える。
安易に視線も変える事も出来ない。
成績はガタ落ち、
10番からビリから3番目。
小学生でも出来る足し算も間違える。
2、3秒前のことも忘れたから、
仕方なくそばに居た友達に聞いたら、
「頭、大丈夫?」呆れた様だった。
人前で簡単な事を間違えてしまうと、
2度と話してもらえなくなることがあった。
障害をオープンにしたら、
誰からも相手にされないと思った。
「お前の人生、終わっている」
と言われるかも知れない。
誰にも話さないで生き抜くことを決心。
プライドもあったし、
直るだろうとも思っていた。
それからは大変な人生の幕が上がった。
挑戦、失敗、挫折、挑戦の人生
三浪したけど大学には入れなかった。
新しいことが何度やっても覚えられない。
でも、17歳の時までの記憶は残っていた。
それを頼りに残された能力で生きていく。
やる気満々だったけど、能力はない。
親元を離れたいから、
新聞配達をしながらの浪人生活。
親から独立もした。
三浪して大学に落ちた時には自信を失った。
「生きる屍」と自分を呼んでいた。
ぼろぼろになり、
いつも涙目で生きていた。
不安が恐れが湧いてくる。
仕方なく専門学校に入った。
3歳年下の同級生にも敬語。
自分は価値のない人間だと思っていた。
必死に勉強してたら、
クラスの殆どの人達が勉強を教わりに来た。
丁寧に教えていたから、誰からも慕われた。
良い友達がたくさん出来た。
優しいお兄さん的存在。
失語症だったから殆ど話さなかったけど、
本来の優しさは出せたと思う。
専門学校を一年休学して、カナダ留学をする。
カナダ留学がその後の人生を大きく変えた。
人間性を見てくれたカナダの人達。
劣等生から優秀な生徒に。
大体出来ていれば100点。
真剣に学んだ姿勢に敬意を示してくれた。
この時に自信を取り戻し生きることが出来た。
そのままの自分で生きれた時期。
高次脳機能障害になり7年間は学生時代。
社会に出るまでの良い準備期間になりました。
住宅のハウスメーカーに就職
バブル時代の最後の年。
楽に就職出来ました。
製図を見て判断した様です。
少し自信が持てたのも良かった。
でも就職をしてからが大変。
たくさん同じこと間違えて、
やり直しを何度も繰り返した。
仕事を毎日持ち帰り1〜2時間予習していた。
仕事は大変でしたが、
優しい上司や仲の良い同期、
同僚と楽しく過ごしていました。
仕事が順調な時は良かったのですが、
人が減ったり、
苦手な部署にまわると
だんだんとキャパオーバーになり、
社会的行動障害も出て来てしまいました。
本来は優しく穏やかだとおもいますが、
イライラすることも増えたり、
ミスして信用をなくしたり、
だんだんと人間関係も壊れていきました。
沢山の仕事を抱えて倒れた。
クレームの嵐。
鬱にもなっていたと思う。
親しい友達も別な会社に行ってしまったり。
ぼろぼろになりながら働いた。
現場監督をしていた時は、
ヤクザにも絡まれたなぁ。
上司は逃げたけど1人で対応した。
逃げずに這いながら仕事もした。
頭も働かないからスローな感じで😅
信用も無くなり、
首になってもおかしくない状況。
でも休みの日に1人で仕事していたら、
社長が不憫に思ったのか分からないけど、
「頑張ってくれ」声を掛けてくれた。
休日出勤の時はいつも、
単身赴任の社長を駅まで送ったりした。
首にはせず、僕を会社に残してくれた。
有り難かった。
だれからも期待されず、
お客さんと会わない部署、
信頼もされず、大した仕事も与えて貰えず、
虚しかった。毎日定時に上がっていた。
どんなに頑張っても、
慎重にやっても、
ミスをしてお客さんに迷惑を掛けてしまう。
「一生働かない方が良いのかも知れない」
と考えていた。
ぼろぼろの不安定な時期
今、勤めている会社に席だけ出向。
同じ会社で同じ様な仕事をした。
仕事を制限され、
余り働かなくて良い事になる。
定時に上がる生活が2年続いた。
惨めな生活でしたが、
この時期に色んなことを勉強した。
成功者の本を読みまくる。
「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで
影響を受ける。ビジネスの勉強もした。
不労所得の勉強。
株の勉強も。
35万円の株の本を買って1年勉強した。
1年後、満を期して実際に株売買を始めると、
ビギナーズラックで大成功。
サラリーマンをしながら
株で年収くらい稼げた。資産も増えて
「これで一生働かなくても生活出来る」
と思った。そして会社を辞めた。
デイトレーダー&自営業の生活
月一回のトレードで生活出来た。
でも暇すぎたから、デイトレに挑戦。
自信が戻って来たから、
この時期に奥さんと結婚もした。
株で奥さんを養えると思った。
しかし結婚した途端に、
プレッシャーがあったからかも知れませんが、
失敗ばかりしてしまい、
どんどん資産が無くなってしまった。
貯金も200万円。
途方に暮れた。
新婚生活はとても貧乏な感じでした。
家具も家電も中古の物で揃えて。
トレードで再起を図るも上手くいかず。
毎日トレード後に1時間公園を奥さんと
散歩していた。
外食も出来なかった。
今だから言えること。奥さん曰く
「スーパーで食品を誰にも言わないで黙って持って帰ろうかな」とも思ってしまった様です。
それはしなかったけど。極貧生活。
最近も「無職の人と結婚した私は凄いでしょう」と言われる。今は笑い話になった。
奥さんは落ち込んだ事が全くない人。
落ち込むて何?いつも穏やかで上機嫌。
そんな奥さんに救われました。
頼まれごとは笑顔で何でもやった
どんな底でした。
でも仕事は色々と頼まれた。
奥さんの実家の仕事。経理業務。
友達からの図面作成の仕事。
今勤めている会社からの委託業務。
何とか食い繋いだ。
奥さんの為に何でもやる決意をした。
「頼まれごとを笑顔て何でもやったら、
全て上手くいきました」みたいな題名の本を読んで、その通りやったのでした。
大変なことも文句も言わず
何でも快くやった。来るもの拒まずにね。
僕のことを手放せないくらいの仕事をしよう❗️と決意した。そうしたらどんどん収入が増えた。
結婚1年目は収入が120万円。
2年目は380万円。
3年目は850万円。
そして、今の会社の人に
「支店が出来るから、会社に是非入ってくれ」と言われた。会社の人の心を掴んだ。
でも上手くいかなかった。
引越しもしたけど、役員面接で落ちた。
残念。しかし支店の人達は絶対に入れてもらうからと言ってくれた。
半年間、支店の人達全員で、
僕を会社に入れることを役員達に半年間も直談判してくれて。役員も仕方なしに僕が入ることを認めてくれた。ほんと奇跡が起きました。
自分の考え方を捨て、成功者の考えにシフトしたのが良かったと思います。
波瀾万丈が加速する
今の会社に勤め出して、色んなことがありました。続きはまた書きます。
就労について 障害の告白
https://ameblo.jp/sin0021/entry-12879894791.html




